かくれキリシタン、及びその表記法について


“かくれキリシタン”とはなんであるか、そのおさらいと表記の仕方についての私の考え方です。

1549年フランシスコ=ザビエルの来日から急速に日本にキリスト教が広まった。
しかし豊臣秀吉、次いで徳川幕府の禁教令により、キリスト教は禁止となり、
日本のキリシタンたちは追放、殉教、棄教の3つの選択肢から1つを選ばねばならな
くなった。
その時、棄教したフリをして、秘かにキリスト教の信仰を守り続けた人たち、
この人たちのことを「潜伏キリシタン」と呼ぶ。
そして時は流れ明治に入る。禁じられてきたキリスト教も1873年解禁され、
多くの「潜伏キリシタン」たちはカトリックに復帰した。
しかし、ここでカトリックに復帰せず、日本的に変容した自分たち独自の信仰を守り
続けた人たちがいた。
この人たちのことを「かくれキリシタン」と呼ぶ。この信仰は今でも存続している。

★時代によって状況が違うので、私は呼び方を以下のように分けることにしています。

・キリスト教伝来(1549)〜徳川禁教令(1614頃)‥‥キリシタン
・徳川禁教令下の潜伏時代(1614〜1873)‥‥潜伏キリシタン
・キリスト教解禁後、カトリックに復帰した者‥‥復活キリシタン
・キリスト教解禁後、カトリックに復帰せず、潜伏時代の信仰を守り通した者‥‥かくれキリシタン

※上記のように分けて呼ぶのはキリシタン研究者の間でです。一般的には「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」をまとめて‘隠れキリシタン’とか称されています。

★かくれキリシタンの表記の仕方について
私はKakure-Kirishitanを表記する際「かくれキリシタン」を使用していますが、人によって表記法がかなり違うので(隠れ切支丹、カクレキリシタンなど)、それについての話です。

‘キリシタン’という言葉ですが、語源はポルトガル語のChristian。英語のクリスチャンと同じです。
キリスト教伝来当時、キリスト教用語は主にラテン語とポルトガル語が使用されていました。
伝来当時の文書などに漢字で表記される場合「貴理師端」「貴理志端」「幾利紫旦」とか書かれていました。有名なのは「吉利支丹」でしょう。
最も有名な「切支丹」は、江戸幕府の禁教令後、キリシタン達をおとしめる為に生まれた書き方で、それまでは使われていませんでした。この書き方が生じたのは家光〜綱吉の頃だと言われています。(ですので「おらしょ」の解説の「1591年切支丹天主堂」という表現は、私的には嫌です。)
また更に憎しみを込めた表現として「鬼利死炭」「帰里死端」などの表現も文献に残っています。

で私が表記する際には「キリシタン」を使用しています。
戦国〜江戸期のキリスト教布教の結果により生まれた日本のキリスト教信者、という割と広い意味合いでとっているからです。どれかの漢字を使用すると、ある時代性が強くなりますし、ものによっては差別用語ともなりかねません。また外来語的でもあるので、カタカナを使用しています。

‘かくれ’という言葉についてですが、上記のように私にとって「かくれキリシタン」はキリスト教解禁後、復活せずそれまでの信仰を維持した人達ですから、実際にはもう‘隠れ’てないため表意文字的な‘隠れ’は使用しないでおこうと思います。
キリシタン研究で有名な宮崎賢太郎氏は「カクレキリシタン」を使用しています。『カクレキリシタンの信仰は完全に変遷し、一種の日本民俗宗教となった。実際に隠れているわけではないので‘カクレ’と記号化して表記する』ということだそうです。
しかし私は、1600年代の教理書に基づいたオラショをあまり変化することなく伝承し、内容こそ変化したが、「ご産待ち」「ご誕生」などキリスト教を元にした行事が行われている以上、完全に信仰が変遷した、と断定するのはどうかと思います。
そこで私は‘かくれ’と表記し、民俗宗教かキリスト教かという、その曖昧さを表現したいと思うのです。

だから私は、「かくれキリシタン」と表記します。
(例外として人の文章を引用した場合、その人の表記法に従って書くこともあります)

(ちなみに「カクレキリシタン」は宮崎氏が提唱した、“現在の”潜伏期の信仰を維持している人達の呼び方です。千原英喜さんが『おらしょ』の副題として使ってる「カクレキリシタン」の使い方はちょっと違うかなぁ、と思っています。)