つれづれ

時々「教材は、作り込まれるほど、授業で使いにくくなる」という話を耳にする。
しばしば見られる現象だと思いつつ、複雑な気持ちになる。
というのも、このHP、13th-noteにある教材は、どれも時間をかけて作り込んであるのだ。

そういうわけで、この問題について少し書いてみたいと思う。


「教材は、作り込まれるほど、授業で使いにくくなる」理由として、たとえば次の事が考えうると思う。

  1. 作り込まれて教師から見て素晴らしいと思ったが、生徒が特に興味を示さず、教師が想定していた授業進行を、その場で変更する事を余儀なくされる。
  2. 作り込んだ部分に生徒の注意が強くいってしまい、授業の流れを教材に持っていかれてしまい、その次へ授業を進めにくくなってしまった。

さて、本当に教材を作り込む事は良くない事だろうか。

結論から言えば、

だと私は思う。詳しくは

と主張したい。


上で書いた、教材を「作り込んだ部分に生徒が特に興味を示さ」ない場合について。

誤解を怖れず、少し過激な事を書くと、それは、
教材作成者が、生徒の事や、その単元の内容を分かってない事が原因ではないか?

たとえば、すごく時間をかけて作られた2次関数を説明する動画を携えて、授業に臨む。
しかし、生徒からは「分かりにくい」と不評だったとする。
その場合、実は教材作成者が2次関数の事をちゃんと理解していない(2次関数の問題は何が出てきても解けるけれど)
または、2次関数を学び始める生徒が、どこで疑問を持ちうるか、気がついていない部分があっただけではないか。

こう書くのは、正直、このように感じる数学の教材が、いや、教科書の中にすら、十分に作成者が分かってないと感じる部分があるためだ。

教材を作り込む人は、どの部分をどのように作り込む事が、本当に生徒のためになるかをいつも考え、正しく実現していかないといけないのではないか。


次に、「作り込んだ部分に生徒の注意が強くいって」しまうことについて。

これは、教材が授業に合わせられる柔軟なものである必要もあるだろうし、同時に、教員も教材に合わせた授業スタイルを柔軟に模索する必要があるだろうと思う。
極端な例だけど、一方的に先生がしゃべる講義的な授業をしている合間に、ビジュアルもしっかりし、理解もしやすい素晴らしい教材が出てきたら、生徒は、その後に先生がどんないい話をしても、先ほどの素晴らしい教材の事が頭から離れないかもしれない。もしそうだとしたら、そもそも、教材の後に行う授業スタイルを変えるべきではないか。

生徒の注意を強く引く、良い教材があるなら、それを授業で使うというより、その教材に教師が合わせることもあっていいと思う。


さて、冒頭でも書いた通り、この13th-noteの高校数学教科書(検定外)は、とても作り込んでいます。
それが正しく作り込まれているのか、それは、読者の皆さんが判断してください。
また、フィードバック等いただけたら嬉しく思います。今まで以上に、正しく、作り込んでいけたらと思っています。

何より、作り込んだのにうまくいかないことがあったとしても、作り込む試行錯誤がない限り、正しい作り込みは永遠にできるようにならないでしょうから。

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Last-modified: 2013-07-14 (日) 19:18