''※「13th-noteの営みについて」へタイトルを変えました。'' [[つれづれ]] 普通に考えれば、13th-noteの営みはうまくいかない。 > 教科書を書いて公開し、それが少しずつ広まって、初めは個人の家庭教師や、塾で使われ、次第に学校で使ってもらうようになり、数学を面白いと思う人が前より増え、そして13th-noteは徐々に新しい数学の枠組みを模索し始め、共感と反論を共に呼び、その中で少しずつ、面白い何かが生まれていく、そんなことは、上手くいくはずがないのです。 常識的に考えて、無理です。 今の日本の社会では、無理としか思えません。 どこかで、大きな壁にぶち当たる。 「日本の未来はもうだめだろう、20年くらいでどうしようもなくなる、未来なんかない。」 自分より年上の人から、日本の将来について意見を求められたときには、 私は最近、そのように言うことにしています。 「若い者が夢のないことを言うな」と言われたこともありますが、 「社会の未来には夢がない」と日増しに強く感じているのに、 虚勢を張って「未来はきっと大丈夫」と声高に叫べば、 却ってその虚勢が、未来から光を奪うのではないか、そう思うからです。 「夢なんてない」という時代は不幸かと言えば、 むしろ、歴史的に見ても、「夢なんてない」という時代が普通であり、 その中でいかにしていくか、それが大事ではないかと私は思っています。 逆説的ですが、「夢なんてない」と言う人も一定数いて初めて、 未来に夢をもたらされる可能性もあるのではないか、そう思っています。 #hr そして、私は、作り続けます。13th-noteの営みを続けます。 ある作曲家が言いました。 「作曲家は、死んでからが勝負なんです。」 この言葉に接したとき、なんだか、胸がスカッとしました。 今も、思い出すたびに、晴れ晴れしい気分になります。 まず、作ろう。そして、残そう。 もし自分の作ったものが本物なら、自分が死んだ後にでも評価されるだろうし、 もし評価されなかったら、自分の作ったものなんて偽物で朽ち果てるべきものだった、 そう思います。 #hr それから、私は自分の中に、ある世界を描いてしまいました。 一度描いてしまったなら、できるだけ描いて形にしておくことが、 生きている人間の義務ではないか、そう私は勝手に、思っています。 本当に、自分勝手な考えではありますが。