第43回('02/8/28)

実践でのメロディーとハーモニー作り(ピタゴラス音律の補足&純正律へ)

純正3度の響きの話をする前に、もう少し「ピタゴラス音律」に関する話をしなければなりませんでした。
これは譜読みに関するソルフェージュとも関連があるのですが、<教会旋法>について述べておかなくてはならないのですね。

とはいうものの、この教会旋法、分厚い一冊の本になるぐらい内容は多岐にわたります。
詳細については「グレゴリオ聖歌」水嶋良雄 著 音楽之友社、「グレゴリオ聖歌の歌い方」テ・ラローシュ著 岳野慶作 訳 音楽之友社、「グレゴリオ聖歌」ジャン・ド・ヴァロワ著 水嶋良雄 訳 〔文庫クセジュ〕白水社 などを参照なさって下さい。(実際読み終えるのは根気がいると思いますが、関心のある方は是非お読みになることをお薦めします)

大事なことは、レミファソラシドレ、ミファソラシドレミ、ファソラシドレミファ、ソラシドレミファソ、ラシドレミファソラ(これらの音階にはそれぞれに名前や番号が付けられています)、とスラスラと歌えること(長調と短調という二つに大きくまとめられてしまった音階に慣れ親しんだ私たちには少し難しく感じるはずです)、そして、是非知っておいていただきたいのですが、その音程の幅は今日使われている平均率より全音が広く、半音は狭いということです。(前回の第42回を参照)
もちろん上の音階を歌うとき、臨時記号の♯や♭をつけてはなりません(すこし説明がいるのですが、これは<導音化しない>自然の状態です)。
また練習する場合、音階を順次に上下して歌うだけでなく、任意な音のつながりでも歌えるよう訓練します。
そして、できれば二人で歌う(一人はドを歌いもう一人はミを歌う、といったように)3度の不協和な響きを体験してください。これはちょっと新しい発見になるかも知れません。

さて、前回に続く和音の話に戻します。
「ピタゴラス音律」は、人声のために考えられ、書かれた「グレゴリオ聖歌」を歌うための<音律>です。
伴奏も無く、一人で歌う音楽(モノフォニー)の為のものです。
ハモらせるといった合唱音楽のためのものではないのですね。
それが時が経つにつれ、一人、あるいは複数で同じ旋律を歌っていたスタイルから、違った旋律を一緒に重ねていくというスタイルも生まれてきます。
「和音」の誕生ですね。

歴史の流れを示します。

音律時代項目
ピタゴラス音律古代から中世(〜1400)グレゴリオ聖歌だけでなく、中世吟遊詩人たちも採用していたと言われています。
16世紀に至るまで西欧音楽の基礎となっていました。現代でも独唱や独奏などに受け継がれているといわれる音律です
純正3度の登場(純正律)ルネサンスイギリス・アイルランド地方から伝えられたとされます。3度や6度の平行音程によってなぞられる「フォーブルドン」技法が有名です。
純正5度や純正4度の世界に純正3度が登場したことは音楽のホモフォニー的な傾向を一層促すようになりました(合唱音楽の始まりです)


「和音」という概念の誕生はより協和する響きへの探求です。「ピタゴラス音律」で生じていた不協和な3度の<協和性>の発見は、一層「和音」という概念を促進していくことになります。
純正3度の響きはイギリス・アイルランド地方から伝えられたといわれていますが、大陸側でも、よく響く聖堂などの残響によって既に知られていたと思われます。しかし、<倍音>として理論的に理解されるまでにはもう少し時間が必要でした。大陸での3度の純正の響きは徐々に浸透していったものではないかと私は思っています。

「音律」の歴史は3度を協和させるよう修正・補正すること、そして「ピタゴラス音律」での「五度圏」の環を閉じることでした。(純正5度を十二回積み重ねると元の音に戻ってくるのですが、この戻ってきた音は始めの音と完全に一致しないという問題がありました)


「音律」の話をするときに忘れてはならないことがあります。
それは、何故3度や5度の修正・補正が必要なのか?ということ。
もともと、音の高さを自由に変えられる「声」や「弦楽器」、管楽器のトロンボーンなどは問題にはなりません!
つまり管楽器の原理もそうなのですが、これらの楽器(もちろん声が最良ですが)は自然倍音によっていつでも<うなり=ゼロ>の純正な響きを得ることができるということです。
では何故必要となったか?
それは音楽スタイルが声楽曲から器楽曲へと移り変わっていく中で、その中心であった鍵盤楽器では適応できなくなってしまったからです。(つまり、器楽〔特に鍵盤楽器〕にとって必要だったのです)
(鍵盤が最初に取り付けられたのはオルガンでその時は白鍵だけの音階でした。十世紀ごろ、B♭の黒鍵が加わり、全ての黒鍵が揃うのは十四世紀頃だといわれています。初期の頃のオルガン調律は、ピタゴラス音律に基づき、それが十六世紀以降、純正調による和声的なスタイルになって調の範囲が広がってくると、オクターヴ内の十二個の鍵盤にどのように音高を振り分けるかが重要な問題となりました)
これは重要なこととして銘記すべきだと思います


「純正律」
さて、我々合唱に関わる者にとっての<実践のハーモニー(純正の響き)>がやってきました。
純正の響き、それは
二人の声(二つの音)でも、3人(三つの音)による三和音でも、「倍音の法則」に従えば「うなり=ゼロ」の純正な響きが得られることは上にも書きましたが、簡単です。(鍵盤楽器に助けてもらう必要はありません)
耳を澄ませ、「うなり=ゼロ」を聴き取る。それだけです。
(純粋な五度の響きの中で、3度をどうハモらすか、ですね。〔平均率に慣れてしまっている人は、3度を平均率より低く取ることになります〕こうした意味でも純粋な5度や4度を体得することは必須です)

問題は「純正な響き」をどのようにして作るかということではありません。
私たち合唱をする者にとって考えなければならないのは、旋律である横の流れと純正の響きとをどう関係づけるか?ということです。
難しさは純正の響き作りにあるわけではありません。
音楽の横の流れの中でどう対応させるか?にあります。

参考のために、以下に「ピタゴラス音律」と「純正律」による音階での音程を示しておきます。
(この段階で考えるとすれば)我々は「ピタゴラス音律」で歌うのか。
「純正律」で歌うのかが問われます。
どの「音律」で歌うのかで(後に「ミーントーン」「ヴェルクマイスター」という音律も現れます)和音構成音の修正の仕方が変わってくるのですね。


「ピタゴラス音律」音階では今日の「平均率」音階と比べると以下のような特徴があります。

12345678
ピタゴラス音階ファ
セント+4+8-2+2+6.0+10

平均率に比べて全音は+4、そして半音は-10という狭さでした。


「純正律」音階では以下のようになります。

12345678
純正律ファ
セント+3.9-13.7-2+2-15.6-11.7

「純正律」では平均率に比べて第三音、第六音、第七音が10セント以上低いのが特徴です。全音も広い全音(大全音)と狭い全音(小全音)が存在します。上のCを基準とした音階では「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」「ミソシ」「ラドミ」が純正の和音となります。「レファラ」はとても不協和に響き、使えません。
(「シレファ」は完全5度を含まない不協和な響きとなるため使用されませんでした)

「純正律」で調整された鍵盤楽器を使う場合、調が変わればそのごとに楽器を変えなくてはならなくなります。
この不便さが次回の「ミーントーン」という「音律」を生み出すことになります。
繰り返しますが、合唱では何ら問題は起こらないのですね。
自由に調整できるのが「声」だからです。



和声の響きは「純正」から「調整された響き」への歴史です。
純正の響きを得ることはそんなに難しいことではないのですが、音楽表現ではどのような響きとするか、それが重要なわけです。

全てが純正に響く音楽を理想とするのか?

その答え、いましばらく保留としておきましょう。

次回は「ミーントーン」についてです。

*(「音律」によるセント差の数字など、多くの先達の方々の著作を参考にさせていただいています。参考資料をお知りになりたい方はこちらをご覧下さい)

第43回('02/8/28)「実践でのメロディーとハーモニー作り(ピタゴラス音律の補足&純正律へ)」終わり


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