第150回(2020/09/29)

この時代「新型コロナウィルス」に生きる!

(Amebaブログからの転載)

時が経つのは早いです。
このブログを立ち上げたときはあれも、これも書かねば、書きたいとの思いの勢いが強くて考えを巡らせて喜びを得ていたのですが、
あれから演奏会シーズンを迎えようと練習が始まった途端動きが止まりました。本当にあっという間の日が経過しました。
その日々の間、「新型コロナウイルス」対応がいつも頭にこびりつきます。
何が一体必要で、何にあまりとらわれなくても良いのか?
 様々に異なった専門家の言う意見を聞きながら、読みながら、私自身が納得した事柄を徹底的に施しての活動。そちらの方に力を注ぎました。
「新型コロナウィルス」対応についてまとまったことがあります。それはまだまだ証明されたとは言えない問題も含まれているのですが……。

1)多くの人が狭い所に集まり過ぎないように。(「密」にならない!)

2)集まる場所を選んでソーシャルディスタンス(人との接触距離)を取る。

3)マスク着用は二次的。人が多くなく換気も良ければ着用しなくても良い)

4)【換気(外気と内気の交換)】が最も大切な条件。


ソーシャルディスタンス、マスク着脱に関する良い環境とは?

山間や海辺、公園など、広い屋外で人の密集がなく過ごせる場所ならばマスクは不必要。
町中でも上と同じ環境に近ければ同じようにマスクは不必要。(屋外歩行も必要なし)
屋内では、その広さと密度のバランスを判断することが大切。(特に、そこでの換気が整えられてるかそうでないかが鍵)
[*例:部屋で換気が成され、一人ならばマスクは必要なし。この条件を基に人の数、部屋の広さによって着脱を自己判断。
最近では「新型コロナウィルス」は空気感染は無し(気にしなくても良い)とされます。]

以上ですね。

これらを原則として各自が柔軟で、融通のきいた対応〈フレキシブル〉で実行する!
これで大丈夫です。
それにしても人類にとって大きな試練。
それを「新型コロナウイルス」が運んできました。

さてもう一つ、気が重い個人的な思いが行動を阻んでいました。
昨今の政治状況やそれに伴う人の思考の変化。
それらについて私が少数派の意見に属するようだ、ということ。
世の中の動向と私の思い、行動がどうも一般と異なっている。
それが悩みを深めている、小学校高学年の頃からの悩みです。 しかし、「世の中は[七]対[三]で成り立っている。多数決の論理では[三]は不利。
でもこの[三]が歴史的に世界を変えてきたとのデーターがある。[三]が力を発揮すれば世の中は変わる。
[七]が世の中を作っているわけではない」との実感。
少し気が軽くなってきている。少数派は多数派の重みを身の上に担ぎ歩む。それは重く辛い。
でも人間っていつだって多数派がいて、少数派もいる。どちらの道を私は行こうとするのか?
気が付けば私は少数派の道を歩んでいた。これはもう諦めるしかない。
ならばいっそ少数派を極めてみようかと思う性格も私は持ち合わせているよう。
人生も先が見えてきた。
最期に至る生命を「天命によって少数派」だと悟って生き抜こうと思う。

人間としての歴史も少しは見えてきた。未来も見える。
私が生きた時代を後の人々がどのように位置付けるかとても楽しみになってきた。生きることは楽しく、面白い!
宇宙に向けて誰かに叫びましょう。
「天命を全うしましょう!」と。

第150回 この時代「新型コロナウィルス」に生きる!(Amebaブログからの転載)


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