デジタル教科書についての私見(その2)<<戻る

まず、デジタル化は好む好まざるに関わらず、進んでいくと思っています。
少なくとも、50年経ったときにまだ
しかしそれよりも大事なこととして、子供の学習効果の面でデジタル教科書でしかできないことがたくさんあるからです。
その1で私が提示した例を1つとっても、以下のことは紙の教科書では無理です。

バランス良い進歩であるために

物事には必ず、良い面があれば、悪い面もあります。
今は、「啓蒙活動」という理由で

デジタル教科書についての具体的な懸念

その一方で、デジタル教科書の導入には懸念があります。
ここで、次の3つの点で懸念を取り上げようと思います。

  1. デジタル教科書に移行しても、学習効果が上がるか疑問、むしろ下げないか、とか、上がってもさほどではない、とか
  2. そもそもデジタルなもの自体が、子供の身体や、子供の脳に害を与える可能性があるのではないか。
  3. このデジタル教科書の話について、利権がずいぶん絡んでいる、商売が絡んでいることについて

1つめについて、まず書きます。

それでも、私は、デジタル教科書へ移行することによって、
後にも書くようにいくつかの欠点があると考えています。
欠点をうまく受け止め、それを補助するシステムが必要だと考えています。

まず、欠点について考えるために、次のことを取り上げておきたいと思います。

つまり・・・

教育に「デジタル」を持ち込むことについての現実

まだ、パソコンを用いた教育システムが浸透したことはない。
その現実を、現場の先生の保守性に求める意見も、個人的に聞いたことがあるが、
私は、「パソコンの持っている機能」と「教育という営み」に、
水と油のような関係もあるからだと考えている。

正直、私も自分の勉強の場にパソコンを導入しようと考えたことがたくさんあるが、
初めは便利だと思っても、実際にはなかなかうまくいかないことが多い。

ここでは、少し「デジタル教科書」から離れて、
「キーボードを打つこと」と「学習」について書いてみようと思う。

最後に、結局、デジタル教科書は教育を変えるだろうが、
本質的な部分はデジタル教科書とは別のところになるだろう。

サボる子は・・・

これは当たり前のことだが、忘れてはいけない。
結局は、「デジタル教科書」をいかに利用していくか、それに尽きる。

ただ、紙の教科書よりもデジタル教科書の方が、表現できる幅は断然に広い。
この「表現できる幅」をどれだけ具現化できるか。そこに、責任ある大人の業が注ぎ込まれていけば、そう思います。

私は思うに、デジタル教科書には「現在の画面を紙に出力する」という機能が
必要とされるのではないかと思います。
ただ、この機能には、出力枚数の制限などを定めた方がいいでしょうね。
この制限は僕が大学生の時にもありました。一日○○枚、一ヶ月○○○枚、のように。

じゃあ紙の消費量は増えるか減るか、と言われると、
たとえば「保護者への連絡」とか「計算だけの宿題」などは、
紙で出力されないでしょうから、紙の消費量がある程度は減ると思いますが。


続き>>デジタル教科書についての私見(その4)


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