第24回('97/9/26)

表現法(顔の表情)

「音楽上の感情表現は歌い手の、あるいは奏者の思いの強さだけでは表現できません。
演奏テクニックが必要です。」
と、第21回「感情表現について」の項で書きました。 今回はこれに少し矛盾すると思われるかもしれない事柄を書きます。
それはテクニックなどとは縁遠いところでの顔の表情についてです。

合唱の棒を振っていると、歌い手の中に表情たっぷりに歌っている人が何人か目に入ります。
その人たちの中にはしっかり歌を歌っている(テクニックが備わっている)人もあるのですが、中には意外と、声も小さく表現が乏しい、ということもあります。
とはいえ、大勢の中では目立ってその表情がクローズアップされ、全体のムードメーカーとしての働きを充分に果たしているんですね。

歌うことそれ事態が嬉しいといった表情のこともあります。
歌の内容に即して表情が変わるといった「役者」ばりの本格的な人もいます。
中にはどんな内容であっても内容に関係なく表情を作る人もいます。
目を閉じて聴くと別にどうということなく演奏されているのですが、目を開けて歌い手を見ると表現たっぷりです。こんな演奏に出会ったことありませんか?

オーケストラの演奏では顔の表情は余り変わりませんね。
その代わり動きが随分違ってきます。
例えば、バイオリンなどは腕の動きを変えて弓をいっぱい使ったり、少ししか使わなかったりします。
管楽器などは楽器そのものを動かして表現することが多いですね。
こういった演奏にお目にかかれるのは概して欧米諸国のオーケストラです。
日本のオーケストラはこの点においても動きは少ないように思います。(最近少し変化している兆しがあります。我が国を代表するあるオーケストラの演奏は近年動きを増してきましたね)

さて、今回の私の提案です。

表情たっぷりの歌い手は楽しいです。
いかにも「苦行」しているような歌い姿は頂けません。
勿論、歌の内容にあった表情を見せてくれるのは一番の理想です。
表情は「こころ」から生まれます。
巧さ(テクニック)は「頭」から生まれます。
<表現>とは、この「こころ」と「頭」から成るものです。
この「表情」と「巧さ」のバランスが大切なのですが、どちらかというと「巧さ」に反応してしまいがちな私たち日本人としては、「表情」に重点を置くことによってバランスが保てるのではないかと提案したいわけなのです。

歌っているときの顔の表情は

顔はその人の全人格を表すものです。
顔の表情はその人の「経験」「教養の豊かさを」を示すものです。
音楽の享受を喜ぶ「こころ」の上に人格を積む。これが音楽するものにとっての幸福です。
表情が無くなって歌を歌いだしたら注意信号です。
すぐさま、音楽を楽しむべく方策を練らねばなりません。
一度、歌うことをお休みするのも一考かもしれませんね。

歌うこと、それは感情を伴った精神活動です。
感情を豊かに持ち、表現する。
それを表すのが顔の表情なのです。
顔の表情作り、これも大事な「発声訓練」の一つなのです。

第24回「表現法(顔の表情)」終わり


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