No.13 '03/8/29

<生き生きとした演奏>を


<生き生きとした演奏>がどうも苦手だという人もいらっしゃるかもしれませんが、私の目指す音楽の基本は音と音との有機的な関係を目指しているものですから、自ずとこうした演奏となります。
今回はその秘訣を書いてみます。

<生き生きとした演奏>を細かく見れば、どの音符を取ってみてもどれ一つとして同じ物がない≠ニいうことですね。イントネーション、強さ、音色、そして音と音との間隔、どれも違います。
先日小澤征爾指揮の演奏をテレビで見ました。以前から氏の演奏に対して感じていたことなのですが、今回の演奏でも同じように感じました。
特に後半のジャズとの合わせの時にそれを強く感じましたね。

どういうことかと言いますと、音がどれも均一なのです。
私にはどうしてもこの音楽作りが淡白過ぎて、すぐに、聴くことの集中力が無くなってしまいます。
どうしてこのように均一的な音楽ができるか、私はとても不思議でたまらないのですね。
もちろん、細かいところやいわゆる聞かせどころでは微妙なニュアンスもあるにはあるのですが・・・・・・・。

でも、例えば前半に演奏していた「新世界」。これなどとても軽すぎるし、メロディの歌わせ方も起伏が単一的すぎると思うのですね。
私がそのように感じてしまうのも、少し前、昔よく聴いていたジョージ・セル指揮の同曲を偶然にも聴いたからかもしれませんが。
しかし、演奏が終わるたびに客は総立ちの大拍手。つまり大いに受けている風なのですね。
横で聴いていたwifeなどは「アメリカ人には聴き慣れない音として魅力あるのかもしれないね」と言っていたのですが・・・・・・・

ちょっと横道に逸れてしまいました。
<生き生きとした演奏>(例のジャズピアニストが好例でした)の秘訣、それは弾むリズム≠サして、主要な音へと向かう緊張したエネルギーの推進力とそこから離れていく弛緩の心地よさです。
今日はその中でも、ちょっと盲点となっている個所を指摘しましょう。

一つ、どの音も弾みを持たせましょう。
二つ、長い音やシンコペーションの音も思いっきり弾んでみましょう。
三つ、休符で休んではいけません。休符は<音の無い音符>です。
四つ、伸ばしている音(相対的に長い音符)は、ただ音を長く響かせているだけでは決してありません!伸ばしている間、その間こそリズミックでなければなりません。

特に三つ目は大事ですね。
合唱曲の場合など、音を伸ばしている間ピアノがリズムを刻んでいる事が多いのですが、この場合などでも合唱も積極的なリズムを刻んでいなければなりません。
無伴奏の場合など、リズムを刻まなければなんとつまらない音楽になることか。ただ声を伸ばしているにすぎないといった演奏をよく耳にすることがあります。

音楽はいざ始まると休むことはありません。休む時、それは音楽が終わるときです。
演奏が始まる。それは音として生命が与えられたことなのです。
生命とは息づくことです。息づくとはリズムがあるということです。
<生き生きとした演奏>それは大自然に呼応する演奏だと思うのですね。

私は<生き生き派>ですね。
指揮もきっと飛び跳ねていることでしょう。
私の理想
運動選手であり、役者であり、哲学者、そして舞踏家であって尚かつ音楽を用いる弁舌家であることです。(欲張り!)
この分野の人たち、どこかの部分が激しく動き回って人たちだと思われません?(真の哲学者は行動しながら頭をフル回転させていますしね)
<生き生き>している人たちだと映っているんです。
こういう生き方が理想なんですね。

<生き生きとした>生き方を目指す、それが指揮にも反映するということですね。

No.13 '03/8/29「<生き生きとした演奏>を」(「合唱講座」から移行)終わり