第126回('09/11/11)

「京都モンテヴェルディ合唱団」《ヴェスプロ》

人が何かを為すということは時間とエルルギーのいることです。
合唱では多くの個性が集まるわけですから、一緒にスタート点について出発したとしても(これ自体も難しいのですが)、一緒に、横一列でゴールに到達できるというものではありません。
身体的にも、メンタルな問題にしてもそれぞれが同じではないからです。
目的達成への時間とエネルギーは想像を超えて各々にのし掛かってきます。

先を急がず、じっくりと熟させていきたい、これが私の方針です。
実力が同程度のメンバーを集めて活動するというのは、目的達成という意味では選択肢としては大きな要因でしょう。
目的とする「音楽」が、最小の労で、そして早く到達へと向かえることができます。
「実力ある」メンバーの個人的な充足度も高いものとなります。

しかしアマチュアでの活動は、目的へ向かう《過程》に重きを置く活動だと私は認識します。
一人一人が音楽が持つ難題に確実性を求めて立ち向かう《過程》、そのことが本物の感動を与えるのではないか、と考えるのです。
結局、感動を与えるのは得られた結果としての音楽テクニックだけではなく、追求したその奥にある《心の有り様》なのだと思うのですね。
《心の有り様》とは、その人の価値観に基づく軌跡です。つまりどういった過程を経てきたのかが《心》の肖像として立ち現れたものです。
人は作曲家、作品、そして解釈して演奏する人の《心》の肖像を見て、鑑賞という業の中で、「我」が感じたこととして《心》と対話するのです。
その対話が充実していればいるほど、そこから得られる感動は大きくなるはずです。


モンテヴェルディの名を冠して活動するアマチュア合唱団、「京都モンテヴェルディ合唱団」が《ヴェスプロ》を演奏しました。
通奏低音版という小さな器楽編成での演奏。
様々な楽器を伴った大きな編成のような、豪奢、荘厳、豊潤な響きといったものには欠けるかもしれないのですが、この曲が持つ華麗さ、深遠なお祈りの世界は充分に伝えられるのではないかと思っています。
音楽史上、稀なる名曲。モンテヴェルディを冠した合唱団としてその軌跡を刻むべく、そして成長への過程を記そうと、以前の演奏からほぼ4年を経ての挑戦でした。


当日のリハーサルです。通奏低音はチェロ、コントラバス、キタローネ、そしてポジティフオルガンの4名。
アルティ・ホールの移動式ステージをフルに活かしての配置を取りました。

名前

下の写真は全曲を演奏し終えた時のものでしょうか。
ソリストとして「大阪ハインリッヒ・シュッツ声楽アンサンブル」の4人が加わっています。(全体の演奏を〔締めた〕功績は大きいです)
重唱では「京都モンテヴェルディ合唱団」団員の、正直ハラハラさせられる箇所もありました。
合唱での細かい音の並びでは不揃いを露呈しました。(これらは練習を通じてもっとも乱れたものでした)
音楽的な深さも今一歩といった曲もありました。

名前

しかしながら、私には充分に楽しめた、そして満足のできた演奏です。
団員一人一人の成長がそこにあったからですね。
真っ直ぐに作品に向かった誠実の(取り繕うことのない)演奏だったからです。
きっと、失敗や間違い、思いの外歌えなかった箇所など多かったでしょうが、音楽にとって一番私が大事だと思っている〔誠実さ〕と〔集中度〕は以前より大きく増していました。
彼らの演奏で、人が生きている場としてのライブ感は味わえて頂けたかなと思います。

下の写真はアンコールからステージへと戻ってくる時のものです。

名前

マニフィカトの後半部をアンコールとしました。
そしてその演奏はお客さまを囲んでの演奏です。
後でアンケートを読ませて頂きましたが、このアンコールがとても良かったとの書き込みが沢山ありました。
特に若い人たちの反応が私を喜ばせます。
舞台から客席を見れば、学生さん達の表情がとても良く、どれだけ私を乗せてくれたことか。
あの興味津々たる表情がとても私には音楽的な波動となりました。

合唱団の課題は山積みです。メンバーとしての課題も山積みでしょう。
でも、「京都モンテヴェルディ合唱団」は躍進を約束しています。彼らの活き活きとした、そして楽しく演奏していた様子はそれを確実なものにしたと思います。


来年はイタリア演奏旅行へ出かけます。
また京都で、私の「合唱講座」を開いてくれることになっています。
私の京都の拠点は「京都モンテヴェルディ合唱団」です。
最高に音楽を楽しめるアマチュア活動の頂点を目指したいですね。

第126回('09/11/11)「「京都モンテヴェルディ合唱団」《ヴェスプロ》」この項終わり。


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