No.11(2000/6/25)

現代音楽シリーズNo.11


演奏にあたって
当間 修一

生まれ育った文化と異文化との接触、人はそれぞれにアイデンティティを求めてさまよいます。
異なった歴史を持つ民族、多種多様の文化、その連続線上で我々は自己の確認を求めます。
グローバルな視野で進められている昨今の政策は、<他>と<自>との摩擦との中でますます自己認識を迫られるという逆説的(パラドックス)なものを生み出しているのではないか。
今宵のプラグラムはそのような観点から選びました。

作曲者も演奏者も、そして聴衆も、心のより所を求めてさまよいます。
21世紀という未知の世界に突入する我々です。
私たちが求めたものが新世紀にどう働いていくのか。
私自身を探し求める旅かもしれません。
お聴きいただく皆様はどういった想いをそれぞれの曲に抱かれることでしょう。
それぞれの作曲家の想いが伝わるよう、最前を尽くして演奏したいと思っています。

1.アルヴォ・ペルト Arvo part (1935-  )
「TRISAGION 三聖誦」(1992,rev. X||/1994)

エストニア生まれの作曲家。はじめはエストニア国営放送の技師として就職。
その後、エストニア初のセりー音楽を発表し、十二音技法、音色旋律、クラスターといった現代的語法の作風による創作活動を始めます。そして、しばらくの沈黙。
再び彼独自の様式を持って楽壇に登場。
1980年西側に亡命。
独自のティンティナーブリ(Tintinabli)様式(ティンティナーブリとは鐘のこと。ロシア教会の鐘の音や中世の聖歌の研究をし、そこから単純3和音を基とする幾つかの和音の組み合わせ)を生み出す。

「TRISAGION 三聖誦」は声楽を伴っていないものの、この曲にはテキストが存在する。
東方教会での礼拝における神聖な呼びかけ「三聖誦」がそれである。
切り詰められた単純さと素朴さによる力強さ、ストイック的なまでに徹底した瞑想と祈り。
中世へと逆行したかのような世界。この世の浄化を願い、促すかのような響。
「孤独な現代性」の中にあって 深く人間の魂に迫ってくる「祈り」が共感を呼びます。

2.フィンジー Gerald Finzi(1901-1956)
「マニフィカト」(1952年)
イギリスの作曲家。エルガーとヴォーン・ウィリアムに影響を受けたといわれるが、彼の作品は独自のスタイルを持つ。孤独な作曲家、文学に深く傾倒した作曲家。1951年白血病にかかり、5年後に亡くなる。
「マニフィカト」
原曲はオルガン伴奏によるものですが、今日はデニス・ウイリアムズによる弦楽版で演奏します。

3.ユン・イサン 尹 伊桑(Yun Isang) (1917年〜1995年)
クラリネット五重奏曲(1984)

1917年9月17日韓国に生まれ、1971年にドイツ国籍を取得。
1967年、突然、北朝鮮のスパイ容疑でKCIAによって拉致。ソウルへ連行され、投獄。二年後に釈放、ベルリンに連れ戻された。
1973年、ベルリン音楽大学の教授に就任。
ユンの目的は、極東の演奏習慣とヨーロッパの楽器を組み合わせ、西洋の音楽伝統のなかでどのように確固たる音楽を築き上げるかであった。
アジア的発想、想像力を同時代の西洋的な技法によって表現した、といえる。
クラリネット五重奏曲(1984)は草津フェスティヴァルのために、’84年5月に書かれた曲。
斬新なグリッサンド、ピッツィカート、ヴィブラートの書法、クラリネットによっては発せられる甲高い音や、鳥の鳴き声のような奏法は韓国の民族楽器を意識したものだろう。

4.千原英喜 CHIHARA Hideki (1957〜  )
混声合唱のための「おらしょ」(カクレキリシタン3つの歌)

東京芸術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院終了。間宮芳生・小林秀雄の各氏に師事。
日本の民俗(民族)性と東洋の宗教性を素材としているのが特色。

どこからともなく聞こえるカクレキリシタンが歌う<おらしょ(祈りの歌)>。400年の時空を超えて聞こえるキリシタンたちの慟哭の叫び。禁教と弾圧の中にあって彼らたちが唱えた<おらしょ>は彼らたちにとって愉悦、そして恍惚に満ちたものであったに違いありません。
作品は幻想的なバラードとして見事なまとまりを見せている。

5. 柴田南雄 Shibata Minao(1916〜1996)

「宇宙について」(1979年)

作曲家、音楽学者、評論家として多面的な活動を続けた柴田南雄。
1969年、東京芸術大学を辞職しての作曲活動は1973年、第22回「尾高賞」受賞、1982年第13回サントリー音楽賞へと実を結ぶ。
代表作の一つとなっている「追分節考」を発端とする「シアターピース」は、伝統的な演奏形態を変える画期的な様式で、文化、歴史、思想を対比、重ね合わせながら、鋭く衝撃的に提示して見せる作品群となった。

「宇宙について」
第一章 インドの天地創造の神話を、オルガヌム、モテトゥス、ホケトゥスのスタイルで歌う
第二章 日本の天地創造の神話を無調十二音のスタイルで歌う。男声は原文、女声は口語文による。
第三章 旧約聖書の天地創造の神話を古典派、ロマン派のスタイルで歌う。
第四章 15世紀の異色のドイツ人聖職者ニコラウス・クザヌス、その他の言葉を後期ルネッサンスのスタイルで歌う。
(この楽章から途切れずシアター・ピースへと移行。個人と権力との関わり、自他の文化の交わりを示唆する会場全体を包む音響へと化していく様は圧巻)
第五章 隠れ切支丹の「おらっしゃ」(祈り)
第六章 世界各地の諸民族によるキリスト教の祈りの旋律が世界の様々な思想家の宇宙観を歌詞として歌われる。
第七章(終楽章)「華厳経」が唱えられ、全曲を閉じる。

「宇宙について」は柴田南雄以外には成し得なかったであろう問題作であり、且つ傑作である。
ここには1000年に及ぶ様々な音楽スタイルと、人間を取り巻く種々の問いかけが満ちている。
第四章と第五章では、西欧文明の優越・権威と日本における少数の孤独な信仰者である隠れキリシタンとの対比、第六章では世界各地の諸民族の祈りの歌をうたうシアターピース。
そして「華厳経」。この示唆に富む終楽章は圧巻です。
ここで我々は<様々な音楽>、そして<様々な世界>と出会います。
これこそ柴田作品の醍醐味です。