No.682 '11/03/31

沖縄長期休暇(その1)


今年の6月で62歳になります。
人生、後半に入りました。それも仕上げの刻です。
ひたすら走り続けてきたと思います。特に、「大阪コレギウム・ムジクム」を組織して(26歳の時だったと思います)からそうでした。
二〜三年前から体の衰えを感じていましたし、色々良くない数値も目立ち始めていました。
まぁ、それは致し方のないことだと納得し、それから改善へとゆるゆると進み、今ではほぼ元に戻りつつある状態です。
しかし、どうも脳の疲れは取れないようで(いや、どんどん深化していっているように思います)ここで思い切って長期の休暇を貰おうと決意しました。
そして一年ほど前からスケジュールの確保をお願いし、ここにやっと実現に至ったというわけです。

休む場所は少し悩みました。北海道にしようか、それとも信州にしようか、そして選んだのは沖縄は石垣島でした。
理由は簡単、暖かい地であることと、そして花粉症に悩まされない土地だということ。これ実は大きな理由でした。
心待ちにしていた休暇。
しかし、出掛けようとしていた一週間前にあの『東北太平洋沖大震災/東日本大震災』です。
そしてその後に予定していた演奏会。
東京にいたときには余震にも遭いました。阪神大地震の時のことが蘇ります。
そして気もそぞろに、もうあれよあれよという間に飛行機に飛び乗りました。

被災地のことが頭から離れません。ここ石垣にいても、余震の不安を抱きつつ復興を待ち望む被災者の方々のことが頭から離れません。

休暇といっても、決して《休めない》ことを改めて知りました。止まったり、逃げたり、はぐらかしたりできない私だと本当に知りました。
いつも笑顔でいたいと思うことも、楽しみを追求しなければと思うことも、メッセージを送り続けることも、多くの方々とコミュニーケーションを図りたいと思うことも、そして、音楽を通じて人生を走り続けることも、実はこの性格の故だと知ります。

一ヶ月に及ぶ休暇です。その行動を書きとどめておきます。

石垣に同行してくれているT.Eの運転するレンタカーで町へと出掛けます。下の写真は真っ赤に咲き誇るブーゲンビリアでしょうか、そして家の構え。
この花は「魂の花」と呼ばれていると聞きます。このコントラストから石垣の刻は始まりました。

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今年は異常気象だといわれる肌寒い天候。例年には珍しく雨が降っていました。家々を眺めながら、石垣で最初に訪れたのが泡盛の請福酒造。
最近気に入っているお酒なのですが、それがここ石垣で作られています。何というのでしょうか、石垣の「優しさと強さ」を感じるのですね。
是非行ってみたいと訪れることにしました。期待に違わずなかなかの気骨の酒造だと感じました。(これについてはまた書くかもしれませんね)

夕方になり海を見たいとホテルの近くの海岸へ連れて行って貰います。

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石垣に来て沢山の猫に出会います。皆捨て猫です。ちょっと寂しいやら、可愛いやら。夕刻の気分がそうさせるのでしょうか、ちょっと真剣にシャッターを押しました。

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次の日は会いたい人の一人、川平にある石垣さんのそば屋へ。下の写真はそのファミリーと石垣さんの幼なじみのお友達です。(右から三番目中央の方。石垣さんはその左隣りです)

時代に揉まれながら人生ですね。いつも気になっている石垣さんでした。友人がまた増えた、そう思っています。
ここで川平の歴史本を貸して頂くことになりました。興味津々です。又陶芸家のことも教えて頂きました。(私の前に並んでいる器がその話の発端です)
絵柄といい、形といいちょっと気に入ってしまいました。
そこでその工房へと出掛けることにしたのですね。
石垣さんの話はこうして発展していきます。刺激的です。

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「南島焼き」工房です。山間にあります。いきなり行ったものですから失礼だったかもしれないのですが、工房から出てこられた声にホットする私。

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陶芸家、奈美ロリマーさんです。
初めてにもかかわらず、工房を案内して下さったり、今制作中の作品を見せて頂きました。一つ欲しかったのですが、注文が殺到していて売る作品を置けていないそうです。本当に残念に思いましたね。是非とも欲しかったです。

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石垣に来た目的が歩くこと。部屋で本を読んだり、できれば曲も書いてみたいと思っているのですが(用意もしてきました)、とにかく歩いて 歩いて良い空気を吸うこと。これが一番の目的です。
で、毎日でも通ってみたいと思っている所が「バンナ公園」。もう既に何回か歩いているのですが飽きないですね。
下の写真は聖紫花(せいしか)の花。いいですね。

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そして、蝶々。名は解らないのですが、見ているだけで時間を忘れます。

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そして石垣さんに教えて貰った「明和大津波遭難者慰霊之塔」。
聞いて驚きました。群島人口の三分の二が遭難、そして亡くなられたという大地震と大津波。
1771年4月24日に起こった「明和の大津波」。午前8時頃と記されていました。
この塔は、その天災から212年にあたる1983年(昭和58年4月24日)、壊滅的打撃 その後の凶作 飢餓、伝染病、餓死者、病死者の事を思い、また慰霊するために有志によって建てられたものでした。

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訪れる人もそういないように思われました。道路も整備されていませんし、道標もありません。

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正面を撮ったのですが、はるか先に海岸があります。そこから津波が襲ってきたわけです。津波の高さは80メートルにも及んだようですから、如何に大きな津波だったか想像できます。
そしてこの塔の裏にある大きな石がその時運ばれてきたのだといいます。

それが下の岩です。
T.Eが如何に大きいかを知るために前に立ってくれました。

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一ヶ月の滞在予定、石垣島。
じっくりと体力、気力を回復させましょう。
そして様々な魂と出会いましょう。
ここ、八重山は神々が息づき、「人間」と「動物」そして「植物」が命を育む島々です。



No.682 '11/03/31「沖縄長期休暇(その1)」終わり