No.596 '05/08/24

インターネット上での合唱団と私


昨日、練習場に行くとメンバーがなにやらコソコソと声を細めて話しています。
「何?」って声をかけると、「いや何も」と意味ありげな返事。
気になって、もう一度「何やの」と聞くのですが、またまた「いや何も」。
こういったやりとりが何度かあって、「当間さんには知らせないほうがいいよね」とか、「いや、いいんじゃないの」とか「気にしなくてもいいことだから」とか。
これって一番気になるじゃないですかね。

で、その話題を聞き出すことに成功した私。(笑)
「シュッツ合唱団」と私のことがインターネットのある掲示板で書かれているらしく、それもひどい内容だというのですね。
○チャンネルというところらしく(ちょっと伏せ字にしておきますね。しかしこれは読んで欲しくないための処置ではありません。その理由がこれからの文章から読み取ってもらえると嬉しいのですが)、それはもう「腹が立ちますよ。当間さんなら」と言うんです。

実は全部をプリントアウトして持ってきているというじゃありませんか。
練習開始の時間が迫っていたこともあって、さっと斜め読み。
目に飛び込んできたのは、なるほどちょっと「????」な記事も。
練習前に、ちょうどタイミングよく音楽雑誌の「演奏評」(「ベートーヴェンシリーズ」)があったものですから、「評」することの難しさ、書くことの難しさ(私も書いているものですから)をメンバーに喋りました。

練習が終わって「しまんちゅ」へ。
ここでも掲示板の話が出ます。具体的な話がどんどん出ます。
私は違う話をメンバーとしなければならなかったものですからプリントアウトしたものは開きませんでした。
他のメンバーが読んでいたようです。
内容を伝えてくれるのですが、聞いて笑うしかない私です。
なるほど、こんな風になるんだと変に納得。

20年前に辞めた団員が出てきたり、前後の脈絡なしにある言葉だけが一人歩きしていたり、そんな単語は使わないだろう言葉をいかにも私の言った言葉として会話調になっていたり、もうそれらを聞いたときは大笑いしてしまいました。
沢山書かれているんですね。
怒ることもできますし、また事実誤認などを訴えてもいいかもしれませんが、止めることにしました。
コンピュータの専門家であるメンバーから「この手のサイトに投稿しようものならもっと混乱しますよ」「収拾がつかなくなって、第二の当間、第三の当間が出てきますよ、きっと」の言はいやに説得力があって、納得しました。

それにしても、これらの投稿「匿名」なんですね。
私は自分の意見を述べるときは「記名」と思いこんでいるものですからちょっと驚きです。
「匿名」の場合もあるかもしれませんが、基本的には「記名」がいいと思いますね。論争に発展した場合でも「責任ある」意見として認知されるのはやはり「記名」でしょうから。

書かれたとしても、私などはこうやって自分のホームページを持っていますから、これについて意見や反論もできます。しかし、そうでない方々の反論はどんな手段があるのでしょう。
今は廃刊になりましたが「噂の真相」という雑誌がありました。
最初は「面白い」と購読していたのですが、途中で止めました。
好奇心や懐疑心を助長しても、事実や真実が突きとめられているわけでもなく、なにより、人の名誉や尊厳といった「命」への優しさが乏しくなっていくように感じてしまったからでしょう。(反論の記事は載らなかったですね)

いつ頃からか、私は文章を書く際、二つの項目を心掛けるようになりました。
一つは、自分の求めているものは何かを明確にして意見を述べる。
もう一つは、希望のある文にする。
この二つです。

でも世の中よくしたものですね。思い悩む記事もあれば、検索で暖かい記事も一杯出てくるそうです。(メンバーから「こんなのもあります」と送られてきます)
読めば、エネルギーを頂きますね。勇気をもらいます。もっと良い演奏をと発奮します。
そんな風に私の文が書ければと思いますし、演奏もそうであれ、と願います。
私の仕事、それは演奏。
そして、愛好家、仲間増やしです。

メンバーからの暖かい「隠匿情報」(笑)、「幸いなるもの」とすることにします。



No.596 '05/08/24「インターネット上での合唱団と私」終わり