第22回('97/5/5)

音色について

「音の不思議」シリーズも、この「音色」についてを書いて一休みとします。
(また間をおいて新シリーズの「音の不思議」を始めるつもりです」

「音色」については今だ解明されていない部分が沢山あります。
解ってきたことの多くも実はつい最近でのこと、それもコンピュータが使えるようになってからのことです。(コンピューターで人工的に声を作ったことで解ったことでした)
「音色」は字から受けるように、一般的には視覚に関係した言葉によって表されるのが特徴。
そして最近では、「音色」は音の持っている全ての要素を含んだ統合的な見方によって定義され、また表現されるようになりました。
音が持つ、<美しさ><迫力><明暗>などがその評価に含まれます。
今までは音の<大きさ>と<高さ>を除いて、感覚的な音の違いを主に述べていたものでしたが、最近では<大きさ><高さ>を含めた音の持つ要素の全てを「音色」と考える傾向にあります。

合唱でのこの「音色」づくりには、<アタック>と<倍音構造>の違いが重要です。
そして更に重要な事柄が以前にも書きました<ホルマント>についてです。
これは<母音>の発声時における特徴的な周波数領域のことなのですが、<ホルマント>のこの説明は書くだけの説明ではなかなか理解しにくいので省きます。しかし母音の違いは声道の形を変えて<フォルマント>を変えることでおこる、と理解しておくことは大事なことです。

歌唱においては、母音づくりの練習は致命的な要素です。子音に関しては母音づくりを終えてから取り組むべきでしょう。
各母音は<フォルマント>の特徴によって決定されているのですが、どの高さでも、そしてどの大きさでも各母音がハッキリと聞き取れるよう訓練する、それが発声における一番大切なことなのです。

「音の不思議」シリーズはこの「音色」のことを書きたくて始めたことでした。
私は「音色」のことを、演奏者側としてではなく、聴き手の問題としても捉えていたからだと思います。
上に書いたことと矛盾しているように思われるかもしれませんが、思うほどには歌うにしても、楽器を奏するにしても、音色について演奏者はそんなに変化できるものではありません。演奏者は演奏する前に特有の音色を既に持っているところから始まっているのです。
勿論ここで取り上げているように、奏者あるいは歌手は「良い音色」を持つように常に訓練されなければなりません。
共鳴させて「美しい音色」づくりに専念しなければなりません。
しかし、意図しても、思うほどには音色の大きな変化を操作することはできないと考えたほうがよいということなのです。

「音色」とは個性です。
全人格的なものです。
その「音色」に対する好き嫌いは、<個性>に対する好き嫌いを言っていることと同じです。
好き嫌いを言う前に、音色や個性ということについて知っておかなければなりません。
そうでないと、食べ物の好き嫌いと同じレベルになってしまいます。
また、発声を教える教師たちにとってもこれは大切なことです。
発声を診るときの<心得>に「耳が音色にごまかされてはいけない!」という言葉があります。
「音色」による判断は本質的なことを見落とす危険があるという意味でこの言葉は大切とされています。
大事なこと、それは発声器官のメカニズムです。
発声指導は「音色」に主眼点を置くのではなく、良い声を出すための神経や筋肉のメカニズムを体得させることなのです。

第22回「音色について」終わり


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