キリシタンの教理書・祈祷書などについて


キリシタン時代、布教に使われ、迫害期には殉教への心得となった、教理書・祈祷書などのキリシタン書物。それらについてのお話。

1590年、ヴァリニャーノ、天正遣欧使節の帰還と共にもたらされた物があった。
金属活字活版印刷機である。
1580年頃、ヴァリニャーノはすでに印刷機の必要性を主張している。教化にあたり、教理書(ドチリナ)や祈祷書(オラショ)が容易に入手出来るようにと。
そこで、天正遣欧使節がヨーロッパに向かう際、印刷機も注文したのであった。

日本語の教理書、祈祷書の歴史はシャヴィエルの時代にさかのぼる。
すでに述べたようにシャヴィエル来日前に、最初の日本人キリスト教徒アンジローにより、シャヴィエルがインド布教に使っていた教理書が日本用に翻訳される。
二十九箇条によるそれは、大日、極楽、浄土などの言葉が使われていたため、さながら仏教書のようであったと言われる。
またマタイ福音書も翻訳された、と言われるが、それはアンジロー個人の為の物であり、全てが訳されたかもわかっていない。
来日してからも更に細かい教理の翻訳が行われた。それはローマ字で書かれており、シャヴィエルはこれを読み聞かせたという。
残念ながら、このシャヴィエルによる教理書は現存していない。

聖書・祈祷書の日本語への翻訳に活躍したのは、シャヴィエルと共に来日したフェルナンデス修道士であった。彼は日本語の習得が早く、ローマ字本を読み上げるシャヴィエルとは違い、自由に説教することが出来た。
1552年、最初の歌ミサが行われたときに朗読されたキリストの生涯は日本語であった(歌はラテン語)。これはフェルナンデス修道士と、日本人同宿で元琵琶法師のロレンソ西の共同作業であったとおもわれる。彼もまた、ポルトガル語の習得が早く、初期布教に大いに貢献した。
司牧上の必要性から、各主日の福音の翻訳が急がれる。フェルナンデスは、年中全ての福音と主日のための説教、使徒信経、主祷文、天使祝詞、十戒などの解説などを早くから翻訳した。

1555年には、インド管区長ヌニエスが来日した際、それまでのシャヴィエルの教理書の使用が禁止され(翻訳が未熟で、仏教用語の多用が見られたため)、新たにヌニエスが編成させた二十五箇条による教理書の使用が義務づけられた。訳文を改め、似通った教理を統合した物であった。これも現存はしていない。

このようにその後も、多くの教理書、祈祷書、聖書が翻訳されていったが、写本くらいしか複製する手段がなかったので、増え続ける信者・教会に対して、その絶対数はかなり不足していたと思われる。
そこでヴァリニャーノは印刷機の導入を決意。天正遣欧使節と共に、印刷技術を学ぶ者を同行させ、リスボンで印刷機を購入させたのである。

1590年にまず加津佐のコレジヨに置かれた印刷機は『サントスの御作業』を始めとし、『どちりな・きりしたん』『すぴりつある修行』『こんてむつすむんぢ』『ひいですの導師』『おらしょの翻訳』など次々とキリシタン書を印刷していくのであった。

ここで「宇宙について」のテキストの一部ともなっている(楽譜37ページ参照)『どちりな・きりしたん』と『スピリツアル修行』についてとりあげる。

『どちりな・きりしたん』
1591年版は『どちりいな・きりしたん』、1600年版は『どちりな・きりしたん』と標題にはある。
‘どちりな’とは教理のことで、その名の通り、キリシタンの教理書である。

キリシタンの教理書の事は、シャヴィエルによる物と、ヌニエスによる物があると既に書いた。
その後1570年頃、ポルトガルで編纂されたジョルジェ(Marcos Jorge)による教理書が日本にも入ってきたと思われる。これは、主に子供へのキリスト教教育を目的とした教理書で、師が問い、弟子が答える問答形式で書かれている。
『どちりな・きりしたん』は、おそらくこのジョルジェの教理書が元であると思われる。問答形式はそのまま採用されたが、日本で使用するにあたり、日本の状況に合わせ、また子供用のものを成人用に改めたりしたのであろう。

1591年に加津佐で日本国字版、92年に加津佐または天草でローマ字版、1600年には長崎で国字版、ローマ字版が出版されている。
この間にも日本の状況に合わせ、多くの加筆・修正・削除が行われている。1591年版(天正版)と1600年版(慶長版)はかなりの差異がみられる。
印刷された数多くのキリシタン本の中でも、最も多く重版、印刷を重ねた本であり、相当数が流布し、キリシタン達の愛読書となった事であろう。

この教理書は、キリシタン時代の物としては数多く現存し、当時の日本布教を知る上で貴重な資料として注目されている。

「宇宙について」の5章B1〜12のオラショは、この『どちりな・きりしたん』に所収されている。元々祈りではなく教理であったものが、暗誦しているうちに、教理そのものがオラショに変化してしまったのであろう。

『どちりな・きりしたん』は最近岩波文庫から復刻されています。400円くらいですので、興味のある方は探してみては?(と言ってもあまり見かけませんが)

『スピリツアル修行』 
正式には『スピリツアル修行のために選び集むるシュクワンのマヌアル』である。
1607年に長崎で刊行されたローマ字による800ページにも及ぶ大冊である。
今まで「ポントスの経」として分冊で刊行されていた、黙想・観想修行のための本の集大成であると見られている。「ロザリヨの観念」「御パッションの観念」をはじめとした種々の観想書である。

イエズス会の祖、イグナチウス・ロヨラが記した霊的書物『霊操(または心霊修行)』が原書と思われるが、翻訳ではないようだ。
イエズス会では当然『霊操』に基づく心霊修行は必須であったろう。熱心な信徒は同様の修行を進んで受けていたようである。『スピリツアル修行』では、「レリジオソ(修道者)」と書かれている所を、各地に流布された分冊の「ポントスの経」では「キリシタン」と一般信者に置き換えられている。広く一般信者にも読まれ、信仰の錬磨に使われていた事がわかる。

「宇宙について」6章のC・モホーク・インディアンのテキストに使われている「御パッションの観念」はイエス・キリストの受難を黙想し省察するための教えである。
観想の仕方、黙想の要点、オラショなどが書かれている。
そして最後に聖書の受難記事の部分が書かれている。これには「これ四人のエワンゼリスタの記録の内より選び集めて翻訳せしものなり」とあり4つの福音書の受難関係記事を和合して編成したものであることがわかる。

その他のキリシタン書についても少し。

1591年、活版印刷機導入後、初めて印刷されたキリシタン書は『サントスの御作業の内抜書』という聖人伝であった。様々な聖人の伝記であるが、主に殉教した聖人のものが多かったのである。
秀吉の伴天連追放令以後、さらなる迫害の予感を感じ取っていた宣教師達は、迫害下での殉教の精神を養おうとしたのであろう。この書物が教理書である『どちりいな・きりしたん』より先に印刷されることとなった。
この『サントスの御作業』には、付録のような形で、直接殉教の意義を論じた「マルチリヨの証拠」という項目がある。
また翌1592年に出版された『ヒイデスの導師』にも、殉教に関する章が含まれている。ちなみにこの書物と前述の「マルチリヨの証拠」は、ルイス・デ・グラナーダの『信経序説』が原書であると思われる。
1596年『こんてむつす・むんぢ』出版。これは『イミタティオ・クリスティ』すなわち「キリストの模倣」が原書で、イエス・キリストの生き方に学び、倣い生きることを論じた本である。当然、殉教の精神にも多く触れている。
1607年『スピリツアル修行』の「御パッションの観念」も殉教の精神を培うのに働きかけたことだろう。
追放令以前に殉教教育が無かったわけではないだろうが、追放令による迫害は、殉教が切迫した事実になることを予感させたのであろう、殉教に関する書は自然と増えていった。

もちろん他にもたくさんのキリシタン書が印刷されている。種々のオラショを日訳した『おらしょの翻訳』(1600年)、告解の手引き書『さるばとる・むんぢ』(1598年)、ミサなどの儀式書『サカラメンタ提要』(1605年)、西洋文学の『伊曽保物語(イソップ物語)』、日本文学の『平家物語』、その他辞書やオラショの断簡など現存するものだけで29点、印刷された、またはされたらしいものは、さらに20点以上あるとされる。

これら多くのキリシタン書は、追放令下で宣教師が巡回布教が出来なくなっていたキリシタン教界にとって大きな福音となった。多くの書物が各地に出回り、それによって信仰を深めていった。
これらの書物は、宣教師のいない潜伏時代にも信仰の手助けとして大いに役に立ったであろう。またそれを予感して多数のキリシタン書が出版されたとも考えられる。

ここで、『おらしょの翻訳』と『サカラメンタ提要』について触れておく。
『おらしょの翻訳』(1600年刊)はそれまでは直接教えられたり、写本や断片で印刷されたものに頼っていたオラショに関する書物の集大成である。基本的なオラショに、信徒の守るべき基本事項、日常生活用のオラショ多数が所収され、付録として、ドチリナ(教理)の簡単な十一箇条「もろもろのきりしたんしるべき条々のこと」、ラテン文平仮名書きの「たつときびるぜんまりやのらだいにあす(連祷)」がついている。
十一箇条の方は、生月島でオラショとして伝承されている。
また『おらしょの翻訳』には「宇宙について」の五章、A,B1〜12が所収されていることになる。

『サカラメンタ提要』(1605年刊)は、日本文化・習俗を考慮した上で編纂された儀式書である。五つの秘跡に関する説明と教会法による規定、信者への訓辞などが示され、他にも各種の祝別や行列、埋葬式などへの指針が書かれている。
この中には19曲のグレゴリオ聖歌の楽譜が含まれている。現存する日本最初の活版活字印刷楽譜であり、二色刷活字印刷書でもある。
聖歌は五線のネウマ譜によって書かれており、五線が赤、音符が黒であった。
日本人が葬儀を重要視することから、19曲中、13曲が葬儀用のものである。また他の6曲も司教訪問などの時に歌う曲であり、一般信徒が普段歌うようなものではなかったという。
「おらしょ」(千原さんの曲の方)に含まれているKyrieも、葬儀用の曲の最後に歌われるものである。
また「宇宙について」のB13「みじりめんで」の原曲Miserere Meiも所収されている。