[[デジタル教科書についての私見(その1〜サンプルあり)]]<<戻る **私の基本スタンス [#g3ef270f] 私は、デジタル教科書が導入されることには賛成です。 私は基本的に、デジタル教科書が導入されることには賛成です。 しかし、教育現場に携わった経験から考えるに、 現在ではハードルが高すぎるし、 しかし、教育現場に携わった経験から考えるに、現在では変化が激しすぎます。 たとえば、定期テストだって、デジタルでなく手書きで作る先生はまだたくさんいますし、 成績の集計にパソコンを使わない人も、まだかなりの割合でいます。 そのやり方が、その人にとって一番やりやすく、変える必要性を感じないからです。 「キーボードを打つことによって、記憶は定着できるのか」 一企業が上からのトップダウンができる環境で変えるのも大変だろうに、 全国に何万もの組織を全部変えるなんて、相当の覚悟と準備が必要なはずです。 **キーボードと学習 [#v39f28ef] ここで、少しデジタル教科書とピントをずらして、 次の問題について取り上げたいと思います。 -「キーボードを打つことによって、記憶は定着できるのか」 よく、「書いて覚える」ことによって、学習することがあります。 私も、覚えるべき事をどうまとめるか考えながら書き、 その過程で、自分の頭に記憶を定着させる勉強をしました。 この「書く」を「キーボードで打つ」に置き換えて 同じ効果が得られるのか?という問題です。 実際に、デジタル教科書はキーボードを用いない、 指やタッチペンで書き込む予定とのことなので直接関係ないですが、 (タッチパネル入力よりキーボード入力の方が主流であろう現在において) 皆さんにも、想像していただきやすいのではないかと思いました。 ***キーボードで打ってノートをとって、学習できるのか? [#a2c81dc7] 文字が一般的になる前は、知識の伝達・学習は、音声で行われていた。また、映像で行われていた。 それに慣れた人は、文字を通じて知識の伝達・学習することが難しい。 文字が一般的になる前は、知識の伝達・学習は、 (他者や自らの)口から発せられる言葉により、聴覚で行われていました。 また、眼の前に実物や模型を用いて、視覚で行われていました。 実際に現代でも、テレビなどに慣れすぎて、文字を通じて学習することが苦手な人たちがいる。 あれは、その人が怠けて文字を読み飛ばしているのではなく、「文字を通じて学習する訓練ができていない」だけであろう。 逆に言えば、文字を通じて知識の伝達・学習することは、 その経験に慣れていないと難しいことです。 そこで、私が大変興味を持っている命題は -人間は、「訓練すれば、キーボード打ちを通じて学習することができるか?」 実際に現代でも、テレビなどに慣れすぎて、文字を通じて学習することが苦手な人たちがいます。 「文字を通じて学習すること」を学習し損ねた人にとっては、 怠けて文字を読み飛ばしているのではなく、 「文字を通じて学習する訓練ができていない」だけであろう。 教育の現場にいると、そういう子供には時々出会う。 それは例えば -(文字情報中心の)学校の授業を、 紙のノートに書いて板書する人と、 PCのキーボードを打って板'''打'''する人とでは、 どちらの方が、効果的に記憶に残るだろうか さて、ここで取り上げたいのはその先の話です。 「紙に文字を書く、書かれた文字を見る」ことによって学習することから 「キーボードで文字を打ち込む、ディスプレイに表示された文字を見る」ことによって 学習はどうなるか、ということです。 である。今のところ、私は、キーボード打ちをした方が記憶に残りにくい、という結論を持っている。 私が、小さい頃からキーボード打ちでノートをとり、定期テストの勉強をしていたら、もう少し、記憶にも残りやすいだろう。しかし、本質的に紙と鉛筆の方が、記憶に残りやすいと思っている。 たとえば、(文字情報中心の)学校の授業を、 -紙のノートに書いて板書する人と、 -PCのキーボードを打って板'''打'''する人とでは、 どちらの方が、効果的に記憶に残るだろうか? ***キーボードを打つ学習の長所と短所 [#lcf15dc6] 今のところ、私は、キーボード打ちをした方が記憶に残りにくい、という結論を持っている。 ただし、小さい頃からキーボード打ちを中心に学習をしたらどうなるのか、私には分からない。 (そういえば、浦沢直樹の「MONSTER」というマンガに、 自分の指がキーボードを打ち込む操作をすることによって、 自分の記憶を引き出す人物が登場する。モデルは実在するのだろうか?) とはいえ、上の結論を導くに当たり、考えたことを書いてみようと思う。 キーボードを打つ、という操作による学習はいくつかの利点がある。たとえば -記録するスピードが速いこと -検索ができること -複製が簡単であるうえ、かさばらない。 -他者との共有が簡単なこと -記録するスピードが速い -検索ができる -複製が簡単であるうえ、かさばらない (TB単位のハードディスクが存在する現在、記録される媒体は事実上増えない 紙ならば、記録すればするほど、記録に必要な紙は増える) -他者との共有が簡単な など。 しかし、これら長所のうち など。しかし、これら長所のうち -記録することが速いということは、一つの言葉に触れる時間が短い ことを意味する。紙と鉛筆ならば、書くだけで覚えられたことも、キーボードを打つだけでは覚えられないことが多々ある。しかし、私が感じる最も大きな欠点は ことを意味する。紙と鉛筆ならば、書くだけで覚えられたことも、 キーボードを打つだけでは覚えられないことが多々ある。 しかし、私が感じる最も大きな欠点は -(現在市場に出回っている)キーボードを打つという操作は、文字を書くのに比べて大変高度 であることにある。なぜ、キーボードの下から3段目、左から2番目のキーを押すと「あ」(ないし「A」)と表示されるか。なぜ、こんな曲線(ないし線分)が表示されるのか。自分の体のどこも、そんな曲線や線分を描く運動をしていない。 であることにある。なぜ、キーボードの下から3段目、左から2番目のキーを押すと「あ」(ないし「A」)と表示されるか。 なぜ、こんな「あ」を構成する曲線(ないし線分)が表示されるのか。 自分の体のどこも、そんな曲線や線分を描く運動をしていない。 正直なところ、私はこの齟齬が今でも少し苦痛である。 脳は、デジタルにはできていない。デジタルな物を入れるには、脳のどこかで変換をしないといけない。それが、紙と鉛筆の場合は必要ない。 これが、「キーボードを打って学習する」ことの欠点であり、今でもコンピューターをいっさい触れない人が一定数存在し、多くの人が「コンピューターは苦手」と言う原因ではないかと、私は感じている。 脳は、デジタルにはできていない。デジタルな物を入れるには、 脳のどこかで変換をしないといけない。それが、紙と鉛筆の場合は必要ない。 これが、「キーボードを打って学習する」ことの欠点であり、 今でもコンピューターをいっさい触れない人が一定数存在し、 多くの人が「コンピューターは苦手」と言う原因ではないかと、私は感じています。 以上をまとめます。 ***キーボードは「脳からのアウトプットは得意」だけど「脳へのインプットは苦手」 [#ide39bad] 私の考えでは、デジタルは、脳からのアウトプットには大変適していると思います。 文章が頭の中でまとまってから、それを実際に文字として書き出すまでが、 デジタルならば格段に速い。修正も容易。 デジタルならば格段に速い。修正も容易。共有も容易。かさばらない。 一方で、脳へのインプットに対しては、デジタルは得意不得意があると思います。 視覚的なイメージをインプットするのは大変得意。 一方で、脳へのインプットに対しては、デジタルは不得意ではないかと思います。 文字情報をインプットするのは苦手。文字情報を脳へインプットするには時間がかかるから。 そして、脳への *** [#g9f77dbf] 物事と物事のつながりをインプットするのは、どんな「つながり」なのかによる。 たとえば、「円」という一言から、全科目の教科書を検索する、 そうすると、様々な「円」が表示され、これは素晴らしい教材になるでしょう。 つまり、「単語」でつながったつながりは、容易。 一方、「似ている」ことによるつながりをインプットするのは、 デジタルは苦手だと思う。何を持って「似ている」とするのか。 これは、地道に文書内にリンクを張っていく必要があり、 教科書作成側から見れば、そのリンクの張り方が、教科書の「個性」になり 教科書を読む子供からすれば、そのリンクの張り方が、自分の学習の「個性」になっていくと思う。 視覚的なイメージを脳にインプットするのは大変得意。 #hr 続く>>[[デジタル教科書についての私見(その3)]]