第51回

旋律(メロディー)をどう歌うか?


コンクールの審査員をお引き受けしていろいろな所に出かけることがあります。
音楽に上下などないと思っているのですが、にもかかわらず優劣を競って順位をつけなければなりません。それに少し抵抗を感じながらも、「今の合唱」を聴く機会としては貴重な場ですからそう多くはないのですが出かけることにしています。
そして行けば、「講評」など仰せつかって皆の前で喋らなければならない事態が起こることしばしばです。
出来る限りお断りしたいのですが、主催者側の意向なのでしょうか、年回りであるのか、順番なのか、お引き受けせざるを得ないこともあってこれまでにも何度か講評をしてきました。

よく云われているようなのですが、「当間さんは発声のことしか言わない」というイメージが強いらしいです。
そんなことはなく、私としては「歌い手としての喜ばしい思いを」、「曲の内容をもっと聴きたい」、「様式感に沿った演奏を」、「自発的な、積極的な曲へのアプローチが望み」という趣旨のことを言ってきたことが多いと思うのですが、発声について喋るときは語気も強く、確信的に言うものですからそれがメインのように受け取られているのかもしれません。
ハモれるかどうか、言葉が明瞭になるかどうか、様式に見合うかどうかはひとえに「発声」に関わっているわけですから合唱を語るとき「発声」のことを抜きにしては何も語れません。
我が国では合唱における一貫した「発声法」がまだまだ確立していないと思う私ですから、もっと様々な実践に基づく積極的なアプローチと議論が必要だとの思いで、強調して喋ってしまうのだと思います。

ということで、これまでは「発声」、特に「倍音と関連したハーモニー」を中心に記してきたのですが、最近聴いたコンクールでの演奏で少し気になることもあって、今回は「旋律の歌い方」を取り上げることにしました。
私が聴いた演奏、それはハーモニーとしては良く響き合って充分。倍音も多く、明るく、いわゆる純正に近いハモリでした。
しかし、聴いていくほどに何かしら特徴のない(個性が無いというか、何を語りたいのか判らない)歌に違和感を覚えるのです。
その原因が「旋律の音程」にあると判りました。
音程の取り方が平均的というか、和声の機能とも無関係な変化に乏しい流れのメロディー、というわけです。合唱を語るとき、つい「ハーモニー」のことに集中しがちですが、最近ハーモニーも整ってきた団体やグループが増えつつある現状にあっては、いよいよこの「旋律」について語らなければならない状況になってきた、という判断です。

それでは、前置きが長くなりましたが《「旋律」(メロディー)の作り方》です。

音楽にはそれを構成する様々な「音階」があります。
その音階での、音と音との隔たりはそれぞれに異なる、ということが今回の重要なポイントです。
つまり、このページで取り上げている西洋音階には「幅」の広い音程と狭い「幅」の音程とがあったということです。
まず、「全音」と「半音」がありますね。
そして今回の問題、この「全音」や「半音」にも実は幅の広いものと、狭い幅のものとがあるということ。
これを理解し、実践しなくては実はメロディーは語れないのですね。
歌ったり、奏したりする時、時として意識的にその幅を調整しなければならないというわけです。

「調性された音程」を用いればどういったことになるのか?
より性格的になる、つまり感情の表出が一層豊かになるということです。
過言でなく、音から音への繋がりの中、人生観や世界観が変わるほどの感動を得る、ということになります。

よく知られたこととして、「純粋なハーモニー」を求めるためには音階上の二度音、五度音、七度音は高めに取るということがあります。(ハ長調でいうならば、レ、ソ、シの音ですね)
「純粋なハーモニー」作りだけでなく、これを実行するだけでも旋律は一層表情豊かなものになるのですが、私の主張はそれにとどまらず、いかなる音程にもそれにふさわしい(言葉のニュアンスがその決め手になることが多いでしょう)音程を用いるべきものだというものです。
詳細は今回省かざるを得ませんが、音と音との隔たり、つまり「音程」は感情の起伏に伴ったピッチを取らねばならない、とそう私は考えるのです。

【練習】

音取りの初期の段階では良く調整(調律)されたピアノに合わせて練習するのが良いでしょう。
(ある段階になればピアノで音取りをするのを止めるほうが良いのですが、最初は楽器を使って音取りをしたほうが悪い癖がつかなくて良いと私は思っています。
 
一応メロディーが歌えるようになれば次ぎは「調整された音程による旋律」に挑みます。
上記した音階上の二度音、五度音、七度音を高めに取ることから始め、それに加えてその他の音も調整してみます。
他のパートと合わすいわゆるハーモニー練習では、調整された旋律(主にソプラノですが、他のパートに旋律が移った場合にはそのパート)に他の声部を合わせていきます。・・・・・・(と、簡単に書いてしまいましたが、実際の現場ではそう容易く「調整」も「合わせ」もできるものではありません。良い耳と、音楽を仕上げるためのしっかりしたイメージが歌い手にも指導者にも必要です)

旋律を理解し、歌えるようになれば次はハーモニーです。
「ハーモニー作り(合わせ)」の段階には出来るだけピアノは使用しない方が良いですね。(楽譜をずっとなぞるというのはよくありません。もし使うとすれば、単音でのメロディーの最初の音だけに限るべきです)
ハーモニー作りに関することは下の項目を参照してください。

【音程作りに関する補足】
理想的には、曲を歌い込んでいく過程で自然に調整されていくのがいいと思います。
つまり、曲の内容にふさわしい表現を演奏者が解放された感性として歌い込んでいくならば、それは感情の起伏の結果として自然に音程の幅が違ってくる筈です。(調整される音程は小差なものですから楽器に頼ることができません)
和声の知識も必要です。
和声にはそれぞれに意味があります(意味を持つことが出来ます)。
つまり「機能和声」です。
和声には働きがあるということですね。
作曲家はその機能を用いてハーモニーを作り、構成していきます。(西洋音楽史での18世紀、19世紀の音楽はまさにその宝庫です)
ですから、その機能を知って、そして感じながら演奏するならば自然に感情の起伏が生まれ、音程にもそれが現れるということになります。
歌い込みによって自然に音程が調整されていくということは実はこの事情に因るものです。

文章だけでは解りにくいかもしれませんね。
次回に実践編の「練習過程」を書いてみましょう。
楽譜を示したり、ウェッブ上で音が聞けるようになればいいと思っています。

第51回「旋律(メロディー)をどう歌うか?」この項続きます。


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