1998/8/28
<第一回・ブルク(MDR)>

(今回の担当:TEN.原田匠彦)

7日の練習も順調に終わり、時差ボケもそろそろ解消(であろう)のこの日は、
いよいよドイツでも第1回目の本番、朝9時からホテル近くのシュティフトキルヒェでまず練習、11時過ぎにブルクに向けてホテルを出発しました。

バスで約2時間かかるとのこと、この日はドイツには珍しく素晴らしい天気で、 窓の一切開かない車内は徐々に蒸し暑くなってきました。
良くみればこのバスは路線バスに使っているのと同じ車両で、カーテンがついていません。太陽の光が差し込んで来る左側に座っていた人達は、どんどん右側へと逃げて行ったのであります。そうしているうちに、バスが高速を降りて、下道を走り始めました。向きが変わって、今度は右側に太陽が差して来ました。
かくして、バスの中の民族大移動が繰り返されることになるのであります。
そのうちに、バスは小さな町へと入って行きました。2、30人しか入らないような 小さな礼拝堂の前でバスが泊まり、さてはここが今日の演奏会場かと思っていると、 それは嘘で、ここからバスの入らない小さな道があるので、そこを通って昼食場所に向かうとのことでした。
暑い車内から解放され、皆ほっと一息。石畳の上をほんのしばらく歩くと、きれいなレストランが見えて来ました。昼食は「それやんか」という名前のスープとパン、そしてデザートはアイスクリーム、バスで蒸し焼きになっていたみんなにはこれが大人気。
出発前の説明で、「演奏会場にはトイレがない」という事を聞いていたので、全員がここでトイレをすませ、演奏会場のサンクト・ニコライ教会へと到着。教会の中は白塗りで、MDRの方々によって雛壇が設置されていました。
さていよいよゲネ開始。合唱団が檀を登ったり降りたり、パートの並べ方を変えたりして、会場の音響を生かすのに四苦八苦。追分け節考ち出入りの練習を合わせて、ゲネは3時間強。カトリン(ライナーの奥さん)が教会から少し離れた控え室へと案内してくれました。
その間、町の中を少し歩いたのですが、町にはほとんど人通りがないのです。
カトリンいわく、「今日は土曜の午後で天気も良いから、みんな遠出してるんやで。」という事です。演奏会、果たして何人きてくれるんかなあ。

さて、控え室に着きました。3時間以上我慢しただけあって、トイレは早速長蛇の列。
水と軽食が用意されていて、その内容は半分に切ったパンにハムやチーズなどを乗せたいわゆるオープン・サンドイッチ。本番までの残りの時間は、それぞれ思い思いに歌いにくい所を練習したり、雑談したり、居眠りしたり。
やはり男声の懸念の的はプーランクの「アッシジ」。いつまでも途絶えない男声の和音に、先生が、「はい、ここまで。これから本番までは一声も出してはいけません」と言って終わらせる始末。

さて、本番。ユニフォームを着た団員が、楽譜だけ持ってぞろぞろ教会に向かって行進して行きます。やはり町の中にはだれもいない。
もしかしたら、この小さな町にいきなりやって来た日本人の団体にみんなびっくりして、
家の中に隠れてるのだろうかと考えたりもしましたが、教会に入場すると、中は満員御礼。
一発目の「ドイツ・マニフィカート」、心配だった第一テノールの入りもうまく行き、曲が終わると早速お客さんも拍手。3曲目はオルガンで「バッハのプレリュードとフーガ」。
うわさによると松原さんはそのときなせか怒りながら弾いていたそうです。
5曲目はバッハの「ディル・ガイスト」。
いつもそうなのですが、バッハのモテットというのは、最初は緊張しているお客さんが心から演奏会を楽しんでいただけるようになきっかけになる曲となっているのです。
オルガンの場所等の関係からプーランクの「ロコマドール」は「アヴェ・ヴェエルム・コルプス」に変更(残念ながら、結局、ロコマドールは今回の演奏旅行では一回も演奏できませんでした)。
男声の「アッシジ」も何とか。追分節孝(結局全ての演奏会でこれをやっています)が終わると、客席から惜しみのない拍手。立って拍手をする人が徐々に増え、ついに全員総立ちになってしまいました。
昼食を取ったのと同じレストランで、こんどは宴会です。
僕のいたテーブルはカトリン、ライナー、クランさんがいましたので、ドイツ語と英語と日本語が同時に飛び交うテーブルとなってしまいました。
つまり、クランさんとライナーは互いにドイツ語で話し、みんなに日本語で話す。
カトリンはクランさんとライナーにドイツ語で話し、僕に英語で話す。
ライナーは自分でドイツ語で話した内容がめぐりめぐって日本語で自分の耳に届いて来るわけで、段々頭が混乱して来て、席を離れてしまいました。
ライナーが会社の都合でまた何年か日本にやって来るかもしれないという事ですが、カトリンいわく、「そやけどシュッツに行ってほしないねん。週何回も練習行かれたら、私ほったらかしになるやん。」
僕が言いました。「But Rainer is importannt for us.」
カトリン、「Rainer is important for me,as well.」
(注:英語で同じ言い回しを使って反撃するのがうまいやり方とされている。日本語にするとどうもそのニュアンスが生きてこない。)

そうしているうちに、早く帰らないと明日の演奏会、あくびばかりしないといけない、という時間になってしまいました。
僕は話してばかりで何も食べていなかったので、あわててかき込んでいると、 H木さんがテーブルにやって来て、「あっ、まだいっぱいある。これおいしいからもう一枚食べよかな。そやけど食べたら明日のステージ衣装入らんようなるし・・・・」てなことを言いながら消えて行きました。

さていよいよ次は二回目の演奏、ベルリン大聖堂です。
我々もびっくり、お客さんも感動のステージになります。ご期待下さい。


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