No.('99/10/10)

大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団 第33回定期 ブラームス:ドイツ・レクイエム


演奏にあたって
当間 修一

社交場で、あるいは親しい友人の中にあって冗談を言い、陽気に振る舞うブラームス。
しかし自分の部屋に戻れば、疲れた体をベッドに沈めながら深いため息をつく、そんなブラームスが私の脳裏をかすめます。
本質的に彼は「孤独」を友とした、「孤独」を必要とした人間でした。
晩年のブラームス、それはいきつけのレストランで一人静かに食事を摂り、終われば雨の中、孤独な背中を見せながら家路へと向かう姿。
多くを語らなくなった内気なブラームス、静かなブラームス。幸、不幸を超越してしまった思索の音楽家ブラームス、それが私が抱くブラームス像です。
思索の産物、その彼の想いが、彼の作品の中で真の言葉となって語られ、旋律の中に、そして和声の流れとその響きの中に、声にならない呟き、囁き、叫びとなって聞こえてきます。

聖書が彼の思索の源泉。終生の座右の書としていたことは有名です。
歌詞をその聖書の中から選び、彼は幾つかのモテットを書きました。
一曲目に演奏する作品74「二つのモテット」から第一曲「なにゆえ、悩む者に光をたまわったか?」(1877年作曲)は彼のそうした側面を見事にあらわした傑作だと思います。
ヨブ記、エレミヤの哀歌、ヤコブの手紙、そしてルターのコラールからとられたそれらの歌詞から、<孤独><苦悩><悲嘆>と<慰め>の彼の心情がよく伝わってきます。
また、ここに見られる二声部ごとの模倣や、カノンの形式はシュッツやバッハの作品を通して学んだ作曲技法(厳格対位法)の特徴をよく示しています。
二曲目に演奏する、二重合唱、作品109「祭典と記念の格言」(1886〜1888年作曲)は彼の<正義>と<名誉>を重んずるもう一つのブラームスの顔を覗かせる曲、<騎士のように>と考えていたブラームスらしい力強さを感じる名作です。
この曲は当時の国家的記念日を祝うための讃歌として作曲されたようで、ハンブルク市長に献呈されました。ヴェネツィア楽派を思わせるこの荘厳な曲は、彼の合唱曲の中でも重要な位置を占めるものです。

「ドイツ・レクイエム」作品45 (1854〜68年)
シューマンの死や彼の母の死をきっかけとして生まれたブラームス最高の声楽作品。そしてその生涯の中核を成す作品です。
ブラームスはこの曲を<死者のための典礼の祈り>としてではなく、生きている者、残された者への<慰め>として作曲しています。
選ばれたテキストの中に(歌詞は聖書から彼自ら選んだものです)「キリスト」、「イエス」といった語句が出てこないことも特徴で、これはブラームス自身が述べた、「タイトルから喜んで『ドイツ』という言葉を取り去り、『人間の』という言葉に入れ替えて差し上げよう」ということからも判るように、非宗派的な作品を意図するものでした。

1.ヴァイオリンのパートを省いた楽章。低音の渋みのある深い響きが支配します。悩む人、悲しむ人に「皆さんは祝福されています!」と合唱による宣言。
悩み、悲しむ人々は<慰められるのです>
ゆえに、皆さんは喜びへの道、幸いへの道に今在るのです。

2.勇壮な行進曲。
この世の人生はどんなに華やかに栄華を極めても滅び去る歩み。
実り多き喜びを得る、それは農夫が収穫を得るための忍耐と同じ。悩み悲しみに耐え、神による永遠の言葉に従って歩もう。それが喜びへと向かう勇壮な行進なのです。

3.バリトン独唱が神に向かって問い、合唱が全ての人々の声として復誦します、「私の行く末を教えて下さい」と。
そして、人のはかなさを知り、神への信頼と希望を待ち望んで確信のフーガへと突入します。このフーガは低音のD音に支えられた特徴ある力に満ち溢れた驚異的な楽曲です。全曲における中心の部分。
4.美しい叙情性に満ちた曲です。前楽章で神への信頼を得た後の、幸福に満ちた喜びの心情を歌います。変ホのホルンが美しく、弦の伴奏と共に安らかな情緒をかもしだしています。
5.初演のときはこの楽章はありませんでした。後に付け加えられたものです。
ソプラノ独唱が神の慰めに満ちた言葉を優しく歌います。合唱がかぶさって、「私は母が子を慰めるようにあなたたちを慰めます」は素晴らしく感動的です。

6.バリトンによって死の恐怖に打ち勝つ奥義が述べられる。そして合唱は死が勝利に呑み込まれたことを高らかに歌い、神の賛美へと向かいます。ブラームスの驚異的な作曲技法を示す楽章で、次々と変わる調性、対位法は圧倒的です。

7.ソプラノ声部による祝福の宣言。
今や死の恐怖はありません。悩み悲しむのも喜び歓喜するのも人の業。今や人々の労苦は解き放たれ、行いが報われるのです。
後半、テノールによって繰り返される祝福の宣言。満ち足りた深い幸福感と祈りをもって全曲が閉じられます。

純粋な古典的伝統を擁護する保守主義者としてのブラームス像が定着しています。
しかし、最近ではむしろ近代的、進歩的であったと考える人々が多くなっています。
内声部の精巧な線的進行とその表現法、オーケストレーションは改革者としてのブラームス再評価です。
今日の演奏もそういった構築性の特色が、明澄な響きとポリフォニー的演奏で浮き彫りにされればと考えます。





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