第107回('06/04/30)

「ヨハネ受難曲」(オペラ形式)を終えて

終曲のコラールが終わって暗転。
一瞬の間があって会場には大きな拍手が鳴り響きました。(喝采してくださる声も響きます)
会場は満席。
カーテンコールの間も拍手は続き、立って大きな身振りで拍手をしてくださるお客様。
「これは成功なのだ」、と思いました。

コンサートホールで「オペラ化」する、これは色々な意味で困難を伴います。
ステージ上で組む大道具に制約が起こることも避けられません。
照明やオケの演奏場(オケピットがあれば問題はないのですが)も理想的な条件が整っているというわけでもありません。
その中での公演。
しかし、制約があるからこそ意外な面白さも生まれる可能性がある。
初めての「オペラ化」への取り組みとしてはかえって良いかもしれないとの思いで決行しました。

合唱が中心の曲です。
合唱の精緻なアンサンブル、そして音楽的な内容とを一致させながら動きを作る、という課題。
団員一人一人が、「体の動きに伴う表現力」という問題としっかり向かい合えたのではないか、そう思っています。
独唱は今回すべて団員によるものでした。
正直いって、もっと研鑽を積ませてからという配役もありましたが、日頃から「阿吽の呼吸」で演奏している者たちです。
初めての試み、「作り上げていく」という過程が必要だったこともあって今回の配役としました。

これまでも演奏の中で動きを「演出」することはありましたが、「オペラ」という劇を演出するということはそう安易に考えられるものではありません。
事実、私自身にとって理想と現実との隔たりは大きく、これはやはり「専門家」によるアドバイスが必要だとの思いです。その必要性を強く感じます。(演技指導が大切)
今回は私がある程度までそれぞれのシーンでの動きを要求。それ以後は団員たちの工夫による動きへと繋がっていきます。
その想像性と実行力、素早さと集中力はさすがです。(「シュッツ合唱団」30年の積み重ねでしょうか)
ただ、そういうプロセスを踏むことに重要性を見いだしてのこととはいえ、指揮をする私がもう少し全動きを詳細にわたって確認、及び手直しの過程に多くの時間を費やすることができなかったというのが少し心残りです
私自身が全体の指揮をする、その私が同時に会場の真ん中で全体の動きを確認する。この両方が出来れば・・・。
多くのスタッフに恵まれているとはいえ、「オペラ」にはもっと様々な「人」が必要だということなのですね。

今回、当初からの計画だった「照明」、それが入ったことが成功の大きな要因だったと思います。
照明の効果というものは絶大です。「光」の芸術ですね。
その「光」を用いて「絵画的な構図」を。
イエスの母マリアとマグダラのマリア、悔恨のペテロ、そしてむち打たれた「イエス」との三角形の構図。
さらに天使が加わっての構図。
光と陰によってシーンを刻む。そう意図しました。
また十字架の象徴である文字による「人文字」(「v」「y」「x」) 私の意図を素早く読み取って照明を作ってくださった船阪義一氏に感謝です。

「再演」をとの声を多く頂いています。
現在、来年のスケジュールを調整中です。
次回には今回をベースにしての更なる「充実度」(音楽そして演出とも)となるよう、一層の思いで取り組む決意です。

第107回('06/04/30)「「ヨハネ受難曲」(オペラ形式)を終えて」この項終わり。


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