オラショについて


‘オラショ’という言葉は元々ラテン語のOratioが語源で大抵‘祈り’とか‘祈祷’とか訳される。キリシタン達の祈りの言葉。

キリシタン時代は、神儒仏三教との混同をさけるため原語主義がとられていた。‘オラショ’も神道の加持祈祷との混同を避けるため原語が使われた。
ちなみにOratioを羅日辞典で引くと、一番目に来るのは「対話、会話」と言った意味で「祈り、祈祷」が来るのは七番目くらい。‘オラショ’は祈祷と言うより、神との対話、という意味合いが強いので、加持祈祷と区別する必要があったのであろう。

私が調べたのは主に生月島のオラショについてなので、ここでのオラショの解説は生月島のものが中心となります。

★伝承の仕方
・禁制のものなので本などの形にするのははばかられ、ほとんど口伝えであった。
・伝承のできる期間は悲しみ節(キリスト教の四旬節)と呼ばれる期間だけ(生月は現在ではいつでも良いところもある)であり、覚えるのが大変であった。

★となえる人
・生月では今ではオラショが唱えられる人は役職者の中でも一部であり、少ない。後述するロッカンのオラショが唱えられる人はそれより少し増える。
・生月では女性はオラショを習うことも唱えることもできない。最近になって閉経後なら良いとされたが、習う人はいないそうだ。いわゆる赤不浄(血の汚れ)をさけるためである。
ちなみに五島では女性も習ってもよいとされる。

★となえ方
・禁制のものなので堂々と唱えることはできない。
五島・長崎では口の中だけで唱えられ、生月などは見張りを立てて唱えていたという。
現在では生月は大声を出して唱えられ、五島でも口に出して唱える所があるそうだ。
・基本的に暗記していなければならないが、現在では山田では本を見て唱えることが許されている。
・暗記しているので間違うこともある。間違えることを生月では「さやが詰まる」という。エレンジャ(異教徒)がそばにいるとさやが詰まるという。
あらかじめ申し送り(後述)の時「言い誤りはまっぴらお許し下さい」と唱えるという。

★オラショの種類(生月島のもの)

・一口にオラショといっても様々な種類がある。生月島のものを大別してみると、次のようになる。

A)神寄せと申し送り:行事の前に神を寄せる(神道的要素)。その後、何について祈るか神に申し送る。
神寄せと申し送りの例:「(神寄せ)御方一体様、サンジュワン様、死後のアンジョウ様の御取り合わせをもーて始め奉る。御前様、お向え御三体サンジュワン様、お屋敷様、パブロー様、ダンジク様、幸四郎様、御子ヒイリョ様、サンミゲル様、子安の観音様、安満岳の奥の院様、ゴステンノウ様、‥‥(ここから申し送り)平成‥年‥月‥日の‥の行事につきまして‥‥お守り下さいますよう御願い申し上げ頼み奉る。」
殉教者、キリスト教の聖者、仏教などの神様がごちゃ混ぜになって出てくるのがわかる。

B)一座のオラショ:通常の行事の時に唱えるもので26曲(?)前後からなる(集落によって違う)。40分あまりの時間がかかり、これが通ることを「オラショが通る」という。
山田にはバリエーションとして半座がある。5章のオラショは全てこれに含まれる。

C)長座:お七百、お千べんなどと呼ばれる。
特別な行事の時に唱えられるもので、あるオラショを繰り返すものである。
お七百は、きりやでんず・ぱちりのちり・あめまりやを700回唱える。
お千べんは、がらっさを千回唱える。がらっさを十回唱えるごとに、パーテル・ノステルを一回唱えるのである。

D)ロッカンのオラショ:軽い行事や個人的な祈りに使われる。
一座の中から6曲(集落によって違う)唱える。
『どちりな・きりしたん』で「これら皆、ゆるがせなくして一遍に信実つとめ奉るべきなり」とした六つのオラショが元ではないかと思われる。パーテル・ノステル(主祷文)、アベ・マリア、ケレンド(信仰宣言)、十箇条のマダメント(十戒)、サンタ・エケレジアのマダメント(教会の掟)の六つである。しかし実際は違ったオラショがロッカンとなっているから、よくわからない。
元触では全ての行事をこれですませる。山田にはない。

E)行事ごとのオラショ:洗礼、葬式など行事によっては特別なオラショがある。
ちなみに洗礼は「お授け」、葬式は生月では「戻し」、五島では「送り」という。
お授けのオラショは現在ほとんど使われないので覚えているか確認するため、オジ役が2人で「御誦比べ」をすることもある。