演奏にあたって

指揮者 当間修一


今年はモーツァルト(1756-1791)の生誕250周年に当たります。
様々な演奏会が企画される中、その中に加えられるこの演奏会が意味あるものでありたいと願いました。
モーツァルトの再発見となれば、その思いが今回の演奏会を企画した意図となりました。
改めて、モーツァルトの「作品」ならび「人」について辿ってみました。
以前抱いていた像が変わったことに驚いています。よりハッキリと輪郭が見え始めた、といってよいでしょう。
「シュッツ」に始まり、「バッハ」そして「ベートーヴェン」。この流れの中で
モーツァルトの位置が見え始めたのは私自身の大きな喜びでした。

「SCO」はモダンの楽器を使用しての演奏です。昨今、モーツァルトの演奏ではオリジナルの楽器による演奏が主流になり始めていますが、モダンの楽器を使用しての「新しい演奏」をもう少し摸索したいと思っています。
モダン楽器による「新しい表現」。その追求は、合唱活動である「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」との共演とも共通する私の「根っこ」かもしれません。今日の私の演奏意図ともなるそれぞれの解説です。参考にしていただければ幸いです。

■交響曲 第17番 ト長調 KV 129モーツァルト8歳の時訪れたイギリス、そこで親しく交友することになったクリスティアン・バッハ(大バッハの息子)の影響が指摘されています。また、この曲を作曲する二年前にイタリアはフィレンツェで知り合った天才ヴァイオリン奏者、トーマス・リンリの想い出もあったかもしれません。第一楽章の奇妙なリズムのテーマ、「スコッチ・スナップ」(ロンバルディア・リズム)にその特徴がよく現れています。溌剌として16歳になったモーツァルト、新しくザルツブルクの大司教のもとで音楽家として大成を志していた少年の作品です。今回の演奏、二楽章の歌謡性に富んだメロディーに当時行われていただろう繰り返し時の習慣にしたがって変奏を試みました。ソロ(コンサート・ミストレス)とトゥッティでの細かい音のぶつかりも即興の妙味として楽しんでいただければ幸いです。

■ピアノと管弦楽のための協奏曲 第25番 ハ長調 KV 503

亡くなる5年前(1786年、モーツァルト30歳)、に作曲されています。ピアノ協奏曲の締めくくりとする論もあって評価も高いのですが、その割には余り演奏されることのない曲です。壮大な曲想、それに加えてピアノと弦、管との歌い交わしは絶妙のアンサンブルを提供して面白さ、楽しさが格別です。モーツァルト自身によって演奏されたのですが、彼のヴィルトーゾぶりが偲ばれます。

■ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 KV216

五曲のヴァオイオリン協奏曲を残したモーツァルトですが、その中で比較的よく演奏される曲です。宮廷楽師長モーツァルト、そのモーツァルトが自ら独奏を担当して披露するために書かれ作品(1775年、モーツァルト19歳時作曲)で、第一楽章での自作オペラ《牧人の王》(K208)のアリア転用や、第三楽章のロンド中間部、いきなり曲想が変わり、前半にフランスの舞曲パヴァーヌと後半にドイツの古い民謡が対となっているのが印象的です。特にドイツの古い民謡が「シュトラスブルガー」として知られているところからこの曲は「シュトラスブルク協奏曲」と呼ばれます。(モーツァルト自身の書簡に書かれています)また二楽章の甘美なメロディーも深く印象に残り、それは多くの人々から愛好されています。

■交響曲 第40番 ト短調 KV550

1788年、モーツァルト32歳。6月末から8月にかけて三大交響曲が一気に書かれます。すなわち、交響曲第39番変ホ長調、交響曲第40番ト短調、交響曲第41番ハ長調です。何故、一気に書かれたのか。近年の研究でこれは「三曲ワンセット」で出版するためではないとかという説が立てられています。出版と演奏による増収、及びイギリスでの出版ならびに演奏旅行を目論んでの作曲だった、というわけです。説得性があると私は思います。以前から、この「第40番」に対する評価が分かれています。演奏の解釈も両極端なもので、それによる演奏では随分印象が異なります。「三曲セットの曲集」として眺めてみると、交響曲第39番変ホ長調は「優美で歌謡的」、交響曲第40番ト短調は「激しく闘争的で情熱的」、そして交響曲第41番ハ長調は「雄大で輝かしい」という組み合わせになって統一感も備わります。テンポをモーツァルトの弟子であったフンメルのものに因りました。このテンポに近いものとするとこの曲は「激しく闘争的で情熱的」な面を見ることになります。一楽章はため息や不安が誇張されるのではなく「情熱」が顔をもたげ、二楽章では悲嘆にくれる道のりの中にも開放的な希望、憧憬も見えます。メヌエットは快活で、最速でしょう。ステップは四分音符でなく二分音符が単位となります。終楽章は荒々しさも少々加わった動き。扇動的、向こう見ずの表現だとする論もあります。心和ませる第二テーマも「突き進むリズム」である四分音符5つと二分音符のリズム型に飲み込まれてしまいます。コーダに入っての弦と管の掛け合いによるスケールはまさに、「激しく闘争的で情熱的」な結末となります。モーツァルトの1788年、6月からの三ヶ月。彼はこの三大交響曲に何を託したか。今日の「モーツァルトの魅力」、その思いを辿りたいと思いました。