バート・ケストリッツのレセプション


チューリンゲン州報
1997年7月23日
発行部数;206,100部(チューリンゲン州)

大阪からの合唱団への晴れやかなレセプション
─シュッツ・ハウスの日本人音楽家たち

バート・ケストリッツにて
 昨夜、バート・ケストリッツ市及びシュッツ・ハウスによりドイツ演奏旅行にある大阪 ハインリッヒ・シュッツ合唱団のためのレセプションが 日本国藤田直総領事及び演奏旅行の企画者であるクラウス・クラン氏を迎えて催された。
 ライムンド・シュミット市長は同合唱団に対してこの地が生んだ作曲家ハインリッヒ・シュッツの名とその芸術を世に広めたその功績をたたえた。
総領事の藤田氏は、バート・ケストリッツ市をこの機会に訪問することが出来て嬉しく思うと通訳をつけずに述べた。さらにシュッツの名は日本ではモーツアルトやブラームス、バッハといった作曲家ほど名は知られてはいないものの多くの音楽愛好家の支持を得ているともつけ加えた。
 クラウス・クラン氏はシュッツという作曲家なくして同合唱団の20年間にも及ぶ演奏活動はなかろうと述べた。
 当間修一の指揮のもと、合唱団はこの様な歓迎に対して、シュッツの宗教的合唱曲集より「言葉は肉体となり、私たちの内に宿った」という作品で返礼した。


エルスタータール日報
1997年8月15日
発行部数;13,600部(チューリンゲン州)

市長による「大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団」歓迎レセプション催される

ドイツ演奏旅行の一環として、大阪よりハインリッヒ・シュッツ合唱団が来訪し、7月23日ゲーラ市・聖ヨハニス教会にて演奏会が催された。
演奏会前日、ハインリッヒ・シュッツ生誕の地、バート・ケストリッツ市長の主催により同合唱団の歓迎レセプションが市役所関係の賓客もまじえて盛大にとり行われた。
市長は同合唱団に対して当地の生んだ偉大な作曲家の名を世界に知らしめた功績に対して喜びと感謝の意を表明した。
今回のドイツ公演の主催者である日本国藤田直総領事はフランクフルト・アム・マイン市より当地へと赴き、同合唱団のハインリッヒ・シュッツ生誕の地への歴訪に同伴した。藤田総領事はハインリッヒ・シュッツは日本ではモーツァルトやブラームスといった作曲家ほどその名は広く知られているわけではないが多くの音楽愛好家の支持を得ていることを強調した。そして今回、この機会にシュッツ生誕の地を訪問することができたことを心から喜んだ。
さらに、同合唱団名誉会員であるクラウス・クラン博士に対してもこの度の演奏旅行への協力を感謝した。
同合唱団主宰である当間修一はこの歴史的に意義深い土地に滞在することを得て感動とともに幸福感に満たされていると述べた。
「エルスタータール合唱団」はトーマス・パムラーの指揮により合唱曲で歓迎の意を表した。もちろんとり上げられた曲目の中にシュッツのものが含まれていたことは言わずもがなである。当夜シュッツの作品からの抜粋が演奏された。
マルティーナ・シュヴァインスブルグ郡長及びミュラー本省部長、シュッツェ州議員、同教会代理人を初めとして政界、財界、文化人らの賓客が当夜の歓迎に対して感謝の意をもって演奏されたシュッツ合唱団の音楽に酔いしれた。
ひきつづいてシュッツ・ハウス館長、インゲボルグ・シュタイン博士及びフリーディケ・ベヒャー女史により同館の案内が行われ日本からの客人に印象深い感銘を残した。
同館職員による郷土色豊かなブュッフェ−もちろん当地の名産黒ビールもふるまわれたが・・・−で忘れ難いレセプションは終わりを告げた。
今回の公演に係わった全ての関係者に感謝の意をささげる次第である。


ゲラの演奏会


驚嘆すべき演奏、至福の時
−大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団演奏会

大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団によって素晴らしい合唱コンサートが水曜日の夜、聖ヨハニス教会で催された。当間修一の指揮により、日本からの合唱団員はハインリッヒ・シュッツ、J.S.バッハ及び日本の現代音楽作品で聴衆を魅了した。
当夜のコンサートはハインリッヒ・シュッツの後期の作品から始まった。「ドイツ・マニフィカートSWV494」は極めてまれな長い朗読調の熟成された作品で、音楽的緊張を要求するものである。アジアの国からやってきた合唱団はドイツ語を我がものとし、しかも歌詞の意味内容を明確に把握し音楽的豊かな解釈を示した。このような声楽におけるエレガンスと芸術的完成度が表現されている演奏会はここドイツにおいても極めてまれなことである。ダビデ詩編による「バビロンの流れのほとりにすわり」はまさにこの感を強くさせるものであった。当間はハインリッヒ・シュッツの二声合唱を彼の解釈の中心に置いた。見事なまでに聖ヨハニス教会の音響の可能性を引き出しながら、合唱団員を響きによる感動的な造形美へと導いて行く。この合唱団は古典音楽における多声に熟知しているのみならず、日本人作曲家武満徹の「風の馬」においても同様のことが言える。新たなメロディ的要素とハーモニー的要素及び、各声部をコントラスト豊かに対比させるだけでなくメロディ的要素も大胆に計算された偉大な作曲家の芸術的完成度を実現させた。二つの大きな合唱曲の演奏の間には、ゲーラ市のオルガン奏者、ブルクハルト・ツィッツマンによる、J.S.バッハの「プレリュードとフーガ変ホ長調 BWV552」が演奏され、当夜の演奏会に変化に富んだ雰囲気を与えるインテルメッツォとなった。
シュッツの「音楽による葬送 作品7 SWV279-281」はバロック・チェロ、コントラバス、リュートとポジティフ・オルガンからなる小編成のオーケストラとともに演奏されたが、合唱団が名を冠したシュッツの音楽が、彼の音楽と深く関わりその困難な音楽と歌詞による思考の世界を極めるならば今日もなお、その音楽は生命を持ち続けることを示してくれるものとなった。
スタンディング・オーベーションとともに、聴衆に深い感銘を与えた145分にもわたる演奏会だけをとってみても合唱団の力量を伺い知れるものである。
アンコールとして柴田南雄の「追分節考」が演奏されたが、この作品は音楽空間における音のコラージュと言える。合唱団員は歌いつつ教会内を移動し、人間の声の持つ表現の可能性を様々な形で追求するものである。

TLZ演奏会批評;クラウス・ユルゲン・カンプラート


二つの世界−伝統と現代との出会い−
大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団、ゲーラ市聖ヨハニス教会にて客演

極東の国はいつも私たちを驚かせる、−「何も不可能なことはない」という日本の人生哲学なるものが宣伝文句そのものなのである。大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団が不意に当地にやってきて、しかも声楽的な完成度だけでなく音の造形美さえも卓越したものをもっており、20年来、関西地区において、ヨーロッパにおけるルネサンス及びバロック音楽を研究し演奏活動を続けてきたことを私たちはどう理解すべきなのだろうか? ヨーロッパの伝統がいかに直裁で、活力に満ちあふれ、独自の演奏様式の中に具現されているかを、ゲーラ市の聖ヨハニス教会での水曜日の夜の演奏会で興奮で迎えた聴衆とともに体験したことを驚きをもって受けとめるしかないのである。同合唱団の創立者で常任指揮者の当間修一の指揮のもと、今回3度目のヨーロッパ演奏旅行でハインリッヒ・シュッツ及び日本の現代作曲家の作品により私たちに消しさることのできない強烈な印象を残した。
 86才のシュッツ最後の作品「ドイツ・マニフィカート」は讃歌であるとともに時代批判でもあるのだが、それとともにケストリッツ生まれの作曲家が1636年ゲーラにおいてハインリッヒ・ポストゥームスの葬送のための音楽として最初に演奏された「音楽による葬送」も当夜のプログラムにのぼった。とりわけ、「ドイツ音楽の父」と呼ばれているハインリッヒ・シュッツの作品が演奏曲目としてとりあげられたのは客演する土地との関係からである。合唱団員たちにとってこの地での演奏活動は、高い音楽文化と造形美を示す絶好の機会となったのである。優美なメロディーの流れの中に、また響きの均質性や、「マニフィカート」の繊細なまでに濃淡のつけた交唱においてもあるいは合唱やソロのコンサート、FermchorとHauptchor(遠くからの合唱とメインコーラス?)の協力関係、「音楽による葬送」での様式豊かな器楽演奏においてもつねに指揮者はアンサンブルから極めて高度で正確なアーティキュレーションや楽曲理解、さらには暗示的効果を引き出すことに成功しているのである。すべてのものが、一つの局面のもとでいわば鋳型へと流し込まれるのである。J.S.バッハの有名なモテット「主に向かって新しい歌を歌え」において、音楽のもつ美しさや内なる力と喜びが明るい光を放っていると思われるのだが、軽快感がもっともよく表現されている。ブルクハルト・ツィッツマンはバッハの堂々とした独特のポリフォニーをもったオルガン作品「プレリュードとフーガ変ホ長調」でもって晴れやかにまたヴルトォーゾらしく前座をつとめた。
 合唱団はさらに新しい作品でも深い感銘を与えた。武満徹の「風の馬」は二つの世界をさまよう伝説的な放浪者が主人公なのだが、声楽と朗読、メロディーと雑音、女声と男声とのコントラスト、日本と西洋の民謡が融合した色彩豊かな響きのインプレッションといえる作品である。また柴田南雄の「追分節考」メロディー豊かなインプロビゼーションだが形式から開放され空間を移動しながら合唱団員はロマンティッシュに満ちたこのアンコール作品で聴衆を魅了し最高潮へと導いていく。
盛大な拍手喝采のもと時代を越えて二つの世界の出会いがこの様な形で可能になったことを主催者への感謝の思いで歓迎したいと思う。

Dr.E.K.


イエナの演奏会


チューリンゲン州報(ワイマール)
1997年7月26日
発行部数;37,800部(チューリンゲン州)

ハンス・ユルゲン・ティーアス

日本的完璧さ─イエーナ市での「天国的な」合唱演奏会

読者諸氏は想像してみるがよい:ドイツの合唱団が日本へと赴き、かの地で日本の作品を日本語による歌詞で2時間にもわたるプログラムを歌うとなれば、しかも自国ドイツの極めて高度な技量を要する現代作品も2つそのプログラムにとり上げるとなれば・・・。全くこの逆のことが想像できるであろうか? 当間修一の指揮のもと、大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団がドイツ演奏旅行の中、イエーナ市教会で演奏会を催した。
 当間にとってドイツ・ルネサンス及びバロック音楽と取り組むことは、当然ドイツ語の使用が必須条件となる。すみずみまでに行きわたった深遠な内面的理解、さらに一言一句もおろそかにしない解釈は驚嘆に価する。同合唱団の名を冠したハインリッヒ・シュッツ作品の解釈においてドイツのどの合唱団も遠く及ばない。オルガンの前の2階席でアカペラにより歌われたときでも、祭壇の前でコンティヌーオの伴奏で歌われた時でも、ドイツ音楽の父たるハインリッヒ・シュッツの「ドイツ・マニフィカート」における次第に音となる歌詞朗読においても、およそ50名からなる合唱団の各声部及びホモフォニーのアーティキュレーションが極めて重要なのである。私たちは当夜、J.S.バッハのモテット「イエスはわが喜び」とともに武満徹による2つの作品でも響きの純粋さ、声のコントロールの確かさ、明瞭でにごりのないイントネーションにより高度な合唱演奏を体験した。
今回の夏のプログラムの中にシュッツの「音楽による葬送」を見つけて唖然とした。これはゲーラ、イエーナ、ドレスデンといった客演地への礼儀の意味をもっておりまた日本における毎年7月の恒例の死者への鎮魂を示唆するものでもあろう。演奏解釈には二つの異なる文化の永遠なるものへの思想の相違を映し出している。興奮を呼んだ合唱の夕べはヨハン・ゴットフリート・ヴァルターのオルガン・パルティータ「イエスはわが喜び」で終わりを告げた。


ドレスデンの演奏会


ドレスデン新報
1997年7月30日
発行部数;45,400部(ザクセン州)

極めて高い水準の演奏
―大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団、聖十字架教会にて客演

 日本におけるヨーロッパ音楽の拡がりは、日本人自ら、インテンシヴに演奏のあり方や音楽学に取り組むまでになった。今回の素晴らしい演奏会に触れることによって、シュッツという作曲家がはるか日本においてその音楽の歴史の展開の中で大きな役割を担っていることは幸いなる実状と評価できるであろう。そしてもはや作曲家の名を冠した「大阪ハインリッヒ・シュッツ合唱団」という名称は決してエキゾチックなものではないのである。
1977年に当間修一によって創立された同合唱団にとって今回のドイツ演奏旅行は3度目となるが、ドレスデン聖十字架教会で感動的な演奏会を行った。その名称にみられるように同合唱団は主にハインリッヒ・シュッツ及びその周辺の音楽を活動のよりどころとしており、当夜も「ドイツ・マニフィカート」及びシュッツの宗教的合唱曲集より「おお、愛する神よ」「もろもろの天は神の栄光を語り」の3つの作品が取り上げられた。それぞれの作品において生命力が満ちており、豊かな経験にうらうちされていて見事なイントネーションと楽曲理解がなされており、八声の楽節においてはめったに聞きとることができない見事な声部の融和が実現されている。
およそ35名からなる合唱団員の個々が光輝くようなダイナミックで柔軟性に富んだ響きにより最高潮へと運んで行く術を心得ているようである。バロック音楽の演奏についてもヨーロッパの合唱団と比較され得る。
モンテヴェルディやJ.S.バッハの二重合唱によるモテット”Singet dem Herrn”(「主に向かって新しい歌を歌え」)においても同様に好印象を与えた。
 しかしながら、コロラトゥーラでは独特の表現のゆえか声の到達範囲が若干低下してしまったきらいがある。
合唱活動のもう一つの重要な分野である日本の現代曲では、ヨーロッパでも敬愛されている1996年に没した作曲家武満徹の最も重要な合唱曲「風の馬」が演奏された。 現代音楽にはこれまでにみられなかったような、優美な響きとともにこの作品の背景となっている遊牧民話の語りに強い印象を受けた。アンコールでは、合唱団のソリストたちの驚くべき力量を伺い知ることができた。
音のコラージュとでも言うべき「追分節考」は数々の次元から成り立っており、団員たちは教会内を移動しつつ指揮者の指示により、伝統的な仕方で歌って行く。
教会2階席でのレシテーションとユニゾンでの女声合唱が印象深く、また言わば、日本の伝統が西洋化の中で消え失せてゆくことへの警鐘とでも言うべきこの政治的メッセージを含んだ作品において、空間の響きを完全なものとした。
同行の女流オルガニスト、松原晴美がヴィンセント・リューベック、J.S.バッハ、ジャン・ラングレーの作品を演奏したが、少々テンポが速いものの技巧的には完璧であり、ジャン・ラングレーの「テ・デウム」においては教会の空間に管弦楽的な力強さがみなぎっていた。このコンサートは日本における卓越した演奏実体の極めて新鮮で高度な水準にあるものをドレスデンの聴衆に興奮とともに残していったのである。

―アレクサンダー・クォィク

(訳:高橋憲)


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