No.563 '04/9/9

シュッツが受洗した「聖レオンハルト教会」での演奏会


さて、演奏会の最後を飾るのは、ハインリッヒ・シュッツが生まれた「バート・ケストリッツ」での演奏会です。
ドイツに着いてからすでに一週間が経ったのですね。
今朝は七時過ぎに朝食です。気温は下がり肌寒い朝でした。吐く息が白くなったぐらいです。

お世話になった「インゼル・ホテル」を去る日でもあります。
ロケーションが良く、朝食も美味しく(昼・夜は外食となっていました)、団員には人気のホテルでした。
夜遅くに演奏会から戻り、疲れた体を休ませてくれた二階式の部屋に「ありがとう」とつぶやいて、ちょっと多めのチップを置いて出ました。

「ケストリッツ」は私にとって最も落ち着ける場所となりました。
シュッツが生まれ、5歳まで居た村です。生家は「シュッツ・ハウス」として博物館となっています。前回も今回も私たちを迎えてくれた「迎賓館」となったところでもありました。
今回演奏会場となった「聖レオンハルト教会」はシュッツが1585年10月9日受洗した教会。その記念の教会で演奏できたわけですからこんなに嬉しいことはありません。
丘の上に立つ小さな教会なのですが、私たちにとっては大きな意味のある教会です。

教会の中は左右中央に張り出した二階席があり、二重合唱をするには相応しいと判断しました。
しかし、音響的にも視覚的にもちょっと工夫しないといけない空間です。
最も困ったことは私の指揮する場所が確保できないことでした。
中を見渡し、「ここしかない!」と示したところが後方二階正面にあるオルガンの前。
でも、そこで振れば合唱団は後ろを向いて歌うことになります。まぁ、それはちょっと問題でしょうから、体は正面に向き(左右向き合う状態です)、目だけは後ろに(!)とあいなりました。(笑)
ところが、もう一つとっても大きな問題が重なったのですね。
それは、私が立つべきオルガンの前にはパイプ(オルガンのパイプです)があって立つだけでは私は合唱団から見えないのです!
で、どうなったと思います?
何とそこに、高い指揮台を作ることになったのですね。
ライナーと小野嬢が指揮台を作ってくれました。
どこからか台になるようなものを持ってきて、即席に指揮台を作ります。
とても高い指揮台になりました。立つとちょっと恐いんです。(笑)
でもそこは何としても指揮しなければなりません。立つ場所は狭いんですね。飛び跳ねたり、リズムに乗って足の移動をしようものなら落っこちてしまいます。
本番、小野嬢がずっとしっかり台を押さえていてくれました。(感激)
それを見ていた同行者の方が「なんて感動的な姿か!素晴らしい合唱団の連係プレイ、そして献身的な(?)サポートか」と。(笑)

一階席での聴衆の中に、前館長さんであったシュタイン博士(Ingeborg Stein )がいらっしゃいました。この演奏、ご満悦で聴いて頂いていたそうです。
シュタインさんにも会えて嬉しかったですね。
シュタインさんは私たちが7年前訪れた後、本を出版されています。
「Geistliche Chormusik」と題されたもので、シュッツの同タイトルによる曲集からテキスト、そしてそれに対する現代絵画が掲載されている示唆的な著書です。
前書きの中で私たちのことを書いておられます。
そして今回も本を出版したから是非献呈したいとの事。その場でサインをして頂きました。「HEINRICH SCHUETZ und KOESTRITZ」です。シュッツ・ハウスに訪れた時の写真や、我々の演奏会の記録が掲載されています。

宿泊している「シュロス・ホテルで」から教会まで、演奏用の衣装に着替えた団員たちが裏の丘の上に通じる小道を歩く姿は絵になりますね。
教会の外にはテントを張って遊んでいた子供が二人いたのですが、興味があるのかずっと私たちを見つめています。あまりの熱心さに演奏会に招待したのですが、「もう帰らないといけない」と断られてしまったそうです。
しかし、もう少し誘えば良かったですね。日本の作品はきっと喜んでくれたのではないかと確信します。

さて、プログラムを終えたときの事です。館長のヴェッヒャーさんがカゴを持って私に近づいてきます。
私はてっきり「花」の贈呈だと思って、アンコールするために花を誰に手渡せばいいか、なんて考えていたのですが、私の目に飛び込んできたものは「花」ではありません。
ヴェッヒャーさんが指さして、「これは記念のラベル付きです」といって差し出してくれたのはシュッツのシルエットがラベルとなっている黒ビール「ケストリッツァー」だったんです。
勢い、私は声を出して喜んでしまいました。(笑)
そして「ケストリッツァー」は合唱団全員にプレゼントです。
私、本当に嬉しかったのですね。言ってはいけないかもしれませんが(笑)、プログラムの後半から実はもう飲みたくなっていたんです。(笑)
これが終われば、「飲める」。(笑)最後の演奏会でもあるし、シュッツ生誕地での演奏会です。「飲める」これは体の底からの叫びでした。(笑)
これは歌った皆も同じだったのでしょうか?一斉に「ヤーッ!」だったか「オーッ」だったか、「ケストリッツァー」の瓶を高々と掲げ、全員揃って雄叫びを発したのですね。これには聴衆も大喜び。熱狂的な会場の雰囲気は最高潮に達しました。

興奮が冷めやらない団員が待ち望んでいた「レセプション」が「シュッツ・ハウス」で行われます。そこにはこの町が生んだドイツの銘ビール「ケストリッツァー」の樽生がきっと置いてあるはずです。(以前もそうでしたから(笑))
なんとこの夜、その樽を全部飲み干してしまいました。(笑)
おまけにまだ足りず(笑)、瓶まで開ける始末。沢山のビールを樽から注いでくれた人もだんだん笑顔が消えていき、最後にはお疲れの顔になっていたのが何ともお気の毒というか、申し訳ないというか、とにかくいかに我々が「ケストリッツァー」の大ファンであるかをアピールした夜となりました。(笑)

盛り上がった会の最後はまたヴェッヒャーさんからのリクエストで歌います。
シュッツの生家で歌うシュッツ作品、最高の幸せですね。

オルガニストの松原晴美さんの事を書きましょう。
オルガニストというのはやっかいな仕事です。(笑)
普段、楽器がないため練習がまずできない。会場へ行ってみなければ楽器がどのように鳴るか判らない。鍵盤のタッチもバラバラ、新しく弾きやすいものもあれば、とんでもなく不揃いで弾きにくい古い鍵盤もある。調整がきちんと整備されているものもあれば、いつ頃整備されたのか?と思わせるものもある。また、ほとんどの場合助手が必要(ストップなどの補助操作です)。なんともまぁしんどい楽器です。(笑)

しかし、いつも思うのですがこんなに難しい条件の中、彼女の弾く演奏は骨太く、どんどん聴き手に迫ってくる演奏をします。今回は以前にも増して細部までよく歌い、ぐいぐいと聴き手を引き込んでいきます。見た目と違って、実に男性的な演奏を聴かせてくれるのです。
今回は合唱団と合わせる曲は無かったのですが、全プログラムを通して、見事に「松原晴美」のオルガンを聴かせてくれたと思います。ブラボー!でした。

千原英喜氏の作品を持って行ったのも今回の特徴です。
こちらからプログラム案を先方に送っていたのですが、ケストリッツからは強く千原氏の「アヴェ・マリア」をと望まれました。
私たちも好きな歌です。歌い終わった後の聴衆はちょっとため息の声をあげ、大きな拍手を頂きました。ドイツの人たちには「日本風」などとは受け取っていなかったでしょう、これは純然たる宗教音楽として受け入れたのではないでしょうか。
「春日大社の御田植歌(女声)」や「唱歌」は興味津々で聴いて頂いているのが判ります。曲自体、最後が盛り上がって大拍手で喝采という性格ではありませんから表面的にはおとなしい反応でした。
しかし、手応えはあります!(聴衆の目が輝きます)
今度は教会という場所ではなく、ステージでこれらの曲を演奏したいと思いました。
陰影のある叙情が漂う曲です。これをもっと活かされる「場」と「プログラミング」で演奏したいですね。そう強く思いました。

今回の旅行に幾人かの同行者が加わりました。自ら「サポーター」と呼んで、全演奏会を聴き、練習も見守って頂きました。
どんなに励まされたことか!
感謝の言葉がありません。最後の最後まで私たちを力強く見守って、そして応援し続けてくださいました。
五十嵐玉美のお母さんもその中にいらっしゃいます。
「娘が行った場所に行きたい」、そして「娘がどうしてこの合唱団にいたかったか、身を以て知ることができました」と言われたときは涙する思いです。
しっかり、私も玉美さんと共に演奏したということを告白しておきます。
指揮する前、必ず玉美さんのことが目に映ります。にこやかに私の棒を待っている玉美さんです。
これはきっと団員の中に同じ思いを持った者もいたはずです。
あの一瞬の呼吸、玉美さんのあの食らいつきを知っている者が感じないはずがありません。
私たちは彼女と共に演奏しました。そして会場にはお母さんがずっと聴いていてくださっていたのです。

レセプションの後、我々の「打ち上げ会」をホテルに戻ってします。
連続5日間という強行日程でした。「お疲れ様!」という挨拶も真実味が増します。
挨拶は私が締めくくりました。
クランさんとライナーには本当に感謝です。(抱擁しあって感謝を表しました。ライナーのなんと背の高かったことか(笑)私を軽々と抱き上げましたよ。(笑)クランさんのなんと大きく優しさに満ちた胸だったか。(笑))
皆の表情もやさしく、強く、輝いていました。
ケストリッツの最後の夜、それは演奏会の最後の夜でもあります。
その夜は少し興奮気味で床につきました。

次回からはオプショナルの旅行について書きます。
私を含めた20人程はライプツィヒ、ブレーメン、リューベック、そしてハンブルクへと向かいます。
しかし、その前に、ここケストリッツの「ケストリッツァー・ビール工場見学」があります。なんともはや懲りない、ケストリッツァーにこだわる我々ですね。



No.563 '04/9/9「シュッツが受洗した「聖レオンハルト教会」での演奏会」終わり