第41回('02/4/20)

演奏のポイント<切実性>について

コンクールの審査をお引き受けすることがあります。
音楽での優劣を競ったり、評価をすることに少し気が咎めることもあるのですが、私自身「演奏の色々」を楽しめるという利点に惹かれて重い責任を感じつつ私の音楽観を通して<評価>させて頂いています。

先日、少人数のアンサンブル・コンテストの審査を引き受けた際に「評価基準」なるものの提出を求められました。
なかなか良いアイディアです。
受けられる人たちにとってはどのような基準でもって審査されたのかが解りますし、審査する側にとっても指針の統一が図れます。

どのような「評価基準」だったか書いてみましょう。
項目は五つからなります。
1.発声
2.アンサンブル
3.選曲
4.様式・解釈
5.音楽性
です。

私はそれぞれに次のような基準をもうけて事務局に提出しました。

1.発声
適切な倍音構成を伴う発声
母音の純粋性
スムーズな声域間の移行と同質性

2.アンサンブル
パート間におけるバランス
発音の統一
音程・アーティキュレーションの揃い
適切なフレーズ処理

3.選曲
バラエティー性
意欲的・個性的であるかどうか
統一性のあるコンセプト

4.様式・解釈
正確な楽譜の読み
適切なテキスト内容の解釈
歴史的演奏様式の把握

5.音楽性
自立性
生命力
切実性

当日はこの基準によって審査しました。
その中でも<音楽性>の項目が私が審査するという意味を顕著に表すことになります。

<自立性>は如何に個性的演奏であるか、に通じるのですが自発的な演奏を望みたいということです。
<生命力>は生き生きと表現できているか、血の通った演奏とでもいうのでしょうか<熱さ>を感じる演奏を望みたいということで書きました。
しかし、もっとも私にとって関心があるのは
演奏での<切実性>です。
この<切実性>ということ、自立そして生命ということも含まれてしまいます。

<切実な思い>というのがあります。
痛烈なこと、我が身に直接さし迫ってくること、とは広辞苑に載っている意味ですが、それでは音楽上での<切実な思い>というのは如何なるものか。

指揮者や演奏者が<共感>を持って作品に接し、演奏するということからそれは生まれます。

作品への向かいかた、演奏の表現に<絵空事>があってはなりません。 作曲家の感情や主張に演奏者としてどこまで迫れるかなのですね。
<時代>を表現することもあるでしょう。
<祈り>を全身全霊で唱えることもあるでしょう。
<切望>を神に向かって必死に嘆願することもあるでしょう。
<生きる喜び>を謳歌することもあるでしょう。
<命のはかなさ>を歌うこともあるでしょう。
<悲しみや苦しみ>の哀歌を叫ぶこともあるでしょう。
すべて人の営み。
その営みが生み出した<音楽>です。
その表現に<誤魔化し>があってはなりません。

<切実>な演奏とは、思いを尽くしての「人としての営み」を表現することなのです。

思いを伝えるには<強い主張>が必要です。
<強い主張>にも拙さもあれば奥深さ、立派なものもあります。 しかし、それぞれが<切実性>に富んでいる、それこそ生きているという<証>だと私には思われるのです。

この「合唱講座」で発声等などの技術的なことを書くことが多いのですが、時折、音楽する原点に立ち返りたいと思っています。
なぜ音楽するか、なぜ歌うのか、技術とは何か、技術をどのように使うか、どこになぜ使うか、といったことを思い起こすことが必要だと考えます。
コンクールの審査を通して教えられることが多くありました。
<切実性>を聴く。
それが音楽家としての私にとって一番大事な項目なのです。

第41回('02/4/20)「演奏のポイント<切実性>について」終わり




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