第99回('04/10/8)

来年「創立30周年」を迎えます

来年「大阪コレギウム・ムジクム」が「創立30周年」を迎えます。
キリの良い数字で〔記念の年〕とすることに少し違和感というか、ためらう気持もあるのですが、今まで私たちを支持・応援して頂いた方々に「ありがとうございました」と〔感謝の年〕にするとの思いで、来年2005年の計画を立て、望むことにしました。

それにしてもよく続いたものです。
まっしぐらに、ただ「音楽」に邁進した年月でした。
途中、本気で「止めよう」なんて思ったことがないのが私らしいです。(笑)(止めざるを得ない状況になったことは実は何度かはありました)
とにかく、「生きることが音楽すること」「人とのコミュニケーションは音楽で」「音楽によって自分自身と対峙する」という快感(笑)がここまで続けてこられた要因だったように思われます。

オルガンを弾いていたせいか、バッハに魅せられて「バッハを演奏したい」というのが始まりです。
しかし直ぐに、バッハを演奏するためにはもっと遡って勉強する必要があると悟り(笑)、それがバッハから100年前のハインリッヒ・シュッツとの出会となりました。
そしてシュッツを演奏するためには更に遡ってルネッサンス期の各国の音楽も演奏しなければならなくなり、ジョスカン・デ・プレやオケゲム、タリス、バード、ビクトリア等の音楽作品と取り組みます。

結局、行き着いたところは「自分の足下」、日本の文化としての音楽は何処にあるか?というもの。
西洋文化としての音楽摂取を疑問を持たずにやってきたある時、はたと日本文化の立ちはだかりに突き当たります。
それは「自分自身に根ざしている文化からの脱却や絶縁は不可能に近いのではないか」ということだったのですね。
誤解をしないで頂きたいのですが、西洋音楽に失望したとか、行き詰まってしまい、だからこれからは西洋文化の摂取は意味がなく、我が文化に立脚したものだけをという排他的な方向に進もうと思い立ったわけではありません。
<日本人の西洋音楽>、<日本人としての西洋音楽解釈>という「日本人」という言葉を常に意識し続けなければならないクラシックでの西洋音楽演奏家、それは特殊な職種であると気づかされたのですね。

日本人はいくら頑張っても西洋人にはなれません。
西洋人も日本人が西洋人になることを望んではいないでしょう。
結局日本人は、「日本人としての芸術」を確立しなければならないのです。
物まねでなく、ただ追従するのでなく、確固としてしっかり根を張った芸術を、です。

至極当然なところに行き着きます。
指揮者としての私、そして演奏家としての合唱団や「SCO」は西洋音楽の学びを通して、そして我が国の芸儒家を通して、新しい「我が国の芸術作品」を創造していくこと。
そして創造された作品は、(願うのですが)国や宗教といったものを超えて「人間」を結び合うものとなって欲しいのですね。
その模索が数年前から始まっています。
来年の「創立30周年」を前にして一層の充実を図りたいと思っています。

今月(10月)から、中学生、高校生の「マンスリー・コンサート」無料招待を企画しました。
未来を担う若い人たちへ、我々からのプレゼントです。



第99回('04/10/8)「来年「創立30周年」を迎えます」この項終わり。


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