日々つれづれ
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2001年3月1日(木)
書けない時ってのはあるもんだ

書けない時ってのはあるなぁ
と思う。
 
僕は物書きの専門家ではないので
気が向いたときに書き、
そうでなければ書かないという
わがままなことができる。
 
でも、今は本当に書く気が起きない。
書きたいことは結構いっぱいあるのだ。
 
でも今は上手く文章が浮かんでこない。
 
今、抱えている問題が解決すれば
おそらく書けるとは思うけど
今は、書く気が起きない。
 
とりあえず気分を変えるために
レイアウトを変えてみた。
 
今日はこんなところだ。

2001年3月3日(土)
たまにはマックから・・

たまにうちのマックから更新してみよう。
 
最近の更新はほとんどCASIOPEIAからだったので
気分を少し変えてみようと思ったわけだ。
 
こうしてここで(ibook上で)書いてみると、
当たり前だけど、入力環境、編集環境としては
かなり、快適だ。
 
このibookは発売当初、ええやん!と思い
速攻で予約、そして初期ロットで購入したものだ。
 
が、実を言うと、
部屋が散らかっているという理由もあって、
しばらくの間
メインマシンというような使い方はしていなかったのだ
 
 
ふつうに考えるともったいない話だ。
 
 
しかし、振り返ると、こういうことは
僕には結構あるのだ。
 
でも、それが本当に威力を発揮しないかというと
少し時間をおいて、
威力を発揮すると言うことが多いのだ。
 
最初、CASIOPEIAもそうだった。
そして機種変更してしまった、DocomoのPHS 321Sも
そうだった。
 
しかし、
まいた種が芽を出し、
実を付け収穫を迎えるように
 
時期をおき、その威力が発揮されることが
結構多い。
 
購入を決めるときに
スペックなどをさんざん調査、検討するせいだろう。
 
そして、このibookもその真価を
発揮しつつあるのだ。
 
役に立たないものは買っていない!
と、思う。

2001年3月4日(日)
感覚・・・

自分も含めて、人間の感覚は
ここのところどうなってしまったんだろう?
と、考えてしまうことがある。
 
「人の命が軽くなった」
 
いや、重さは変わっていないけれど
大事さは何も変わっていないけれど
そのことを大事だと、大切だと
考える人が少なくなってしまった
そう思うのだ。
 
かつて、そう遠くない過去において
人の死は、殺人や、事故などの
自然じゃない「人の死」は
一大事ではなかったか?
 
ましてや、不慮の死を遂げた
理不尽な死を遂げた
「子供の死」は
社会全体で、悲しみ、もうあってはならないと
思ったのではなかったか?
 
現在、人の死のニュースが伝えられない日はない。
 
その中には、子供やお年寄りの死も混じっている。
 
でも、「またか」と思うだけの
自分もまたそこにいる。
 
おかしい。
何かがおかしくなっている。
 
そんなことを考えた夜だった。

2001年3月5日(月)
私が歌う理由(わけ)5

ちょっと話はさかのぼる。
 
記憶は定かではないけれど、
歌うことが好きだった僕は
親戚の前などでは、時々歌っていたようだ。
 
香川にいた頃、
僕は少年野球団に所属していた。
 
試合が年に何回かあって、
シーズンオフに入る前に、
打ち上げで食事会をするのが恒例だった。
 
そんなある年のこと。
いつものように、地元の農協のお座敷を借りて
打ち上げが始まった。
 
宴もたけなわの頃、少年野球団の少年たちに
なんか芸でもせい!と監督、コーチから
リクエストがあった。
 
そうこうしているうちに
僕の順番が回ってきた。
 
僕に出来る芸は「歌うこと」だ。
 
すぅーっと深呼吸。
ちゃ〜〜〜〜ちゃらら、ららららぁん
ぱぱぱぱぱぁん、ぱぁぱぁ〜
ちゃ〜〜〜〜ちゃらら、ららららぁん
ぱぱぱぱぱぁん、んぱぁぱぁぱぁ

 
  #頭の中で前奏#
  #なので、この間沈黙#
  #そして#
 

きみにぃ〜も、みえぇ〜るぅ
うるとらのほしぃ〜
とぉおくぅ、はなぁれてぇ
ちきゅうに、ひぃとぉりぃ〜・・・
  
  (中略)
 
かえぇってきたぞぉ

かえぇってきたぞぉ、

うぅ〜るぅとぉらぁまぁぁん!

(もちろん原調)
 
頭の中で伴奏が鳴る中、周りは
うわぁ〜という拍手。
 
ドキドキしたけれど、同時にすごい快感。
自分でもビックリするくらい
大きな、通る声だった。
 
人前で一人で歌った
初めての瞬間だった。
そして、その怖さと、快感を知ったのも
この時だった。
 
そう、僕の初のソロは
「帰ってきたウルトラマン」

2001年3月9日(金)
私が歌う理由(わけ)6

中学に入ると、
好むと好まざるとに関わらず
「楽典」
を教わることになる。
 
僕は、とにかくこれが苦手だった。
というよりめんどくさくて嫌いだった。
 
なので、ペーパテストは全くだめだったし
「楽典」の授業も
眠くて眠くて仕方がなかったのだ。
 
しかし、歌を歌ったり笛を吹いたりなど
実際に何かする授業は好きだったので、
なんだかんだいっても
バランスはとれていたと思う。
 
そんな中、中学2年の時だったか
授業でギター(スチール)を
弾くことがあった。
 
最初はこわごわだったけれど、
気が付くとすっかりはまっていて
お年玉でギターを購入するまでになっていた。
 
購入したのは中3になる年の正月だった。
 
受験勉強で忙しくなるにも関わらず
ギターを毎日弾く日々が始まる。
 
最初は楽曲を弾くだけだったけれど
アルフィーのファンになったこともあって
弾き語りにも挑戦するようになる。
 
#「メリーアン」ヒットの直後#
#これより前のナンバーにアコースティックな#
#楽曲も多かった#
 
そんな状況の中、
ある音楽に出会った。


2001年3月12日(月)
私が歌う理由(わけ)7

ある日、同級生の家に遊びに行った。
 
彼もギター弾き始めた頃で、
ギターを持って遊びに行ったときのことだ。
 
最近通販でこれ買ってん、と
ステレオにスイッチを入れ、
プレーヤーの針を静かに下ろした。
 
ジャーン
It's been a hard day's night.....
 
ビートルズの「ハードデイズナイト」だった。
 
聞き慣れているはずだった、
でも、最初の和音そしてそれに続く
音楽にすっかりしびれてしまった。
 
当時の人気番組で挿入曲に使われていて、
僕もそれをよく見ていたので
いつも聞いて聞き慣れているはずだった。
 
でも、しびれた。
今でも鮮明に覚えている。
心のある部分をガーンと揺さぶられてしまったのだ。
 
結局ギターを弾くのも忘れて
その友達とそのLP一枚を聴いてしまった。
 
ビートルズのメロディは色んなところに
使われていて、耳にはしていたけれど
こうやって、
その曲のみに向かい合ったのは
その時が初めてだった。
 
LPは全部で10枚。
その日に全部聴くことは無理だった。
迷うことなく、全部のダビングを頼んだのは
いうまでもない。
 
# わがままを聴いてくれた友人、東野くんに感謝#
 
その日から、夢中になってメロディライン
をコピーする日々が始まったのだった。


2001年3月16日(金)
花火確保(確定)

花火を確保した。
今度は確定だ。
 
先日、会社を昼から休んで
最終契約に行って来た。
 
この前も書いた、今度購入する
中古マンションの最終契約だ。
 
結局この最後の契約はあっけなく終わった。
 
はんこを数回押して、
銀行で振り込みなどの操作をしてもらって
1時間ほどで終了してしまった。
 
もちろん鍵ももらった。
 
そのあと、ローンの振り込みなどの手続き
そのほか2,3終わらせて
住友不動産の担当の人とそのマンションに向かった。 
 
リフォームのため、業者を呼んでいるのだ。
 
当然だけれども中は何もない。
窓から見えるのは「梅田」の風景。
 
これが、とりあえずは自分のもの。
 
なんか変な感じだ。
まぁ、少しずつ実感が湧いてくるのかなぁ
とも思う。
 
まぁ、とにかく、花火確保は確定になった。


2001年3月21日(水)
45歳を過ぎたら

仕事を辞めても良い
という選択肢を僕は得た。
 
家を買ってみてふと気づいたのだ。
 
ローンが済んだら家賃はいらないなぁ
 
と。
 
ローンは20年で組んだ。
ということは50歳を過ぎたら
支払いが終わるということだ。
 
もし、退職金が多少もらえるのなら
45歳で仕事を辞め、退職金で残りを支払う
という選択も有りなワケだ。
 
無理して仕事を辞める必要も
ないかもしれないけれど
何か違うことを
始めることが出来るかもしれない。
 
家を買ったことで
そういう可能性が出てきた。

2001年3月30日(金)
春です

東京に着きました。
今は宿にいます。
 
四谷駅に降りて驚きました。
本当に桜が満開です。
以下少しばかり撮った写真です。
 
これが、駅から紀尾井ホールまで続きます。
コースとしては、四谷駅からがお勧めかも。















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