1997/6/16
<現代音楽シリーズVol.8を終えて>

(今回の担当:Sop倉橋史子)

六月十五日、第八回現代音楽シリーズを終えました。
当初の予想客数がとても少なかった事が、最後まで気がかりでしたので、多くのお客様に来て頂けて、ホッとすると共に、本当に感謝いたしております。御来場下さった皆様、ありがとうございました!
十五日に到るまで、連日練習続きで、日誌をタイムリーに、更新できず当日を迎えてしまいまして、ひたすら「無念・・・・」であります。
来て頂いた方には、お解り頂けるかと思いますが、昨日のプログラムは、それはそれは“オイシイ”プログラムだったのです。(後で、アンケートを見て知ったのですが、現代音楽の  「通」の方には、たまらない!という曲が並んでいたそうです。)

さてさて、私達には、アンサンブルのリハーサルを客席で聴けるという、贅沢な時間(特権?)があります。
私も、生で聴くのは初めてだったペルトの「Cantus」。弦のうなりと、鐘の音が唱和して、音そのもので強く心を揺さぶられるのです。言葉では、言い尽くせない「空間美」の極み・・・
“静寂の世界”に衝撃を受けて、しばし、コーア・マスターという自分の大役を忘れ、ホールの中で立ち尽くしてしまいました。
この曲を聴いて“音”というものの、素晴らしさ、不思議さ、尊さを瞬時に、改めて教えてもらった様な気がしました。
そしてディーリアスの小品のあまりに美しすぎる繊細な「音」の世界に、心を掴まれてしまった私は、リハーサルからもう、あやうく一人で夢の世界へ行ってしまいそうになりました。
先生の棒から、まるでこぼれ出る様に、美しい「音楽」が生まれて出てきます。先生の昨日の棒は、時には、激しく、そしてとても美しかったのです。自然の中で『音楽』を聴いている様な錯覚を覚えました。
「今日は、本番、絶対客席で聴きたいよー!」と最後までワガママを言って、メンバーを困らせてしまいました。(困ったコーア・マスターです) それほどにリハーサルの時から、凄い“音”空間が渦巻いていたのでした。
そして、今回の私達のプログラム、合唱をしている人達には人気のある、ブリテンの「セシリア讃歌」。実は、この作品は難しかったんです!たいがいの新譜は、こなしてしまうシュッツ合唱団ですが、今回は、いつもの三倍くらい、仕上がりまでに、時間が掛かりました。皆さんも御存じかもしれませんが、英語の歌って、実はとても難しいのです。私などは、英語以外の歌に取り組む事が、いつの間にか多くなってしまっていた為、久々の‘イギリス・イングリッシュ’がなかなか上手くいかず、人知れず特訓の日々でした。
おまけに、「イギリスの気品高さ、気品良さ」が・・・私達には出せなくて苦労しました。気は心、せめて気分だけでも・・と当日いつもより(自分なりに)ハイ・ソサエティ(?)にオシャレしてきた(つもり)の女性団員が多くて、「なんや、皆考えている事は、一緒やん!」と楽屋で笑えました。(成果は、一応出た模様であります(?))
本番は、どの練習時より、上手くいった様です。客席にいらした外国人で、「英語」の専門の先生から、後でお褒め頂いたので、ちょっと自信を持ってもいいかな、なんて思ったりしています。ブリテンの作品は、難しかったですが、私達のお気に入りのレパートリーの一つになりそうです。

実は裏話がありまして、アンコールで演奏した「五つの花の歌」の四曲目は、シュッツ合唱団‘屈辱の曲’の一曲でして、というのは、かれこれ十五年程前、この曲をプログラムに掲げ、練習に励んでいたのですが、《どーしてもどーしても》仕上がらず、当間先生の怒りの一言と共に「お蔵入り」した唯一の曲だったんです。確か、先生が練習で怒られたの初めてだったと記憶しています。
今となれば笑い話ですが、「なんぼやってもでけへんかった曲」という、当時のショックは忘れがたいものです。めっちゃくちゃ「へたくそ」だったのですね。それを思えば今の皆のテクニックは、ホントに「ピカピカの凄腕」になったと思います。

ペルトのベルリン・ミサ。今回で、ペルトという人の持つ独自の“音”の世界に、はまりこんでしまった団員は多いと思います。心にしみいる名曲だったと思います。
いつも元気いっぱいのシュッツ合唱団が、ひたすら『静』を表現しなければならないこのミサと取り組んだ事は、とても意義のある事でした。精神の深淵の世界。壮大さ。
そして真の『祈り』。・・・祈りの空間を生み出せていたら、ペルトのメッセージが届いたのではないかな、と思います。聴いて頂いた方はどう感じられたでしょうか?

今日は、長くなってしまいましたが、お許し下さい。
最後に、どうしてもお伝えしたい事があるのです。 それは、いずみホールのスタッフの方々の話です。
私達にとって、お借りする音楽ホールは、いわば『仕事場』。
私達の仕事にとって、ホールの方の対応、仕事ぶりで、その日の演奏の「ノリ」が決まる、といってもいい程、ホールの方とのコミュニケーションは大切です。
昨日は、それがとてもよかったのです。私達の気持ちがすがすがしかったのです。 仕事ぶりが「ホールの職人さん」でした。(私は「職人さん」という言葉が大好きです)

演奏者というものは、スタッフの方が『演奏者』の事を、そして『演奏』そのものを、
《第一》に考えてお仕事をして下さると、大変気分がノルものなのです。
昨日、何が一番嬉しかったかというと、スタッフの方が私達の演奏を、一生懸命、一緒に「聴いて」下さっていた事。奏者にとって、これは、最高に嬉しい事です。そして心強くもあります。(そうなんです。スタッフの方が冷たかったり、対応が悪いと(あいさつ一つ、返してくれない人もいますもん!)演奏者は何か不安になるのですよ。本番前の緊張に加えて、いらん心配、心労が増えるわけです)

昨日のスタッフの若いお二人は、最後の最後まで、私達の気分を良くして終わらせて下さいました。「それが、仕事です」とおっしゃるかもしれませんが、 今まで、本当に数多くいずみホールを、お借りしてきて、こんな気持ち良く本番を終えた事は初めてだったので、一言書きたくなってしまいました。

私達も、ずっと変わる事なく『音』の職人であり続けたいです。
いずみホールのスタッフの皆さん、これからの奏者の心強い味方でいて下さいね!


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