旅のお話その7〜生月入り〜


竹内もです。連載7回目、でも1日しかたってません。

【注意】今回よりキリシタンに関する専門用語が続出すると思われます。できるだけ説明を入れつつ旅行記も進めるつもりですが、わからない事があればどうぞご質問下さい。
できるかぎり答えさせていただきます。

平戸大橋を渡って、すぐに平戸桟橋に着きました。
この平戸桟橋から生月島へのバスが出ています。
この付近にも色々な観光スポットがあります。
特に平戸城にはキリシタン遺物も展示されている様なので、是非行ってみようと思いました。
しかしまずは生月島です。

そういえば平戸桟橋のバスターミナル前に面白い名前の喫茶店がありました。
「ワコウ」という名前でした。
平戸や生月辺りは昔倭寇の基地が多かったこともあるので、そこからとった名前でしょうが・・・なんか怖そう?

さて私は生月桟橋行きの西肥バスに乗り込みました。
生月島へは平戸島を横切るので結構時間がかかります。

西肥バスは気持ちの良いバスでした。まず運転が丁寧でしたし、降車ブザーを鳴らすといちいち「了解しました」と言ってくれます。お年寄りが乗ってくれば、座るまで発車しないし、お年寄りがバス停にいれば、クラクションを鳴らしバスが来たことを知らせる、などのことを私が乗った全ての西肥バスはやっていました。
こういう細かい所が行き届いてるのっていいですねぇ。値段は高めでしたが(でもそうしないと採算取れんのやろなぁ・・客少なかったし)。

バスはいったん山あいに入り、生月大橋を目指します。山を抜け海が再び見えてくると一つの小さな島が視界に入ってきました。
平戸島と生月島の間に浮かぶ小さな無人島・・・。
そう、「さんじゅあん様」の中江の島です!

中江の島は生月キリシタンの聖地。多くの殉教者はここで処刑され、またかくれキリシタンの行事で使う「お水」(キリスト教の聖水にあたる)もここで採取されました。
「宇宙について」にも出てくるオラショ「さんじゅあん様」は、この中江の島での殉教者を悼んで作られた歌です。

「前もなぁ、後ろも、潮であかずるやなぁ」この歌詞であるところの海峡も見えてきました(何故この島が処刑場だったかというと海峡の所で処刑すれば潮が勝手に死体を持っていてくれたからである。多くのキリシタンを処刑するには好都合だったのです)。

この島は生月島の向かいにあることから「お向かいさんじゅあん様」と呼ばれることもあります。
しかしこれから生月島に入る私にとって、この島は迎えてくれた「お迎えさんじゅあん様」でした。

「さんじゅあん様」をみながらバスは生月大橋を渡って行きます。
1991年に造られたその橋を渡ると、そこはもう生月島。
いまもかくれキリシタンの生きる島。
私の積年の思いが詰まった島です。

続く。(やっと着いたよ・・)


お迎えさんじゅあん様(生月大橋より)

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