No.165 '98/8/25

演奏旅行(4) ベルリン


ベルリン大聖堂での演奏、それは私たちにとって楽しみでもあり、また不安でもありました。
それはあまりにも<大きすぎる>と思ったからです。
ペルトの「マニフィカト」が楽しみでした。(ここの聖歌隊のために書かれました)
バッハのポリフォニーがうまくいくか、それが不安でした。
しかし結果は、バッハのモテットは私が目指す演奏表現には不向きな残響の多さはあるもののその演奏意図は聴衆に理解していただけたようでしたし、その他の曲は残響の多さがかえって巧くいく原因となりました。
始め想像していた広さから来る「声の散らばり」「声の飛び」「集中度」などの不安は一見して消えました。
それは構造を見て「巧くいく」と直感できたからです。

 

リハーサルは観光客の出入りがあるなかで行われました。
熱心に聴き入る客もあり、座席に座りだす人も出、これはもう演奏会そのものでした。
我々はこの日2度演奏会をしたようなものです。
各国からの観光客です。どう印象をもたれるか判りません。
真剣になってしまいます。
この日だけで延べ人数にしてどれほどの方々に我々の響きを聴いていただいたことか。
これは「大変なことをやってしまったなぁ」という思いです。

本番はやはり一曲ごとに人の顔、反応が変化していきます。
演奏の反響は想像を越えました。
アンコールでの終曲が始まるや、聴いていた女性が泣き伏せるのを見た団員もいます。(横にいた男性が抱きかかえていたそうです)
目に涙を浮かべながら聴いていただく沢山のお客さんの姿を団員の多くが見ました。
始めに抱いた不安。
それはお客さんのこの反応を見て吹っ飛びました。団員たちの「心の響き」は確かに伝わったのだと思います。

後日、この時のお客さんであった方からメールを頂いています。
留学中の日本の学生さんかと思われます。

「貴団のベルリン公演についてメイルをお送りします。A.Paert:Magnificatをはじめ、すばらしい合唱を聴かせていただきました。とくに素敵だったのは ― 会場にいた多くの外国人にとってもそうだったと思いますが ― 柴田南雄の『追分節考』。
教会という空間のメリットでしょうか。いろいろな声があちこちから聴こえてきながらも、音響空間としての統一性が決して損なわれないのがすごい、と思いました。」

嬉しいことです。インターネットの便利さでしょうか。このように感想を送っていただいたことに感謝しています。
メールにもありますように柴田南雄の『追分節考』はとても好評でした。
この曲、<驚嘆>と<響きによる陶酔>を生むのかもしれません。
この『追分節考』についてはまた改めて書いてみようと思っています。

ドイツ演奏旅行の前半、ブルクとベルリンでの演奏。それは聴いていただいた方々にとってはまさに「衝撃」だったのではないか、私は今そう思っています。

 

 

'98/8/25「演奏旅行(4)ベルリン」終わり