1998/8/25
<演奏旅行記・出発編>

(今回の担当:SOP.倉橋史子)

今日から、しばらくの間、団員による、第4回ドイツ演奏旅行の報告が始めます。
しかし、実は、明日から、秋の演奏会に向けての練習開始です。
(なんといっても、邦人合唱曲シリーズは9/20ですし、二大レクイエムの夕べは10/11です。秋は、またまた「“オイシイ”シリーズ」だと自負する所です)
こちらのお知らせもしたいですし、もしかして煩雑になってしまうかもしれませんが、
心して、お伝えしたく思っております。

さて、今回の報告は、出発編。
8/6、伊丹空港、午前6時30分、集合厳守!
この通達を肝に銘じたメンバーは、半分くらいの人が徹夜か半徹夜で、 眠たそうな面もちで、空港に現れました。
(私は、モノレールの始発に乗らないといけなかったのですが、駅に着いた時は、 シャッターが降ろされていて、驚きました。なぜか、発車時間ギリギリまで開かなかったのが印象的でした。)
飛行機は、ANA。早くなったといえども、やっぱり遠い・・。
12時間は、こたえますね〜。でも、今回は、皆、穏やかな様子で、いつもの様にむさぼるように楽譜に見入っている人や、機内で「キーボードを出してイヤホーン姿」のいわゆる「必死のパッチ(?)」状態の人はいなかった様に思います。
機内の乾燥に負けじと、皆、マスクをしながら、寝ていました。
(まわりにいたドイツ人らしきおばさんは、不審な目で見ていましたよ。
マスク集団はやはり不気味だったんでしょうねえ・・・わかる気がします。ちゃんと事情を言えばよかったですね。)
長〜いフライトで腰を叩きながら降りたベルリン空港には、なつかしいライナーの顔がありました。(覚えておられる方も多いと思いますが、ハンブルクに住む、もと団員のライナー・ハレンスリーベン君です。今回の旅行も、本当にお世話になりました。我団の名誉団員の1人です)
バスにて、ポツダムに向かいます。今回は、宿泊所の移動がないとの事で、本当に助かりました。(移動が多いと、色々と大変ですから)
ホテルの名前は、インゼル・ホテル。すぐ近くに湖のある本当に静かな所でした。

着いてすぐ就寝となるのですが、私は寝る前に、フロントへ。
山本祐子ちゃんと一緒に、水筒にお湯をもらいに行きました。フロントの人は、男女混ぜて5人ほどいて、横一列に並んで、目を見開いて構えていました。
「Ich moechte heisses Wasser trinken」と私が言うと、「お〜〜!あなたはドイツ語が話せるのか〜〜〜?」という感じで、皆大喜びで、わ〜っと動き出しました。
(ちなみに、私はその後「ちょっとだけね」と言いました・・)
緊張してはったのでしょうね。(笑)
ウチのメンバーは、ボディランゲージが達者な人が多いので、なにかと楽しくコミュニケーションがとれていた様に思います。

翌日は、練習日。ライナーが交渉してくれた、ホテルのすぐ近くの教会での練習です。
これが、もうビックリで・・!!ここでも演奏会が出来そうな“程良い”大きさと響き!!私達にぴったりの空間だったです。
でも、ここが、後に運命的な場所になろうとは、私はまだこの時には、解りませんでした。

私は実は、ドイツに来るまで、「予定計画表」を見ながら、秘かに練習時間を計算していました。(お金の計算は苦手ですが、こういうのは出来ます)
するとですね、全部で練習時間のトータルが、25時間もあったのですね、これが!
(オフの日は、1日8時間取ってある日もあったりして「いつ、ごはんたべんのんやろ?」と思ってました。あほですねえ)
で、こっそりと当間先生に「あの〜、全部で25時間あるのですが・・」と言うと、「あほう」と言われてしまいました。(笑)
疲れるので、できるだけ短く・・と言いながらも1日3時間半くらいは練習していました。
ホント毎日よく歌いました。

この、到着第1日目の“大収穫”は、
この教会で見つけた、あらゆる可能性を考えたシフト!!
今まで思いもつかなかった新しい発想に出会った日でした。
(後に、ベルリンシフトとか、追分けシフトとか、命名されるに到るものです。
中には、「ベネチアシフト」とか言って歌ってる人もいましたが、私の知らないシフトも増えた様です・・???)

次の日は、ドイツでの本番最初の日です。
行ってみるまでわからない教会の響きを想像しつつ、この日は休みました。

着いてすぐ本番でなく、この1日のおかげで、随分余裕も持って
次に臨めたのは、たいへん助かりました。

それでは、第1回演奏会・ブルクの報告にバトンタッチします。


Back

Next