デジタル教科書についての私見(その1〜サンプルあり)<<戻る
デジタル教科書、または、電子教科書とは、電子書籍の端末で読むことのできる「教科書」の事を指す。
では、電子書籍の端末、とは何であろうか?既に、候補はある。
「紙とは何か?」
くだらない質問と思われるかもしれないが、
この問いについて深く考えていくと、実に多様な世界が広がっている。
紙の用途は広い。
知識を伝えたり、料理に用いられたり、インテリアとして生活を飾ったり、
芸術品に化けたり、生活必需品として用いられたり・・・実に多様な存在。
また、1000年前の人々に「紙とは何か?」と聞いたことを想像してみてほしい。
そのとき、人類の歴史において、
紙をどう使うかの知識も、紙を作る技術も、紙の品質も、
実に多様に発展してきたことが想像できる。
紙の教科書は、紙が持つたくさんの用途のうちの、ほんの些細な一つ。
電子書籍の端末は、結局、パソコンである。
電子書籍という形態は、パソコンが持つたくさんの用途のうちの、一つになるのだろう。
そして、紙の使用用途が増えるにつれ、
紙も発展し、紙の使われ方も発展したように、
パソコンの使用用途が増えるこの機会(ないし、新しい使用用途を探るこの機会*1)に、
パソコンが発展するような、パソコンの使われ方が発展するような
思考をしていかなければならない、と思う。
私が今、論じているのは「教科書」である。
それは、単に、この13th-noteで作られる教材が国定の教科書として使用されるように
と考えていることが由来であるにすぎない。
よりよい「デジタル教科書」を追い求めるときには、
よりよい「デジタル書籍」を追い求めることが、同時に行われなければならない。
そして、よりよい「デジタル書籍」から、
「デジタル教科書」にとって本当に必要なモノだけを選び、
不必要なモノ、デジタルでなくても出来ることは省き、
何かの形として実現されなければない。
私は、そう考えています。
「デジタル教科書に必要なこと」として思い浮かぶことを
箇条書きにしようかと考えていました。
しかし、それをするには、私にはまだ早いと感じました。
まず、そう感じた理由を記しておきます。
とはいえ、私の感じる「必要なこと」を、3点、細かいながら書いておきます。
パソコンとほとんど結びついて生きている人も多数いる一方、
日頃、一切パソコンを使わない、検索をしない人も、かなり多数いる。
ある人には不要だからであり、ある人には便利さよりも弊害の多いと感じられるから。
そして、今回の「デジタル教科書」に関連して言えば、
パソコンを使って勉強すれば、本当に勉強の効果は高いのか?
弊害はないのか?もっと考えられなければならないと思う。
実は、私は、勉強の効果が高いと言い切ることに、懐疑的である。