第52回

Vibrato(ヴィブラート)


ヴィブラートについての質問が寄せられました。
そう言えば、まだ書いていなかったことに気づいたのですね。
現場では強く意識し、また注意もしている事柄です。
今回はこのことについて書いてみましょう。

◇ヴィブラートとは?  まずはその定義です。
微細な《音高(ピッチ)の変動》です。ラテン語のVibrare「震わす」に由来します
大事なことは音高(ピッチ)が変わること、揺れるということですね。これが大切。 くどいようですが、揺れる・震える原因、それは音高が一定でないということなのです。

実は、少しややこしくしてしまうかもしれないのですがヴィブラートにはもう一つあります。音高の変動ではなく《音の強弱の変動》で起こる現象、表現法です。
これはクラヴィコードという楽器に用いられる技法で、打鍵後に鍵盤を揺らす(打鍵した指を強めたり弱めたりして音を揺らす)ことで起こります。
実はこれは「トレモロ」のことなのですが、歴史的に呼称が混乱しています。

ヴィブラートには二つあるということなのですが、ここで扱うヴィブラート、すなわち合唱音楽で問題となるヴィブラートは《音高(ピッチ)の変動》です。
(しかし、最終的な結論を言うならば、ヴィブラートとは《音高と強弱の変動を併せ持った技法》だということになります)

◇ヴィブラートは必要なのか?
よく聞かれることに、ノン・ヴィブラートで歌うべきか、ヴィブラートをつけて歌うべきかという問い。
これはハッキリしています。ノン・ヴィブラート、つまりヴィブラートが無いということは現実にはあり得ないことなので(声楽においては特にそうです。楽器や電子音ならばヴィブラート無し、ということはありえます〔しかし厳密にいうならばこれもありえないことでしょう〕)、この問いそのものについての答えは不正確になりがちです。(質問そのものが問題をはらみます)

しかし、敢えて「ヴィブラートはつけて歌うのです」、これが私の答えです。
ただ、問題になるのはそのヴィブラートの「質」と、その「用いられ方」です。

◇「ヴィブラート」とはどういった現象なのか?
上にも書きましたが、ヴィブラートとは《音高(ピッチ)の変動》です。
電子楽器ではピッチなどをコントロールできますから、音高や強弱の変動を起こさないようにもできます。
しかし、声帯の振動による「声」では絶えず筋肉や筋などの緊張・弛緩の繰り返しで音高や強弱の変動が起こります。
それを「起こさないようにする」ということの方が実は難しいことなのですね。(筋肉を固定すること自体無理なことです)
演奏テクニックでのヴィブラートの制御、それは「揺れを止めるテクニック」でもあると認識されてよいわけです。
確かに、「ヴィブラート」が掛かりやすい人(掛かってしまう人)、「ヴィブラート」の掛けにくい(掛からない)人が居ます。人それぞれですね。
片方から見れば、反対側のこと(状態)が解りにくいことでしょう。
掛かってしまう人にとっては「掛けないように」するのがとても困難。掛からない人は「掛けるのに一苦労」という状態が起こります。
ヴィブラートの正体を見る、これが問題解決の早道でしょう。
では、「ヴィブラート」とはどういった現象なのか?

■音の揺れ、ピッチ変動のイメージ図(1)

上波図形

基本のピッチから上にずれる(高い音程を取る周期的揺れ)パターンです。



■音の揺れ、ピッチ変動のイメージ図(2)

下波図形

基本のピッチから下にずれる(低い音程を取る周期的揺れ)パターンです。



■音の揺れ、ピッチ変動のイメージ図(3)

上下波図形

基本のピッチから上下にずれる(上下に音程を取る周期的揺れ)パターンです。



実際にはこれらの混合になると思いますが、一つ一つのパターンをイメージすることは大事でしょう。
図の(1)(2)、演奏での印象の違いは大きいのですが、まず基本的ピッチは保たれることから「ヴィブラート」をコントロールするならばこのイメージです。
しかし、図の(3)では慎重にならざるを得ません。
このパターンでは、上手く揺らさなければ基本的ピッチが維持できず、合唱などの「純正ハーモニー」づくりにおいては不適切。困難になること明白です。
とくに揺れが大きくなればなるほど(ピッチの幅が、音程の幅が大きければ)「純粋ハーモニー」を体験することは不可能ですね。
現場で多く見かけるのはこのパターンではないでしょうか。(実は、弦楽器などのヴィブラートはこのパターンです。しかし指によるこの揺れは比較的幅が狭く、またコントロールも自由にできるというところからこれは推奨されています)
ハーモニーはピッチ(音の周波数)の組み合わせです。その組み合わせで美しくも響き、また濁ったりもします。
「ヴィブラート」が〔ピッチの変動〕ですから、その変動、揺れがハーモニーに与える影響力はダイレクトです。
「ハーモニー」と「ヴィブラート」、この二つは最も深く関係する、ということですね。
純正律という響きが「ヴィブラート」によって永遠に聴けない、ということも起こり得るのです。
しかし上にも書きましたが「ヴィブラート」は起こるものです。そしてまた、時として必要なものです。
「ヴィブラート」によって積極的に「美」に貢献する。その道を摸索する。それが私の持論です。

◇では、図の(3)のタイプである基本のピッチから上下にずれる(上下に音程を取る周期的揺れ)パターンをどうコントロールするか?

独唱と合唱とに分けて考察することが肝要です
しかし、ここでは独唱における「ヴィブラート」は省きます。(独唱者の数ほどにその用いられ方も方法もあり、下に述べる「個性」に総称される「精神性」「身体性」にも関わることなので、それらを統括するような記述はさけたいと思います)
ここでは合唱時におけるその問題ですね。(深く「ハーモニー」に関与するからです)
先ずは、発声時における筋肉の揺れを無くすことです。
拮抗筋とのバランスを保つことです。

〔「ヴィブラート」の原因の多くは「呼気」とそれを受ける発生機構〔声帯とその周辺筋肉〕の拮抗、つまり釣り合いの問題ではないかと思います。それらのアンバランスが「揺れ」を起こしていると考えます。ここでも「呼吸」の強化とその安定が要となるのですね〕

筋肉の強さなどのアンバランスで起こる「揺れ」(喉頭内筋や喉頭を取り巻く筋肉群の揺れ)は出来る限り克服すべきですね。
これらを運動や体操によって強化し、バランスを取るということも当然ありますが、まずは、「揺らさず」「真っ直ぐな」声を維持するよう心がけることから始めます。
始めてから少し経って「揺れ」がコントロールできるのであれば、しめたものです。思い通りのコントロールはそう難しくもなく体得できるでしょう。
どうしても、揺れが止まらない人。これはじっくり取り組むということになります。
体操も必要です。部分的な筋肉の強化も必要になるかもしれません。
この対策には「その人」ごとにメニューが作られます。
ここでは詳細は省きます。(いずれ、これらについては近々発行しようと計画しているテキスト「OCM歌唱発声法」の新改訂版に「体操」として掲載するつもりです)
何度も書きますが、「ヴィブラート」はピッチの変動なのですから、その変動を起こす原因を取り去ればよいわけです。
身体の問題として解決する方法を模索、強化、すればいいのです。
ただこの「ヴィブラート」、身体の問題だけでない要素もあって複雑になっています。下の項がそれです。

【最重要事項】
ヴィブラートは文化に根ざし、深く精神と関わって趣味や嗜好として表面に現れている、ということです。
つまり、芸術性としての「美」をどう捉えるか、というところと深く繋がるのですね。
「純粋ハーモニー志向」による出来る限り「揺れ」を抑えての「ヴィブラート」。
「純粋ハーモニー」といったことよりも「音色」、響きの「豊潤」さといった要素に重きを置く「ヴィブラート」。
「主観的」要素として、「客観的」要素としての「ヴィブラート」。
その判断や楽しみ方、その種類は、深く深く精神との関わりの中にあるということ。これがこの「ヴィブラート」の問題を複雑にしているのだということを識って、取り組んで頂ければと思っています。

合唱における「ヴィブラート」
歴史的、様式的に考査した結果の「ヴィブラート」。
出来うる限り抑えられた「ヴィブラート」(ノン・ヴィブラートと一般に呼ばれているもの)から、ピッチが判らなくなるほどの揺れの大きい「ヴィブラート」までを使えるということが理想でしょう。
「ヴィブラート」にはそのピッチの幅から速度、大きさまで様々です。
それらを自由にコントロールする。
これが「ヴィブラート」の本質だと私は考えます。

第52回「Vibrato(ヴィブラート)」終わり


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