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ある文章との出会い

雑誌「クーリエ・ジャポン」10月号を読んでいたら、次の記事が目に止まった。

『教育機関がコンピュータの導入を始めた1980年代*1、テキストにハイパーリンクを組み込むことに対して多くの教育者は期待を抱いていました。・・・物事を多面的に捉える視点が身に付くだろうと思ったわけです。しかし、その後の研究により、ハイパーリンク付きの文書は理解度を低下させることが明らかになっています。
2001年に行われた研究では、ある短編小説を、いわゆる「ふつう」のテキストで読んだグループと、ハイパーリンク付きのテキストで読んだグループで比較したところ、後者の理解度は前者に対して約7倍劣っていたのです。
もちろん、悪いことばかりではありません。ネットによって反射応答や視覚的な認知力などは高められることがわかっています。また、“情報の海”から適切な情報を素早く見つける能力も発達することが認められています。・・・』(p.31)

私は「これだ!これがずっと気になっていたのだよ!」と心の中で叫んだ。

ウェブサイトを通じて学ぶことの困難

数学や物理、化学、哲学に経済学、これら分野を問わず、理論をまとめてあるウェブサイトは意外と多い。
ところが、それらを、パソコンの画面を通じて学ぶことは大変に困難である。
パソコンの画面を通すと、集中して読めない*2
単なる慣れの問題かとも思ったが、それ以外の要因も感じる。

さらに、これらのことは私の友人たちも感じていた。
感じていたというより、「PCの画面を通じて学ぶことは言うまでもなく困難」という共通認識であった。

ウェブサイトで勉強することが困難なまま、子供たちに勧められるのか?

こんな状態のまま、今から学ぶ子供達に、デジタル教科書で勉強しろと勧められるのか?
子供達が「この前、パソコンの画面で開いて勉強したけど、忘れちゃった、あのときは理解したと思ったのになあ。」と言ってきたとき、「それはまだ、本当の理解じゃなかったんだよ、もっと深く考えないと」と答えることができるのか?実は、パソコンの画面を通じてでは理解が困難な内容であったら、どうするのか?

誤解のないように書きます。
これまでも書いたとおり、私は、デジタル教科書の導入に賛成です。
あと20年もすれば、パソコンを用いることは、電気をつけたり文字を書いたりするのと同じくらい当たり前の行為になるでしょう。だから、これからの子供達が、パソコンを通じて勉強することに慣れる環境を用意しておくことは、大人としての責任だと私は考えている。

本との出会い

話を戻します。
「クーリエ・ジャポン」の上記の記事には、執筆者のニコラス・G・カー氏による本が一冊用意されていた。

「ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること」
(著:ニコラス・G・カー、訳:篠儀直子、青土社 2010/7/23)

原作は
Nicholas Carr, "The Shallows: What the Internet Is Doing to Our Brains", W. W. Norton & Company, June 7, 2010

この本は以前、誰かが勧めていたのを見かけたことがあった。
本の評判を一通り調べたうえで、私は読むことにして注文した。

読んでみて、本の内容は、まさに私の期待した通りの内容だった。
具体的には以下の点で。


この本に敬意を表しながら、以後のいくつかの記事はこの本に書かれていたことを紹介し、掘り下げていくことで書いていこうと思います。
デジタル教科書に興味のある方、インターネットの未来について興味のある方には、この本を読まれることを、是非、お勧めしたいです。

>>5〜何歳に導入するか


*1 アメリカでは1980年代に始まっていたのですね・・・
*2 そのサイトのまとめ方が悪いわけではない。
*3 初期のタイプライターであるWriting Ballを使った影響について。このサイトでも近く取り上げます。

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