第20回('97/2/24)

響きとその判断

コンピュータの世界においての楽しみの一つは、早くコンピューターと会話ができるようになればと思うことです。
その為にはコンピューターが先ず、人の声を認識しなければなりません。
そしてその認識した音声を膨大な言語知識で判断していかなければなりません。
今だその段階には至っていないのですが、声を認識する、という過程では見るべき発展があるそうです。
コンピューターが喋るのはよく耳にしますね。
これは実現しています。
しかし特定の人の声を判断して対処するには今だクリアーしなければならない問題が山積みだと思います。
何が難しいのか?
いわゆる、単語一つ一つを聞き取ることはできても、会話のような連続発声されたものは、個々特徴があって判断しにくいのですね。

その難しさは人間でも同じです。
今回からは、言葉を私たちはどう発声し、そして聞いて判断しているのかを考えて行くことにします。

結論を先に書きますね。
どうすれば、言葉を理解し、相手にも理解してもらえるような発声ができるか?
それは舌、顎、唇の動きを自由にすること。そして音韻のなまけ現象を起こさせないようにすることです。
どういうことか説明しますね。

「舌、顎、唇の動きを自由に」とは声道の形を変え、共鳴を変化させる動きを滑らかにすることです。
動物と人間との大きな違いは舌や顎や唇が人間ほどは自由には動かず、音韻に対応した声道の形を作ることができないということです。
声道の形を変化させることができて始めて言葉が産まれるのですね。

もう一つ、「音韻のなまけ現象」を起こさないようにとはどういうことでしょうね。
言葉には<子音>と<母音>がありますね。今、説明するのに「だ」という発音を取り上げましょう。
「だ」はDとAでできた音節です。しかし実際にはDとAを切り離して一つづつ発音することはできません。境界がはっきりしていないのですね。
DからAへとは連続的に顎や舌、唇が動くわけです。ですからDを発する時にはAに向かう動きが既に潜んでおり、Aに入ってからもDの動きがあったことを聞き取れなければなりません。そうでないと「だ」とは判断できにくいということです。
この子音の後半の母音へと移る動き、その予測できる動きがルーズになっており、それが原因となって言葉の聞き取りを困難にしているのです。
「音韻のなまけ現象」と呼ばれる所以です。

このように言葉を聴いて理解するということは音そのものを聞き分ければいいということではありません。
大事なこと。それは子音の後に来る母音を予想することができるかどうかにかかっています。
そして次には、その音節が連なってどのような単語を言おうとしているかが予想できなければならないのです。
「舌、顎、唇」の自由がいかに大事か、それがお判り頂けるのではないかと思います。

次回は<感情表現について>です。

第20回「響きとその判断」終わり(この項次回につづく)


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