第148回(2017/05/02)

バッハアンサンブル富山」ロ短調ミサ全曲演奏会に思う

今年の2017年3月12日(日)、富山県で活動する合唱団「バッハアンサンブル富山」がJ.S.バッハのロ短調ミサ全曲演奏会を行いました。
約一年ほど前でしたか?その指揮をとのオファーがあり、お引き受けしたことによる演奏会です。
話があった時は、一年かけて練習できる、合唱団と密なアンサンブルを目指すためには「頼まれ仕事」という条件であっても「一年」という期間があれば良い演奏ができるのではないか?そんな気持ちが私の心を揺さぶりました。
しかし、考えてみれば現実的には週毎に練習できるわけも無く、実は演奏会前の半年間ぐらいの練習量だと踏んでいました。
それぞれが調整し合って、少なくても一ヶ月に一回、6回ぐらい練習できれば理想だなぁと。
あの大曲、ロ短調ミサなのですから!その位の回数と時間が欲しいとはずっと思っていたようです。

この大曲「歌うだけ」でも大変、その上、オーケストラの絡み、すべてのパートでのアンサンブル力、曲の様式、ポリフォニーを歌う声質、など練習事項は山ほどあります。
6回でも「やるしかない!」との覚悟でした。
結論からいうと練習日に関しては少しこちらから要求して計7回となりました。
アマチュア合唱団だということでしたが、中には専門の勉強をしたメンバーも居られるでしょうし、またバッハが好きで好きで堪らないと豪語されて、様々な演奏をお聴きになっている上での参加というメンバーも居られるでしょう。
そういったメンバーと先ず音楽作りをし、その後にオーケストラとは3回、いや2回で合わせる。それでも可能であろうと考えました。

初めての合唱団との練習(2016/7/18)は忘れられないですね。やはり懸念した通り、最初の4小節に二時間以上かけるものとなりました。
ある程度のレベルであれば、何の事はないフレーズです。
しかし、私が願うこの曲冒頭の4小節はその程度の歌では合唱としての響きは立ち上がりません。音楽全てを問うほどの課題を持っているフレーズなのです。

バッハの音楽について、当時の時代環境について、そして私が望む演奏とは、といったことを伝えるためには二時間でも短かったかもしれません。
よく喋りました。あらゆる角度からアプローチしての解説です。
団員はよく話を聴いてくれました。それは熱心に、真摯に。
初め、表情も硬く打ち解けてはいただけなかった方も練習の終わり頃には笑顔を見せていただけるような雰囲気でした。
ですからこの最初の顔合わせ、決して私にとって印象の悪いものではなかったです。むしろ好感度の高いものといって良いものでした。
ですが、演奏についての課題は山積み。これから、一つ一つ丁寧にすり合わせしながら解決していこうとの思いで始まりました。
合唱団には問題が多いが、しかし良い演奏となるとの印象で終わりました。
終わってからの食事会では、熱心に演奏にかける気持ちを語ってもいただけましたし、今回の演奏に期待しています!との意気込みも聞くことができました。
お世辞もあったかもしれませんが『「当間先生」のような(情熱を感じる)指揮者を待っていました』という声もあり、私としても素直にその言葉を前向きに受けとめての富山からの帰阪となりました。
一言で言えば「大人の知性」を感じさせる合唱団。それがこの団の最初の印象です。

二回目は10月2日。楽しみで富山に出掛けたことを思い出します。
そして、第一回目と比べれば驚く程に整い始めていました。
合唱団としての自主的な練習も良かったかもしれません。
どれほどに私が満足し、喜んだか。このままいけば、これまでにない演奏ができる、そう思ったほどです。

それ以後のスケジュールで思惑はズレ始めました。
一気に本番へと向かう練習と考えていたのですが11月、12月、そして1月と練習がありません。(12月には合唱団が他の演奏会のスケジュールを入れていました)
互いの連絡、事務的な遣り取りもうまくいかないことがあったようなのですが、この間での情報が混乱しはじめたようです(こちらのマネージャーの話)。

私が少し困ったのは合唱団だけではなく、オーケストラの弦にも一緒に練習を付けねばならなくなったこと。
これ自体は別に問題は無く、むしろ一緒にアーティキュレーションやフレーズなどを作っていけるのですから歓迎、と思う私です。
ただ、急に決まっていたり、練習時間が少ないにもかかわらず曲数も多く、練習に時間がかかり過ぎる。合唱の練習に集中しなければならない時期に中途半端な形でのオケの練習も兼ねる。おまけにオケのどのパートが来る、というのも定かでは無い。さすがの私でもちょっと慌てます。
オーケストラも初めてのロ短調ですから、ボーイング付けやその他多くの書き込みがなされなければなりません。
いざとなれば、私がこれまでに使ってきたもの(「シンフォニア・コレギウムOSAKA」での楽譜)を持ち込めばいいのだと腹をくくってはいましたが、できれば避けたい。
新しい音楽のアプローチをと、思っていたわけですから。

しかし、それは現実となってしまいました。そして問題。送ったはずの私の楽譜がオーケストラに届いたのは本番前日の練習時。
コンサートマスターが困ったように私に「真っ白な楽譜なんですが」と言われたときは冷や汗が出ました。
既に書き込みをしてあるパート譜は先に送っていたのですが、奏者に届けられてはいなかったのです。
今から思えば、よくもまあ〈あの演奏ができたものだ〉と感心するのですが、それはひとえにオーケストラの中心メンバーがプロのオケマン(アンサンブル金沢)だったからでしょう。
オケのメンバーや独唱者の方々との音楽づくりは楽しかったです。腕達者なメンバーが揃っていましたね。それは今思い返しても楽しかったです。
ただ、問題となったのは私と団とオケとの情報不足、コミュニケーション不足にあったと言われてもしかたないでしょう。これは運営上の問題です。

そしてもう一つ私を困惑させた事があります。
主要なメンバーは変わらなかったと思うのですが、練習に行く毎に新しい顔が増えている。顔が変わったように見える。
そして知らされたのは「前日か当日に合唱団のトラをいれます」との話。
これには驚きを越えて、少し怒ってしまった私です。それは緻密な演奏をと思っていた私のこだわりに反する出来事でした。

緻密なアンサンブルをと思って練習を付けていたのが一気に崩れてしまうほどの話でした。
凄く危機感を持ってしまった私。それならば、と対抗したわけではありませんが、富山まで聴きに行きたいと言っていた「大阪ハインリッヒ・シュッツ室内合唱団」の幾人かの人たちに「本番のステージに乗ってみないか?」と誘います。
そして室内のメンバーが自主的に(ということは手弁当で)行く、と手を上げてくれたのが14名のメンバー。
そのメンバーならば合唱団ともオケとも上手に音楽的、人間的に繋いでくれるだろうとの思いで実行することに。

合唱団づくりは難しいです。人が多くなればなるほど、オケも一緒のステージとなればよりその運営は難しくなります。
そして音楽的により良いアンサンブルを目指せば目指すほどにそのハードルも高くなります。
運営に関しては人事ではありません。我が「大阪コレギウム・ムジクム」でもいつも担当者にお小言をいう私です。


そういった過程を得ながらも演奏会は大成功に終わりました。
お客様も多かったですね。ブラボーも出ていました。地元の合唱団の強みでしょうか、ファンもいらっしゃることでしょう。
新聞の記事では1000人の観衆と記されていました。
演奏後に私の楽屋に訪れて来られた合唱関係の方も「良かった!」これをまとめられたのも当間先生だからです!」と力強く仰られたのには、公演までの経緯はハラハラの道程だったゆえに嬉しさが一段と込み上げてきました。
レセプションも嬉しいコメントが続きます。
驚いたことには助っ人で入った合唱人は声楽専門ではあるがバッハを歌うのが初めてという話。オーケストラのメンバーもロ短調は初めてと告白する方がおられる。
その人たちが「バッハは面白い」「これからも歌ってみたい」「演奏したい」との話はなんとも微笑ましい話でした。

合唱団のメンバーとはお礼の言葉も告げられずレセプションを後にしました。
どこかにこの過程を、私の思いをしっかりと伝え、そして記録したいと思いました。
最初の練習時、それはとても嬉しかったですし、楽しかったし、喜びを感じられた時間でもありました。それがとても印象強く残っています。
そして何よりも「富山」が大好きになりました。
食べ物もそうですし、景色も美しい、空気も、そして水が本当に美味しい、そしてそこに住む「富山人(びと)」が大好きになりました。そのことだけは書きたいとの思いです。
大好きな富山に、そしてこれからも富山での音楽文化、合唱文化に大いに貢献できる合唱団でしょう。団にエールを送りたいと思います。
素敵な仲間の集まりだと感じました。だからこそ地道にコツコツ積み上げていく過程を持つ、しっかりと音楽に根ざした活動を展開していって欲しいと願う私です。
団は人の集まりです。人と人とが信頼しい、協力しあい、助け合って、合唱団としての課題を解決していく環境作りを、と切に願い、また考えさせられた今回の演奏会でした。

第148回(2017/05/02)「バッハアンサンブル富山」ロ短調ミサ全曲演奏会に思う」この項終わり。


【戻る】