第135回('11/06/22)

蘇った「京都C・モンテヴェルディ合唱団」

私が作った合唱団、あるいは依頼されて音楽面及び運営面に携わっている合唱団は決して順風満帆の活動を続けていたわけではありません。
合唱団、それはそれぞれ個性ある人の集まり、そして演奏活動によって生じる色々な問題が絡み合って、意見や活動そのものがギクシャクすることの方が多いかもしれません。
例えばですが、一般的に言って、練習内容、曲目、音楽的能力、演奏会での集客、そして人間関係など、例をあげればきりがないほど要因は沢山あります。

「京都C・モンテヴェルディ合唱団」もその一つです。
母体であった少年少女合唱団から、一般合唱団へと移行し、私が引き受けるようになってからそれこそ万華鏡の様に様相が変わりました。そこには年齢的特徴があったかもしれませんが(皆若かった)、人が集まれば「なくて七癖あって四十八癖」、集まりの中心に「音楽」があったことは間違いないと思うのですが、思春期に於ける異性への関心、学業、就職と悩み事が多いこともあって、集まってくる目的意識が希薄になったことがありました。ブレないことを望んだのですが、本人たちにとってはどうブレているのか、目的へ向かう軌道からどのぐらい、どの方向にずれているか計りかねているように見えました。

子供の頃から歌っていた団員でしたから、演奏会での歌いっぷりはなかなかのものです。
しかし、上のような悩みや迷いの真っ最中、そして歌う事への過信、練習への集中力はあまりなかったように記憶しています。今から20数年前の話です。
1988年、現団名に改称してからの活動は右肩上がりで・・・・と云いたいところなのですがそういった時期と、どうしても突破できない時期とかが交錯し、ラインは山の畝のように上下していたかもしれません。
勢い、「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」からのメンバーも入れ、音楽中心の練習体系をと目指したことがきっかけで今日の団が生まれました。(後、「シュッツ」のメンバーは大阪へと引き上げます)

京都中心のメンバーによる団になってからは驚くほどの進展を見せてくれました。
やっと誇れる団がもう一つ増えたと、本当に喜んだものです。(引き上げた元大阪の団員も喜んでいました)
しかし、前回の演奏会で《又もや》の演奏。
女声と男声とが混ざらず、特に男性のパートが響きにおいてもピッチにおいてもバラバラ。
皆、人のせいにする。自身を観ることなく人のみ観、そして聴く。これでは合唱になりません。

演奏会が終わってから、「どうしてそのような演奏になったのか皆で考えて見て下さい」とアドバイスした私です。
皆は「反省会」を開いてと思ったようですが、そんな[後ろ向きではなく]、積極的で前向きなコミュニケーションをとの私の思いでした。
自身を顧みながら、「合わす」ことへの集中練習。このことに気づいて欲しかったのです。
要は「練習の質」です。そしてその「質」は練習量に相応して生まれてくる、ということです。
練習は「合った時」の喜び、「ハモった時」の喜び、「音楽を奏でた時」の充実感を持たなければ続けられません。
喜びの、楽しみの練習でなければなりません。
そして、重要なことなのですが・・・・。
それはメンバーとの「信頼」がなければ達成できないのですね。
「信頼」は様々なシーンを通して互いがコミュニケーションを取ることから始まります。
洋の東西を問わず、「巧くて、心に迫る演奏」は一貫した長い修養、修業期間を経た合唱団によるものです。

以後、「京都C・モンテヴェルディ合唱団」の練習場の雰囲気が変わりました。
行くたびに、「《モンテ》の響き」が濃厚となっていきました。
冗談で、「今日だけではないよね」と云いつつ、私は確信の思いで練習を続けました。
練習中の集中力は増し、一度注意したことは二度目の演奏で直していました。
練習の成果は重なっていきました。無駄口はありません。あるのは「達成できた」時に起こる自信の笑顔と納得と、そして笑い声です。
無用な誇示も卑屈さもありません。音楽に専念する真っ白な心と情熱がそこにあったと言い切っていいでしょう。

「京都クラウディオ・モンテヴェルディ合唱団」第46回定期演奏会が行われたのは
2011年6月12日(日)17時30分京都府立府民ホールALTIです。

名前


「京都C・モンテヴェルディ合唱団」は蘇りました。


名前


私の誇れる合唱団がここに蘇りました。


名前

曲目は
モンテヴェルディ「マドリガル第4巻より」

G.P.daパレストリーナ”Stabat mater dolorosa"悲しみの聖母

木下牧子混声合唱曲集「にじ色の魚」

高田三郎混声合唱組曲「心の四季」

荻久保和明混声合唱曲「季節へのまなざし」

でした。


アンコールではピアニストの木下亜子さんも歌います。
嬉しかったですね。

名前

今回の演奏会で特筆すべきは、声のびやかさ、その柔軟性、そして歌う事への自信を表すかのような芯の強い声の維持でしょう。
これはこれまで以上の表現力でした。
ハモリましたね。それも「京都C・モンテヴェルディ合唱団」の個性として響いたと思っています。
あと課せられたものとしては、更なる響きの統一でしょうか。発声の問題でしょう。しかしこれは解決できる事柄です。

当たり前のことに気づきます。合唱に必要なのは団員間のコミュニケーション、そして練習。
その練習は楽しくなければならないということ。
「京都C・モンテヴェルディ合唱団」はそのことを実行したに過ぎません。時の刻みをそのように心に刻み込んだのです。それが素晴らしい感動を生んだのだと、私はそう思っています。

第135回('11/06/22)「蘇った「京都C・モンテヴェルディ合唱団」」この項終わり。


【戻る】