No.660 '08/12/10

神々しい光

'08/12/11《補遺》


〔下の文章を書いたのですが、直ぐに合唱団のメンバーから事実と異なると指摘を受けました。
メンバーの人数のことです。
前回とほぼ倍になっている、と書いたのですがあまり人数は変わっていないということでした。
私の文章を読んで〔数〕が気になっていらっしゃった方がおられましたらお詫びを。
去年よりは少し増えたのですが倍という大きな差ではなかったのですね。確認をせずに書いたのが今となっては痛恨です。
きっと私の頭の中ではいつも創立の時の数とその時の演奏が基準となっているのでしょう。(創立の頃から比べればやはり倍ほどだそうです)
とにかく私は「倍増」という印象を感じ、持ってしまったことは確か。その思いで振ってもいましたし。
数は事実と違っていたようですが音楽は間違いなく前回と比べものにならないぐらいに私の心に印象深く刻まれていました。(ずっと演奏会を聴きに来ている大阪の「シュッツ」のメンバーも同じ印象を持ったようです)
そう思わせる、そう印象付けられる原因は、音楽に対する真摯な姿勢、集中力、エネルギー、そしてある種の余裕だったのではないかと思っています。
指摘を受けて改めて強く思います。
今年はやはり「名古屋ビクトリア合唱団」は目覚ましい躍進を遂げたのだ、と。目標は見えた、進むべき道が見えたのだ。ということです。
以下の文章をそんな風に読んで頂ければ嬉しいです。(本文は文責としてそのままにしておきます。今後は〔数〕が出て来れば確認を取るようにしますね(笑))〕

以前に書いたことがあるような気がするのですが、またまた感じた瞬間でしたので写真とともに記すことに。
以下の写真一枚目は先週の金曜日5日のものです。
私が住む階から撮ったのですが、このような光を見ると古代の人々のことを想像してしまいます。
当然下に移っている建物はありません。きっと木が多く茂る丘だったかもしれません。(私が住んでいる場所は昔、土器などを焼いた窯の遺跡跡です)
彼らがこの光を見たときどのような思いを持ったことでしょう。
きっと神のお告げ、あるいは神々しさと同時に怖さ、不安も持ったことだろうと思うのですね。

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光とは不思議です。

下の写真はその夜、名古屋で定宿にしているホテル前のイルミネーションです。
人工的な光なのですが、これはこれで感動してしまいました。
静止画像では判らないのですが、この光、上下に動いているものもあるのですね。
よく考えたものです。
目抜き通りがこの光の道になっています。繁華街に賑わいを感じさせる演出、人を活き活きワクワクさせるなかなかのものです。

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翌日、「名古屋ビクトリア合唱団」の演奏会。そのリハの時の写真です。
毎回楽しみとなっているこの風景、光の魅力に取り憑かれます。
光に照らされている合唱団、前回と異なるのですが「何が?」、とお解りでしょうか。
そう、メンバーの数が違うのですね。ほぼ倍となっているのです!
まぁ、また元の数に戻るかもしれませんが(笑)(合唱団とはそんなものだと思っていた方が精神的に安定します(笑))・・・・、それにしても大所帯になったものです。
しかしです。ハーモニーは崩れず、いや、凄く勢いのある充実した音楽を奏でてくれたのですね。
歌う彼らたち、夕日に照らされて何と美しい輪郭を放っていたことか。

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リハが進むにつれ、光がどんどん変化していきます。
真っ赤に染まる。
影が長くなる。
光が衰えを見せ、暗くなりはじめる祈りの場。
静かでピンと張った空気、人の心を顕す場と化していきます

いましばらくお待ち下さい

今年の「名古屋ビクトリア合唱団」、躍進の年となりました。
その前途は「神々しい光」を浴びて祝福を受けている、そう思える時間でした。
家を出るときから翌日のこの時間まで、ずっと光が私の中を射していました。
50人にも及ぼうとする合唱団。一人一人の人生にも輝かしい光を、祝福の光を、そう祈りながら棒を振りました。



No.660 '08/12/10「神々しい光」終わり