No.681 '11/01/31

「名古屋大学医学部混声合唱団」第54回定演


ステージ毎に感想を書こうとして第一ステージの写真を撮り終えたところでホール案内嬢に注意を受けました。
ということで、ステージ毎の写真は撮れませんでした。
舞台に乗る方ですから、客席での写真マナーは忘れておりました。(というのは正確ではありませんね。ちょっと躊躇したのですが、各ステージの特徴をとって感想を書き残したかったということと、学生の《発表会》という意識もあってつい撮ってしまいました)
良い機会ですからちょっとこのマナーについても書いて置きましょう。
私の舞台に関しては、写真は余り気になりません。最近ではフラッシュを焚くことなく綺麗な写真を撮ることができます。周りのお客様に迷惑をかけるのはよくありませんが、控えめに演奏中でなければ気にはなりません。しかし、音は困るのですね。カメラのシャッター音は御法度です。そして一番の困りものは携帯のシャッター音、そして着信音ですね。これもやはり御法度です。この日はしっかりと着信音が客席でなりましたが(!?)(演奏前でよかったですが)
そしてもう一つ、あまり知られていないかもしれないのですが、客席での録音です。
これが演奏者にとっては一番困ることなんですね。
著作権というような問題ではありません。ライブという意味そのものが崩れる行為なのです。
一期一会の音を楽しむのがライブです。家へ持ち帰って聴いてもそれはもう「臨場感を伴った音楽」ではなくなってしまいます。
ましてや、それを不特定多数の方々にお聴かせする、という目的では本当に困ってしまうわけですね。
是非、ホールでの体験を、と言い続けている私にはちょっと耐えられない行為と映っています。(このことに思いを致すことなどなかったことでしたから、この機会にと当たりを見渡します。しっかりと録音している人がこれがまた居るのですね)

とまぁ、こういうことがありましたが、定演は始まりました。
第一ステージ(正指揮者のステージ)はパレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」。良くハモります。そして音楽様式もしっかり把握しています。数年前まではお世辞にも上手とは言えませんでした。それがテキストに応じて音楽が変化し、ポリフォニックな部分もホモフォニックな部分もよく理解しての演奏。
ちょっと嬉しくなりました。
だからこそ、それ以上に鑑賞度を高めて聴いてしまったのですが、強いて言えば・・・・・、しかしこれは今回の全ステージに及ぶ重要なことの始まりでもありました・・・・・。

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第二ステージ(副指揮者のステージ)は松下 耕さんの「静かな雨の夜に」。ハーモニー、リズム、音型など難しい要素が散りばめられています。こうした複雑なリズムはこなすだけでも大変です。それを音楽的に仕上げる、聴かせる演奏をするには相当の力量が必要です。
演奏はこれも良くハモっています。ハモリ過ぎるくらいに、と言ってもいいほどです。言葉も全部とはいきませんが解る演奏です。リズムはピシッとは決められてないのですが、かといって破綻しているわけでもなく進んで行きます。これは歌い手の知的な要素故と見ます。
全体として印象の良い演奏です。ここまでの演奏をすれば「良くやったね」と褒めたい気持ち。しかし、真剣に心と向き合って聴き始めると、声はハモるのですが、幅も深みも一律で内容が薄められたように聞こえてきます。
私が恐れていたことが現実に起こってしまったように思えてちょっと怯みました。
つまりハモリが良く、美しい形の音楽が流れているだけです。
私の発声は(発声も指導している者ですから)、美しさだけを求めているのではありません。形を整えるだけの要素でもありません。
如何に音楽の感情の起伏を伝えるか? その一つの重要なテクニック、感性ではありますがそれだけではありません。それで「事足れり」ではないわけです。
最高のハモリを経験した上で、どう音楽作りをするかですね。それが問われるわけですし、それ以後が音楽なんですね。
そして様式も、ただ従い、真似るだけではなく、それを突き破るようなエネルギーと感性を示してこそ人の心を揺り動かせるものになると思うのです。
そのことのために・・・、究極のハモリ、そして伝統としての様式を、音楽の基礎をしっかりと身に付ける。そしてそれをベースとして音楽を作っていく。その思いのアドバイスです。後の音楽付けは学生たちの作る領域としたいという条件を付けてですが。

綺麗だ。美しい。安定している・・・・・。しかし、人間としての「生きるエネルギー」は・・・・・・。「音楽の面白さ・楽しさ」は・・・。
そんなことを考えて聴いていました。少し辛く、苦しくなってきました。正直な感想です。
私の基礎的なアドバイスは確かに今ここに成り立っている。美しいハーモニー、そして端正な音楽が好印象で鳴っている。しかし、私自身が強く「それだけに陥らないように」と戒めている「美しさだけ」「形が整っただけ」と映ってしまうような響きでもあった印象なのですね。
世の中、狭い領域での習性が価値観と成って固定化するってことがよくあります。
私の教えたこと(自然倍音に立脚した純粋ハーモニーと、それによって生まれる言葉がハッキリと聞き取れる明澄な発声)は唯一の目標・到達点ではありません。大事な基礎ですが、実はそこから以後が大切なんですね。本当はそれをアドバイスしたいわけです。世界は広いです。

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第三ステージはアトラクションステージとしてミュージカル「オペラ座の怪人」
ちょっと期待して見ていたのですが、どうもこれも私にはよく伝わっては来ませんでした。何が原因なのか、またまた考えながら聴きました。真面目さとある種の気品さえ醸し出せている舞台です。照明も凝らしていました。音楽もよく歌えています。印象は良いようには映っているのですが。端的に言えば「面白くない」なんですね。サービス精神がないわけでもありません。ただそこに「実」というべきものを私が感じられなかったからです。枠が全て見えていて、それを超えるものが見えなかった、私の望み過ぎなのだろうかと自問しつつ、こんなもので終わる「医混」ではない、それが客席に残らせた私の思いでした。

第四ステージは鈴木憲夫さんの「祈祷天頌」。(正指揮者のステージ)
熱い内容の合唱曲です。私のレパートリーでもあります。期待して聴きます。(実はそう思いながらも体や精神はちょっと沈みがちでした)
聴きながらの感想です。熱いものも伝わってくるのですが、それよりも端正な様相の方がよく見えてきます。上手な演奏なんですね。ここまでの演奏をすれば何を文句を言うか?称えてこそあげるべきだ!その思いも強かったですね。
しかしこの曲の世界はもっと「土」の臭いが欲しい。そうずっと心の中で叫んでいました。

アンコールは「愛燦々」、これが一番ハートに来たでしょうか。
ポピュラリティーゆえではありません。歌い手が一番心を表した得た歌唱だからでしょう。それが伝わってこちらも心が動きます。
そして団長の挨拶。これにはいつも感心させられます。落ち着いた口調でしっかりとメッセージを伝えます。
「応援したい!」と思わせる名調子でした。

記して置きたいことがあります。全ステージを通じてピアノ伴奏が光っていましたね。これは特筆に値するでしょう。
彼女のピアノは一番起伏がありました。音楽的な演奏だったと思います。真面目さ一途さの良いバランスでの音づくりでしたね。
合唱団が彼女に助けられた場面も多かったと思いますね。ご苦労様、そして良かったですよと声を掛けました。

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打ち上げでも正直に感想を喋りました。今後の課題も伝えたつもりです。
楽しい音楽をしましょう。心が熱くなっていくような演奏をしましょう。心優しく温かい基調の響きづくりをしましょう。
誰もが幸せを感じるような活動であって欲しい、そんな気持ちでスピーチしました。
そして恒例になってしまった木下牧子「鴎」を振ります。
皆の大きな声が狭い会場に響き渡りました。
これが熱い演奏なんですよと叫ばんばかりに振ったつもりです。

そして来年度へと繋がります。
下の写真は来年度の記念演奏会、第55回定期演奏会委嘱作品が決まったのですがそのスタッフです。
作曲は彼らたちの希望で上田真樹さんに頼みました。(私が幾人かの作曲家の名前を挙げて、彼らたちが決めました。要望を聞いたときに直ぐ連絡を取り、数日後に快諾をいただいたという経緯です)
私が指揮をします。聴く立場でなく演奏者として彼らとステージを共にします。いよいよ伝えたいことが実践できそうです。これは本当に楽しみです。基礎はしっかりと出来ています。理解度も高いです。音楽の楽しみを一緒に作れる良い機会にしたいですね。
5年前の記念演奏会も私が振りました。OB・OGの皆さんとの懐かしいシーンを思いだします。
来年、待ち遠しいです。

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No.681 '11/01/31「「名古屋大学医学部混声合唱団」第54回定演」終わり