キリシタンのマリア信仰について


布教当初から、迫害期、潜伏期、そしてかくれキリシタンに至るまで、キリシタンの間で盛んだったといわれるマリア信仰について。

布教当初から、イエズス会はマリア信仰を広めることに力をさいていた。なにしろシャヴィエルが来日したときからして、8月15日というマリア被昇天の祝日だったのだから、日本布教はマリアの加護の元にあると思っても不思議はなかろう。
日本人にもマリアの存在は親しみやすかったらしい。シャヴィエルが鹿児島で島津貴久に会った際、マリアの聖画が、貴久に驚きと共感を与えたらしい。
おそらく元々日本で盛んであった観音信仰の観音と似たイメージを日本人は覚えたのだろう。多神教の国・日本で、複数の信仰対象があることもマリア信仰への助長になったであろう。
マリアに捧げられた教会が多く建てられ、マリアの名を抱いた信心会も増えた。
おそらくその精神を潜伏したキリシタン達も受け継いでいったことだろう。1865年信徒発見の際、最初に発した言葉は「サンタ・マリア様の御像はどこ?」であった。

ちなみに、キリシタン遺物として有名なマリア観音。これは五島に多く見られ、生月には存在しない。またマリア観音といっても子安観音などがマリアに似ているから用いただけで、最初からマリアに模して観音を作ったわけではない。もしそう見える物があったならそれは後世になってからの偽作である。