旅のお話その8〜普通の島〜


竹内もです。8回目です。

中江の島をずっと右手の方に見ながら、西肥バスは生月島を進んでいきます。
博多で立ち読みした観光案内に、「生月の観光は生月桟橋(バス停)を拠点にすると良い」みたいな事が書いてあったので、とりあえずそこまで行ってみることにしました。

しかし生月桟橋に着いてみると何もありません。バスの拠点ではありますが、案内所もなくどうしようか困ってしまいました。
後で島を歩き回ってわかったのですが、「生月桟橋を拠点に・・」とか言うのは、バスに何回も乗ったり、タクシーに乗ったりするときは便利なようです。
私のように歩いて観光する者には、生月桟橋まで行くことはあまり意味がありませんでした。

どうしようか困ったので、とりあえず島の博物館「島の館」に行ってみようと思い、近くの人に場所を聞きました。すると「島の館」は生月島に入ってすぐの所にあるというではないですか。来た道を戻らなければなりません。でも他にどうしていいか考えつかなかったので、やはり戻ることにしました。

とはいえバスで来た道をそのまま戻るのもなんだか面白くありません。ふと道路の道案内標識をみると、「右方向、山田」と書いてあります。
山田と言えば、「宇宙について」のおらっしゃの集落。
「どうせ戻るんやったら、そっち通るべ。もしなんかキリシタン遺跡があったらラッキー」てな感じで少しだけ島の内陸部を歩くことにしたのです。

生月島は1991年に大橋が通ったばかり。まだまだ観光地化されてません。歩いていると島の日常の空気が感じられます。
漁業と農業で生計を立てている人がほとんどの、素朴な普通の島といった感じでした。


生月島の風景(山田)

来るまでは、普通の島であるハズ、と頭で考えながらも何か妙な期待を持っている自分がいました。かくれキリシタンの島の持つ独特な空気、みたいなものをどこかで求めていたのでしょう。
島に着いてみるとそこは考えていた通りの普通の島でありました。
妙な期待は、良い意味で裏切られた、といった感じでした。人が暮らす所に特別を求める自分がアホだったのです。

ごく普通の島で、ごく普通の人たちがキリスト教を信じ、そして棄教したり殉教したりする。潜伏して信仰を守り、その信仰が変遷していく。その変わった信仰を保持していく・・。全てはその時その時の当たり前のこと、普通のことであった。日々の営みの中でのことであり、特殊なことではない。むしろ変わっていった、特殊であったのは周りではなかったのか。そんな思いにかられました。

さて山田辺りを歩いていると、段々日も高く、暑くなってきました。
いい天気です。海は青く、遠くまで見えます。もちろんずっと中江の島は見えています。(中江の島は生月島の東側どこからでも見える。生月島の集落は島の東側に集中している。)
昔の、そして今のキリシタン達はどんな思いであの島を眺めていたのでしょうか。


山田から見た中江の島

歩けど歩けど「島の館」にはたどり着きません。バスではすぐでも、歩けばたいがいな距離があります。キリシタン遺跡にも一つも出会っていません。
空には雲ひとつなく、どんどん暑くなってきます。昨夜も歩きづめ、今日も暑い中歩きまくり、足の裏に痛みがはしり始めました。マメができてきたようです。
歩いていて島の感じは良くて楽しいのですが、私わがままなものでそろそろ変化が欲しくなってきました。
しかし、歩けど歩けど普通の村落です。暑い中、自動販売機(コカコーラ系ばかりだった)がある度にお茶を買い、水分補給。汗が滝のように出ます。

足のマメも痛み、暑くてイライラし始めた頃、現れたのは

「ガスパル様」

と書かれた看板でした。

続く。

back next