第114回('07/09/25)

「和歌山バッハ・コール」の活動に終止符を打つことにしました

1988年8月からお引き受けした「和歌山バッハ・コール」の活動を本日を以て辞めることにしました。
19年間でした。
「和歌山でバッハを」をスローガンに発足した合唱団、演奏ごとに「和歌山初演」という内容でした。

創設時の活動は勢いがありました。
正直、演奏スタイル、発声等困難な問題に直ぐさま直面しましたが団員たちの前向きな姿勢によって記念すべき演奏が和歌山に響き渡りました。
モテット、カンタータ、受難曲、ミサ曲、どれも記憶に残る和歌山県音楽演奏史上誇るべき偉業になったのではないかと自負します。
また、演奏内容も飛躍的に向上をつづけ、定演ごとに充実したものとなっていると多くの方々からお言葉を頂く団へと発展してきました。
参加して下さった団員の皆さんに感謝です。

しかし、「和歌山」は遠かったです。(笑)
大きな企業が和歌山県からどんどん離れ、華やかだった街もだんだん人影が少なくなっていく時期と実は重なっていました。
創立当時は、繁華街にも時々ではありましたが繰り出し、大いに酒宴も盛り上がっていました。
それがみるみる勢いが無くなっていきます。街は加速しながら寂しくなっていく様子は哀しかったです。
その加速はいっこうに弛みませんでした。
それどころか、最近は交通も不便になり、以前に比べてダイヤもまばらで私の自宅から練習場まで2時間半かかるという具合です。
往復5時間かけての出勤でした。

勢いがあるうちはそれでも道中は楽しかったですね。
それこそ「和歌山にバッハを」が頭の中で渦巻き、熱い思いが私にも団員にもみなぎっていました。(笑)
遠方である、なんて全然苦にはならなかったです。
そして、お客様にも恵まれました。
一生懸命に応援して下さいました。
特に練習場としてもお借りしていた教会でのコンサートはとても雰囲気も良く、涙しながらの演奏もしばしばでした。お客様が私たちを「乗せて下さる」とても素敵な「音楽聴衆」でした。

「辞める」原因、それは団としての「展望」が開けなくなっていた状態と併せて、団運営の不備が重なったことに因ります。

「展望」ということに関しては音楽の時流ということがあげられるでしょう。「バッハ」の音楽に興味が持たれない(しかし、少数ですが熱心なバッハ・ファンがいらっしゃいます)、ということもあるかもしれませんが合唱活動そのものも低迷しています。
一時期、関西では100名以上の団も多くありましたが、今ではそれらの団も半数以下になっていると聞きます。
多くは20人前後の団でしょうか。
関西だけではなく、全国的にみても音楽人口が減少したことは確かでしょう。(合唱団の個別化という「これから」に期待できる要素があると見ることもできますが・・・・)
上にも書きましたが、和歌山では「尚更」の感を強く持ちます。
ここ数年、「和歌山バッハ・コール」も新団員が増えませんでした。
現在では十数名となっています。
もちろん、十数名でも演奏はできます。アンサンブルということからすれば「いい人数」です。
しかし、アマチュアのこの人数ではいろいろと滞る問題が起こります。
特に団運営という問題では少数ということで明暗がハッキリと出ます。

「少数」がゆえに結束が堅くなって一層強くなることもあれば、「少数」と《意思疎通欠如》が重なって《軋み》が生まれる、ということもあります。
今回は残念ながら後者の意味合いが濃いということになりました。

私の提案に基づき団員の方々が幾度か話し合いをしたようです。
その結果「閉じる」ことが決定されました。

「和歌山バッハ・コール」の活動を停止せざるを得なくなりました。
残念です。
これまで支えて下さったお客様に心からの感謝、そして続けられなかったお詫びを申し上げます。
お顔を思い出すごとに胸が痛みます。

残念ながら「和歌山」での私の活動はこれで一旦終止符を打つことになりました。
また、いつの日か当地での演奏を通じてお目にかかれることを楽しみとして、「一時お休み」です。

「和歌山」が《近い》と思うような「その時」を楽しみにしたいです。

第114回('07/09/25)「「和歌山バッハ・コール」の活動に終止符を打つことにしました」この項終わり。


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