No.552 '04/6/16

五十嵐玉美の「音楽葬」


6月13日(日)、五十嵐玉美の「音楽葬」が執り行われました。

会場となった「日本福音ルーテル大阪教会」の礼拝堂では、補助椅子を必要とするほどの参列者で埋め尽くされ、合唱団、そして「SCO」のメンバーによって、玉美さんに送る音楽を響き渡らせました。
来て頂いた方々の中には懐かしいお顔もあり、涙の中、通夜、葬儀に続いて玉美さんを偲びました。

団員が持っていた玉美さんの写真をエントランスに一杯展示させていただきました。
生前に撮っていたビデオも見て頂きました。
礼拝堂にはプロジェクターによる写真も映し出され、参列してくださった方々には、懐かしく、また辛く、一層涙を誘うことになったかもしれません。

合唱団を代表して、飯沼正雄の「挨拶」。
心のこもった一言一言、飯沼代表にとっての玉美さんへの想いが伝わってきます。 滝田浩之牧師にお祈りをしていただきました。思わず、祈る手に力が入る私でした。

「音楽葬」としながら練習が思いのままできず、一度も音出しせずに演奏した曲もあります。
しかし、演奏に対する不安や恐れは玉美さんへの想いの中では小さなことでした。
合唱団も「SCO」も、それは「思いを尽くした」演奏だったと思います。

会場でも言ったのですが、もう私に「悲しみ」はありません。
「寂しさ」もありません。
玉美さんとはいつも会える、出会えると思っています。
と言っても、生前の元気で飛び回っていた姿を思い出すのはやはり胸が痛み、やりきれない気持ちになってしまうことは必至だと覚悟しています。
しかし、玉美さんの存在、一緒に居るという思いは居なくなった今、これまで以上に強いのです。
確信です。
玉美さんは、私の中に、合唱団の仲間たちの中に居ます。
そしてこれから長きに渡って今まで以上にお付き合いしていただくことになる玉美さんのお母さんや、あの素敵なご親戚の方々とお目にかかるたびに、そこに玉美さんは居ます。
私はもう「悲しさも」「寂しさも」感じる必要は無いのです。

玉美さんは多くの人たちの再会をもたらしてくれました。
当日の遅い時間にもかかわらず、遠方から来て頂いた方々には本当に感謝です。(十分なご挨拶ができなかったことが悔やまれてなりません。ここにあらためてお礼を申し上げます)
団を去っていった元団員も来てくれました。それぞれに事情があっての退団でしたが、玉美さんと団員との歴史の重みを再認識する再会です。
皆の優しい顔が印象的でした。
現団員ながら様々な悩みの中にいる者が、それぞれの生き方を今一度問い、玉美さんの生き様を通してあらためて思いを強めた出来事だったと思います。
その者たちのキリッとして迷いのない、真の笑顔を私は見ました。

玉美さんの爽やかな笑顔が一杯の会場でした。
涙を流しはしましたが、私たちの中には玉美さんの笑顔が広がっていました。
これからはその笑顔を発信していく、それが私たちの努めです。

この二週間は、私たち内輪の、関係者たちの人生の一コマに過ぎません。
多くの人々には無関係な、何のことはないただの日常の一コマでしょう。
しかしこの一コマ、この思いを「今を生きるこの世界」に向けて発信する。
内輪の出来事だけではない、それを証明する。
大それた望み、とは知りながら私の活動はそのことに意義を求めるものでした。
先に逝ってしまった五十嵐玉美。
41歳、五十嵐玉美。人生の半分を共に歩きました。同じ目的に向かう道でした。

No.552 '04/6/16「五十嵐玉美の「音楽葬」」終わり