第98回('04/8/3)

<身体>の音楽

7月31日(土)と翌8月1日(日)の2日間にわたって開催された、京都府舞台芸術振興事業 第7回世界合唱シンポジウム協賛事業「アルティ声楽アンサンブル・フェスティバル2004」に出演してきました。

出演といっても結果的には棒を振らずに、ゲストグループとして招かれた「アウローラ・ムジカーレ」と共に<ワークショップ>を行ったこと、そして出演してもらったグループの演奏に対する<講評>でした。

出演されたグループの演奏、どれも素晴らしかったです。
コンクールのように順位を付けたりせず、それぞれに選ばれたグループの演奏を充分に楽しんで頂こうとの趣旨で開かれたこの催し物、素晴らしい企画だったと思います。
参加させて頂いて本当に良かったと思っています。

で、聴かせていただいてまず感じ、驚いたのは、どのグループも本当にハーモニーが美しかったことです!
私が合唱を始めたきっかけは、当時の(今から20数年前でしょうか)耳にしたハーモニーがどうしても馴染めなかったこと、倍音であるとか音律であるとかがおろそかにされているのではないかとの思いがその発端でした。
それが、今や素晴らしいハーモニーの響きをどの合唱団も追求し、そしてそれを実現させているのですね。
これはもう、本当に驚きでした。(後で聞くところによると、私のホームページを参考にして頂いているグループもあるとか、嬉しい限りです)
世界中、どこへ出かけても<一級>の折り紙が付けられるでしょう。
もう、我が国のトップクラスのハーモニーのレベルは世界のレベルに達したと確信しました。

<講評>では、この幸福な時間を頂いたことへの感謝の気持を話させて頂きました。
ただ、やはりどうしても私の口を開かせようとする体の奥底から突き上げてくる衝動があります。(笑)
せっかく皆さん感激してらっしゃるのに、私のいらぬ言葉で気分を害されるのではないかと恐れながらやっぱり言ってしまう私です。(笑)
次は、二日にわたって言った私の<要らぬ話>の内容です。

■皆同じような選曲。曲の傾向が似通っています。
■また、どれも本当に美しいのですが、こうも美しいものばかり集中して聴かされると、もう少し違ったもの(美しくないものというわけでもないのですが(笑))が聴きたくなります。
人間って贅沢ですね、美味しいものばかりでは<あきて>しまうわけです。
「飽きさせない美しいもの」ということかもしれませんが、私としては「違うもの」も味わいたい!って思ってしまいました。

二日間、リハーサルからずっと聴かせて頂いての思い。
何故、こんなに美しい世界が繰り広げられているのに私は何か欠けている感覚を持ってしまっているのか?
聴きながらずっと考え込んでしまっていたんです。
私の頭の四分の三は確かに満足し、堪能し、楽しんでいます。
しかし、あとの脳幹に近い四分の一は反応していないのですね。
これって何だろう、というわけです。

聴きながら、不覚にも<眠り>を感じた瞬間があります。
気持ちよく<陶酔>状態?
<陶酔>って気持ちよく酔うことですね。でも言い換えればこれって、ある精神的なものの停止状態ではないかと。
眠ってしまうこととあまり変わらないのではないかと思うわけです。
ハッと目が覚めて(笑)、周りを見渡します。
客席でも上手に寝ている人を何人か見かけます。
眠られる演奏は良い演奏です!って私も言うのですが、果たしてこれが音楽の目標とすべきものなのかどうか。

ふと、頭に浮かんだ言葉がありました。
《身体》
《身体の音楽》を私は聴きたいのではないか。
ここで繰り広げられている美しい世界は《頭の音楽》ではないかと。
《頭》の部分がかっていて(その部分が大きくて)、足腰から来る、衝動というか全身から溢れてくる根源的なものの欠如を私は感じたのではないか、そう思ったのですね。

外国語の曲が圧倒的に多いのです。
それも「キリスト教音楽」が圧倒的です。
外国語に堪能な人、宗教的な人ならば、そういった曲であっても身体的に感じられる部分もあるかもしれないのですが、会場に来て聴いている方たちが皆、そういう方々だとも思われません。
日本語の曲を選ばれたグループは本当に少ないのですね。
日本語ならば、もしかしたら《身体》の部分で感じられるかもしれない(歌う人も、聴く人も)、そう思いました。

皆さん総じて「涼しい顔の表情」で美しく歌おうとしていらっしゃるかのようです。
「汗をかく」という感覚が私には感じられないのですね。
だからといって、実際に汗をかいて歌うのが良い、というわけではありません。
しかし、《身体》で何かしようとするとき、「汗をかく」感覚って必要なのではないかと私は思うのですね。
《身体の音楽》を聴きたいと思うのは、体全体を使って表現したいほどの「切実な思い」、歌い手の心の底からの「感情」や「祈り」が聴きたいということです。

いきつくところ、歌っている一人一人が何を作品から得、何を伝えようとしているのか。
どこに向かおうとし、何を表現しようとするのか。
美の追究だけでなく、そんな想いを聴き手として私は味わいたいのだと思ったのですね。

来年も開催されるようです。
沢山のグループが参加され、それぞれの想いを、美を、叫びを、祈りを一杯聴ける場になればと願います。
日本の<味わい>、日本の<美>、日本の<想い>を世界に向かって発信していく、そういう場になればいいですね!

第98回('04/8/3)「<身体>の音楽」この項終わり。


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