第118回('08/07/18)

初めての試み《こどもとおとなのためのコンサート》

*(掲載の写真はすべてリハーサルのものです。)

演奏するとは聴衆に何かを伝えることだと思っています。
「何か」とは・・・・、作品が持つ音楽的内容ですし、そしてそれは一般的に理解しやすい演奏技術(テクニック)だったりもします。
聴衆が求めるものは多種多様です。当然それらを満たすために作曲家や演奏家は作品や演奏を提供しようとするわけですが、人によっては創作としての独自の世界を示しているものがあって、その時は聴衆は「理解できない」「判らない」という事態になることもあるわけです。
いずれにしろ「演奏」とは、聴衆が求めるもの、あるいは演奏者が表現したいものとの間(はざま)での表現内容となります。

初めての試みである《こどもとおとなのためのコンサート》は聴衆との新しいコミュニケーションを摸索するコンサートでした。
これまでにも依頼による同様なコンサートもしてきましたが、それは一般的に行われている「教育的な鑑賞会」を越えることがないように内容を押さえていた感があります。
求められるものを満たす、これは一見簡単なようで実は難しいです。
求められるものを満たしてこそのプロなのですが、どうも私は今一度、求められているもの、そのものの再考を試みようとしているようです。
〔聴き手におもねることなく、演奏者のおごりでないプログラムを〕

一番避けたいと思っていること、それは二重に重なる聴衆がいるように見えてしまうコンサート。
前列にいる聴衆、そしてそれを見ようとして後ろや側に立つ聴衆、そういった二重の列として見えてしまうことを避けたいのですね。
つまり実際に聴き、感じようとする聴衆(児童・生徒・学生の部類)と、教えたい与えたいとする人たち(先生・教育関係者などのひとたち)との二重構造です。

後方やサイドに立って「教育的配慮」に配慮しなくても良いように、できればその方々とも一緒になって直接的に児童や生徒、学生とコミュニケーションを取りながら進めていく。これを趣旨としたいわけです。

簡潔に言えば、会場が、ホール全体が「音楽を聴くことで一体となる」、そんなコンサートをしたいのですね。
そのためには演じるものも聴くものも瞬間瞬間「息づいて」いなければなりません。
熱く「時を刻む」ことでなくてはなりません。

当日のプログラムは未成熟ながら、そのことを摸索した第一歩でした。



演出を凝らしました。いきなり客席後方部から入場する男声合唱。歌は「グレゴリオ聖歌」です。
(「このコンサート、普通じゃない!」そう思っていただくことで耳も心も活性化が始まる、と思う私です)
客席を通ってステージに上がった面々。上がればそのメンバーの中の一人によってグロッケンが奏され華やかなオープニングとなります。
(楽器が加わって響きに拡がりを与えます。歌を歌っていた者が楽器も奏する。それも拡がりを感じてもらえる演出の一つでした)

一同がステージ上で並んだとき、サイドから一人登場です。

亡くなった船阪義一氏に代わってナビ役を務めてもらった白木原一仁さんです。
急な代役にもかかわらず立派に務めてくれました。
子供好きという彼。子供たちに向ける目線が優しく、またフレンドリーな対応で空気を和ませてくれる重要な役目を担ってくれました。

ナビ役白木原一仁

色とりどりの「シュッツ・Tシャツ」を着ての第二部ステージ。
華やかな感じで気に入っています。(堅苦しくはありません。というメーセージ。一部はさすがにコンサート衣装を着ての登場でしたが下の写真のようなこの雰囲気が本来の「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」の持ち味だと思っています)

色とりどりのシュッツ・Tシャツを着た団員

「指揮者体験コーナー」に続いて行われた「リクエスト曲」演奏。
私たちが用意した曲をカードにしてお客さんに選んでいただこうという企画。しかし意外な結果に戸惑った私です。
よく知られたポピュラーなどが選ばれるのではないかと予想していたのですが(そのために用意したものでもありました)、いやはや実は予想を裏切って多分お聴きになったことのない曲やシュッツの「ドイツ・マニフィカト」なんかを選ぶ方々がいらっしゃったのですねそれも一二を争って挙手が多かったのです。

リクエスト曲カードを持つ団員

上の写真はリハのものなのですが、実は気が気じゃなかったのですね、この場面の本番は。
前の「指揮者体験コーナー」に沢山希望者が出てきてくれた上に、その中の指揮をした小さなお子さんたちよってすっかり場内は盛り上がり、時間が大幅に遅れてしまったのでした。

遅れたことで進行が大幅に狂ってしまいました。その後の「リクエストコーナー」に時間が無くなってしまったのですね。
その場は時間の制約を優先してリクエスト一曲ということで演奏したのですが、何か心に引っかかるものが残ります。
許していただいた会場のお客さんにはただただ感謝。しかし、これは気が重い。
〔この企画、反省点になりました。リクエストとした曲が一曲です。(リクエストとして選ぶということで時間が延びた場合の時間対策の企画ではありましたが、実は時間の許す限りほぼ全曲を演奏予定でした。しかし予想以上に時間が押してしまい急遽予定を大幅にカットしてしまったのですね)それだけでなくこの企画、そういった進行上の問題だけではなく、重大なミスをしていました。急いで作った演奏会チラシには演奏曲目として掲載されていたのです。
これはまったく私の責任です。
このページの下に私が私のトップページに掲載した文を転載します。〕




アンコールはお客さんを囲んで歌いました。私たちの感謝の気持ちを表したいと強く思うとき、出来るだけ近づいて<息>をそして<響き>をと、このような態勢をとることにしています。
(響きに囲まれる、という体験はそうあるものではありません。響きに酔っていただければとの思いが強いのですがそればかりではなく、この態勢でもアンサンブルは出来る、ハモる、抑揚が繊細に付けられるということを知っていただければとの思いもあるのですね)

聴衆を囲む団員

アンケートやその後聴かせていただいた感想ではとても喜んでいただけたようです。
こちらの不備にもかかわらず多くの皆さんから応援の言葉を頂いています。ただただ感謝するばかりです。
来年に続けようと思っています。
より良い内容にしていくつもりです。
会場と一体になるような演奏。来ていただいた方々と音楽を通じてコミュニケーションが取れる雰囲気、こどもとおとなが一緒になって楽しめる音楽、新しい体験、笑顔のこぼれる演奏会にしたいと思っています。
どうぞこれからも「こどもとおとなのためのコンサート」をよろしくお願いします。

*(掲載の写真はすべてリハーサルのものでした。)

第118回('08/07/18)「初めての試み《こどもとおとなのためのコンサート》」この項終わり。


《以下は私のトップページ〔7月16日〕に掲載したものです。》

「こどもとおとなのためのコンサート Vol.1」が終わりました。
チラシ作りやお知らせが遅くなって、実はスタッフは冷や汗ものでした。

しかし当日は沢山の方々にお出で頂き、胸をなで下ろしたメンバーたちです。
それにしても私も驚くほど感心する親子さんたち。
親子さんたちの笑顔がとても素敵でした。ステージの上からではありましたがでどれだけ気持ちが良かったか。
きっと素敵な会話が日頃家庭でおこなわれているのではないか、などと思いを巡らせていました。

「指揮者コーナー」に立ったお子さんたちが素晴らしかったですね。
その顔、立ち姿のなんとしっかりとしていたことか。そしてまたそれが可愛いいのです!
小生意気ではないのですね(笑)。「こども」なのです!
(もうすっかり引き込まれてしまいました)

この「コーナー」、実は良い意味での予想違いだったのですね。
(計画を立てたものの「指揮者コーナー」には誰も手を挙げる人はいないのではないかとの心配をしていました。その対策も考えていました)
しかし盛り上がり一番のステージとなりました。
ただそのために後半が時間が足りなくなってしまい、演奏を省いてしまう結果に。このことは大きな反省点となりました。
これを次回に活かし、より良いプログラムにしなければ、とスタッフ共々しっかりと心に刻んでいるところです。

そう反省し、前に進むのですが、心は重たいです。
後で知ったのですが、やはりそれらの曲を楽しみに来ていただいていたお客様がいらっしゃったとのこと。
来ていただいた、という感謝の気持。そう思えば思うほどやはり演奏できなかったことに申し訳なく思う気持ちも強く起こっています。 なんとかできないものか。
「間延びした」こととは十分知りながら、その時演奏できなかった曲を今月の「「マンスリー・コンサート」で演奏しないかとメンバーに提案した私。そして皆も快諾です。

場所、日時が変わってしまっては行けないということを重々承知させていただいた上でのご提案です。
今月、7月「マンスリー・コンサート」にご招待させていただきます。
受付で「《こどもとおとな・・・コンサート》に行っていた者です」と言っていただければ対処できるようにさせていただくつもりです。

演奏する私たちも、そしてお聴きいただく方々にとっても、共に楽しくそして新たな<響き>の創造の場となることを願ってのコンサートを目指しています。
これからもどうぞよろしくお願いします。


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