ベートーヴェン シリーズに寄せて ~ その1


前回(2002年)、SCOで交響曲第7番を演奏した際に、後援会の会員様よりお寄せいただいた文章をご紹介いたします。



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 前半は日韓共催によるサッカー・ワールドカップの熱気が国中を席巻し、後半は北朝鮮による日本人拉致事件の欺瞞ぎまんに国民の悲憤が鬱積うっせきした2002年も間もなく幕が降りようとしている。
 この1年"生"で音楽を聴く機会は、決して多くはなかったが、振り返ってみて、強い印象が残ったのは去る10月14日いずみホールでの「ベートーヴェンの夕べ」取分けプログラム後半の「第7」の演奏は、異常なまでに熱気を帯び、聴く者を圧倒するもので、今年一番のものとして忘れることができない。
 当夜の冒頭に演奏された「第2」は表現にやゝ硬さあって、幾分客席との距離が感じられた。また間奏に余り聴く機会の少ない合唱曲を選択されたのも、大阪コレギウム・ムジクムならではのものであり、単に珍らしさだけでなく企画的に良かったのでは。
 さて、リズムの饗宴きょうえんとも云われるベートーヴェンの「第7」は、ワーグナーが"舞踏の聖化"と称え、またリストは"リズムの神化"と評したと云われる特徴的なリズムをもつシンフォニーであるが、当夜のマエストロ当間氏率いるシンフォニア・コレギウムOSAKAの演奏は、管絃一体となった見事なアンサンブルと躍動感溢れるリズムによって、これ以上は望めないと思わせるベストの雰囲気を醸し出していた。開演直前にビオラ奏者のS氏が何かのアクシデントで着席が遅れ団員の軽い笑いを誘ったことが団員をリラックスさせ名演の因となったとすればS氏の怪我の功名とも云える。
 素人の私ごときが全うな音楽評など烏滸おこがましい限りであるが、聴く者の心を震わせ感動を与える音楽(演奏)の神髄を垣間見る思いがした。また当夜はアンコール曲の演奏が行われなかったことも印象的であったが、最後のタクトが降された瞬間に紡ぎ出される豊潤な余韻を保つ意味からも妥当であった。日本の観客は馴れない或は慎ましやかといった国民性から一般化しないが、今にもスタンディングオベィションが起りそうな気配が濃厚であった。演奏後のあの熱狂的な拍手は単なる儀礼的なものでは決してなく、マエストロ当間氏そして熱演した団員と共に、正に一期一会の「第7」の演奏の瞬間に立会った喜びの発露であろう。
 余談であるが、いずみホールの周辺に私には苦い想い出がある。敗色濃い戦時中の昭和20年(1945年)当時、旧制中学の学生として軍需工場に学徒動員され、毎日いずみホール横の省線(現環状線)を利用していた。大阪が空襲爆撃を受け、たびたび鉄道が不通となったため、その都度、線路を歩行する破目に会った。いずみホール横の寝屋川に架る鉄橋を幾度か恐怖に足をすくませながら渡ったことを今も忘れない。(現いずみホールの敷地一帯は、旧陸軍砲兵工廠こうしょうであったため、隠蔽いんぺいされ一般市民は立ち入れなかった)
 戦後57年を経た今日、素晴らしい音楽(演奏)に出会って、その余韻に浸りながらの帰途、不図その鉄橋を眺めるとき、何とも云いようのない感慨を覚えるのである。
 ベートーヴェン・シリーズも、いよいよ大詰めとなったが、残る「第1」と「第3」(英雄)にどのように挑まれるのか、新春に向け胸膨らむ思いである。ともあれ、今回素晴らしい「第7」の音の響きに、正に「生きていて良かった」を実感させていただいた。
 当夜の会場の皆さんと"至福のとき"を共有できたことに心から感謝申し上げる次第です。

(2003年3月号「シュッツの会」便りより転載)
※記事の最後にある、翌年の第1番、第3番の演奏は、CD「英雄」として好評発売中です!

ベートーヴェン シリーズに寄せて ~ その2「塩川先生のベートーヴェン」

【2007/05/05】