No.202 '99/2/8

演奏会「ヴァチカン システィーナ礼拝堂合唱団」


しばらくぶりの更新になりました。

昨日、久しぶりの演奏会に行ってきました。
その感想です。

初来日だった1996年には残念ながら行くことができなかったものですから、二度目の来日となった「ヴァチカン システィーナ礼拝堂合唱団」の昨日のコンサートに出かけました。
日本公演の初日でした。その後各地でコンサートが計画されているようです。
合計11回。
7日〜21日までですから、15日間のうちに11回をこなすわけです。かなりの過密スケジュールとなっていますね。

結論です。
残念ながら私は前半でシンフォニーホールを出たいと思ってしまいました。

私の座席は舞台を真横から眺める二階席。
指揮者のジュゼッペ・リベルト(音楽監督)氏を斜め前から拝見でき、合唱団は真横から見るといった位置です。
合唱団は正確には数えなかったのですが、舞台前列から少年たちによるソプラノ、少年たちのアルト、青年たちの(といいたいところですか、少しお年がいっているのではないかと思われました)テノール、そして、壮年とお見受けするバスがそれぞれ10人ほどづつ4列に並んでいました。

お客の入りは7割といったところでしょうか。
私としてはこの伝統的な合唱団を一度は聴きたいと思っていましたから、この日は久しぶりのコンサートということもあって、心待ちにしていました。
ちょっと期待感がありましたね。

で、その感想なんですが、

まず、出が揃わない、かなりパートがばらばらに出てきます。
ポリフォニーの曲が巧くいきません。4声のバランスも時折崩れます。大人たちの声が少年たちの声量を覆ってしまうこともあります。(これは私の席も関係するかもしれませんが)
それもヴィブラートがかなりかかる声なものですから、一層少年たちの澄んだ声がかきけされます。
当日のプログラムは用意された、A、B、C の中からBプログラム。
パレストリーナ、そして今世紀に入ってからの歴代の音楽監督であった、ペロージ、バルトルッチ、そして今回の指揮者でもあるリベルトの作品から選ばれ、その間にグレゴリオ聖歌が挟まれます。
これが「システィーナ礼拝堂」の典礼音楽です!」と言われればそれまでのことですね。
それ以上私などが言うべき言葉はありません。
しかし、コンサートホールでの演奏ではいろいろと演奏上の聴き所というのが出てきます。
それが今回結構気になったということなんです。

少年たちの声はよく訓練され、柔らかく、それでいて透る声です。
少年たちのお行儀の悪さや、統一性のない声ではないかなどと心配していた私の想像と違って、彼らの歌声は実に誠実で、その上細やかで、音楽性もあり私を驚かせました。
それに反して大人たちの声は、ということになるんです。
まず、楽譜にかじりつき、そして出もあやふやです。その上音程もはまりません。
合唱団での青年層の薄さが気になるところです。

しかし、そのテノールとバスの声も、グレゴリオ聖歌を歌うときはよく声も揃い、一つとなって典礼音楽が立ち上がります。
やはり伝統の重みと感じました。

指揮者のリベルト氏に私の目がいきます。
97年の6月より「システィーナ礼拝堂合唱団」の音楽監督となったとパンフレットには書かれてありました。
カトリック音楽の指揮に興味があるものですから、よく見させていただいたのですがなかなか興味ある指揮ぶりです。
腕を振り下ろしてからの、合唱団の声の出とはかなりの時間の間があります。
私などは「よく出られるものだなぁ」と感心していましたが、出の不揃いが生じるのはその指揮ぶりによることもまた確かなことだと思います。(システィーナ礼拝堂ではあまり気にならないのでしょうね)
また、氏の動作も興味あるものでした。
スコアをめくるときとか、体の向きを変えるときとか、そして演奏する前の自ら声で音を示される時、それらの動作がお早いのですね。
しかし、ステージでの他の動きは(「歩み」は特に)「ゆっくり」です。(私など早いものですからこれは見習いたいものだと思いましたが)
その中で面白かったのは、くるっと客席に向かわれるやいなや、すっと遅くお辞儀をされるリズム感です。
ちょっといまでもその動きが脳裏に焼き付いています。

音楽とは関係ないことのように思われるかもしれませんが、私はこの動きと「音楽」とを結びつけて聴いてしまいました。
納得できるところが多々あったのですね。
これが今回の演奏会での私にとっての一番の収穫だったようです。

来日早々の演奏会でした。
今後の日程ではきっと本領を発揮されることと思います。
合唱団にとってよい日本滞在であるますように。

No.202 '99/2/8「演奏会「ヴァチカン システィーナ礼拝堂合唱団」」終わり