[[デジタル教科書・教材]] 「最も良い授業」とは何でしょう? #contents ***そもそもの、問いを発する立ち位置 [#o2fc8927] これに対する一つの(しかし極めて重要な)答えは 『「最も良い授業」は一つには決まらない、先生によって、生徒によって、教える内容によって、千差万別だ』 です。 この答えは極めて重要ですが、意外と見落とされがちです。 また、理論として理解していても、実践となると難しいものです。 うっかり、「究極の授業」のようなものを求めようとしてしまったり、 「東大京大を目指す高校3年生のための授業」として素晴らしい授業をそのまま、基礎学力の強化に必要な高校3年生に対して適用しようとしてしまったりすることが、 よく起きてしまいます。 数学の用語を使えば、最も良い授業なる「最大値」は存在しない。せいぜい、「極大値」が存在するくらいです。 しかし、ここで書きたい内容は、その先の話です。 つまり、「どんな場面で、誰に対して、どんな内容を教えるのか」分かったうえで「最も良い授業とは何か?」 ***現在の授業における限界 [#s50eee2b] 現在、授業において、先生と生徒の間でできるコミュニケーションは、以下です。 - 教える内容によっては、「一つの説明で」生徒を納得させることは可能です。 また、特定の学力の生徒だけを一つの教室に集めれば、「一つの説明」で納得させられる可能性は高くなるでしょう。 でも、「一つの説明で」納得させることは必要ないのではないか? ***全員が「理解し納得し前へ進む」ことが目的である [#w582524b] ***現在の「最も良い授業」の限界 [#b54bef1a] 戦後の日本は、一つのクラスにたくさんの人数を詰め込んで、一斉授業を行ってきました。そういう授業でうまくいったのは、戦後の数十年の日本の現状が、それに合っていたからではないかと思います。貧しい日本が一体となって、国力を上げなければならない。国民の多くが無意識のうちに了解するある価値観(その価値観の表れの一例が、終身雇用制ではないかと思います)があったからうまくいったのではないか。 この時代の方々と、やり方が果たした成功はとてつもなく大きく、私はやはり感謝しないといけないと思っています。 しかし、失敗しても、成長しても、次に進まないといけない。 ***デジタル教科書・教材が秘めるポテンシャル [#k05a9484] たとえば、50人と同時に会話をすることが、昔は可能だったでしょうか? ***そして最後に、教育現場は人間をますます必要となるだろう [#a8a8e9f1] しかし、はっきり言えることは、「現在の優れた先生」