執筆:当間


現代音楽シリーズ
第一回<来年(1999年)はスペインが熱い!>


皆さん<お遍路さん>をご存じですか?
四国に渡り(現代は本州と四国を結ぶ大橋がありますね)、弘法大師修行の遺跡八十八か所の霊場をめぐり歩く人たちのことを親しみを込めてそう呼びます。
実はヨーロッパにもお遍路さんがいるんですね。もちろん弘法大師を偲んでではありませんが。
キリスト教の三大聖地を訪れる巡礼の旅がそうです。

有名なのはイェルサレムへの巡礼ですね。
そしてローマのサン・ピエトロへの訪れでしょうか。
もう一つ実はあるんです。
それがこれから書き進めていこうとする、スペイン北部、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼です。

情熱の国、スペインへ訪れる観光客はたくさんいます。
私も是非一度は行きたいと思っている一人なんです。
今年は「行こう!」と決心したのですが、ある旅行好きのドイツの人に言われました、「夏のスペインは半端じゃないよ」ですって!
これでまた今年はいけません。(暑さをおしてでもいけばいいんですが・・・・・)

でも、こんなこともあるんですね、世の中には。
フランスからピレネー山脈を越え、スペインの北を大西洋に向かう旅をさせてくれる曲と出会ったんです。
(その曲のことはもう少し後に書きますね)

スペイン、ガリシア地方、サンティアゴ・デ・コンポステーラには次のようないわれがあります。

イエス・キリストの弟子ヤコブは、スペインの宣教から帰り、ユダヤの地で殉教。
ヤコブを慕っていた人々はその遺体を小舟に乗せて、北スペイン、ガリシアの地に運びました。着いたところはガリシアの大西洋岸イリア・フラビア。
ただちに遺体はその地に葬られたそうです。

その後、7世紀、スペインの全土がイスラム軍の侵入にあって戦争をしているとき、突如白馬にまたがった騎士姿の聖ヤコブが現れ、イスラム軍を蹴散らすという奇蹟を起こしたんですって。
この奇蹟によって、ヤコブがスペインの守護聖者になったことはいうまでもありません。
それからは、スペインの人たちの心の中にしっかりと聖ヤコブは生き続けるんです。

9世紀、大ニュースが時のアストリアス王アルフォンソ二世の耳に届きます。
それは、奇蹟の光に導かれて、人々がその光の指し示すところに行ってみると、草むらのなかに大理石の墓が見つかったというんです。
それは聖ヤコブの墓に違いないということになり、王は直ちにその場所に小さな聖堂を建てたそうです。
そしてその後、子であるアルフォンソ三世は872年、少し離れたところに新しくて立派な聖堂を建立したんですって。
それが今日のサンティアゴ・デ・コンポステーラの基礎だというわけです。

聖ヤコブが本当にスペインに骨を埋められたのか?
これを認める人は現代では少ないでしょう。
しかし、聖ヤコブの祝日(7月25日)が日曜日にあたる「聖ヤコブの年」には多くの人々がここサンティアゴ・デ・コンポステーラに集まってきます。
来年1999年、6年ぶりに「聖ヤコブの年」なんです!。
スペインのこと、そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラのことをもう少し調べてみましょう。

「現代音楽シリーズ」の解説として、この項続きます。

(第一回<来年(1999年)はスペインが熱い!>


第二回<ロマン漂う「銀河の道」>


中世ヨーロッパでは知らぬ者のない「信仰の道」、それが「サンティアゴの道」です。
巡礼を達成した者には罪が許される、そして辺境にあるカトリック圏という好奇心も手伝ってか12世紀にはローマ、エルサレムと並ぶ一大巡礼地となったのですね。

ピレネー山脈の山間から始まる巡礼道「サンティアゴの道」には幾つかのルートがありました。
人々が通る道、そこには教会が建てられ、宿が建ち、町が建設される、これは長大な人と建築との歴史でもありますね。
今ではこの道を歩く人はほとんどいないと聞きますが、行く先々には中世の栄華を偲ぶ建物が今も多く残されているそうです。
キリスト教では、「15〜16世紀のイタリア・ルネッサンス」に対して、ロマネスク様式の聖堂がヨーロッパ全域に建てられ、巡礼がピーク達した時期を「11〜12世紀ルネッサンス」と呼んでいます。
この隆盛の歴史を辿る、それはもう壮大なロマンの世界でもありますね。

この「サンティアゴの道」、スペイン語では<天の川>といいます。
つまり<銀河の道>、ということですね。
南の地中海沿岸とは違ってこの北部地方は、柔らかい光、しとしと降る雨、みずみずしい緑の山野が続きます。
19世紀の有名な女流詩人、ロサリア・デ・カストロはサンティアゴ・デ・コンポステーラがあるこの自然に満ちたガリシア地方を、他では見ることのできない素晴らしい風景だと書いています。
「日本にとても似ている」、と人々は言うそうですがどうなんでしょう?
気候や、リアス式海岸の語源ともなったリアス・バッハス、リアス・アルタスの入り組んだ海岸線が我が国と似ているからでしょうか。

(第二回<ロマン漂う「銀河の道」>

「現代音楽シリーズ」の解説として、この項続きます。


現代音楽シリーズ
第三回<牛・祭り・そして大聖堂>


「サンティアゴの道」それは「銀河の道」でした。
なんてロマンティックな名前じゃないですか。
しかし、その歴史をたどればそんなことは言ってはいられないんですね、これが。
古代の夢を誘う旧石器時代の壁画「アルタミラ洞窟」はバスクの西隣カンタブリアにありますが、残念ながら「サンティアゴの道」からは外れています。
山間、丘陵地を通るこの道は中世の人々にとっては、それはそれは長〜い長〜い辛い道のりだったに違いありません。

各国からやって来た巡礼者たちはピレネー山脈を越え、ナバラ地方のパンプローナという町に宿を取り、体を休めた後、一路「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」へと旅立ちます。
このパンプローナ、「ツィゴイナーヴァイゼン」で有名なサラサーテが生まれた町でもあります。またヘミングウェイの小説「日はまた昇る」に出てくるサン・フェルミン祭があることでも有名なんですね。
そして、スペインと言えば<牛>、その<牛>がやはりこの祭りでも主役を担っています。
毎日祭りの期間中、人が牛を追いかけて闘牛場に追い込む危険なレースがあるんです。そしてその夕、あの熱狂の<闘牛>ですね。

8世紀初めから15世紀末にかけて繰り広げられた「レコンキスタ」という国土回復戦争(この壮絶な戦いの中で、かの白馬にまたがった聖ヤコブが現れるのでしたね)の戦士達の末裔、それがスペイン人の人となりを形成しているようです。
思いつくまま、スペインといって思い出すものを列挙しましょうか。
やはり、歌劇「カルメン」の舞台ですね。
そして「ドン・ファン」に「ドン・キホーテ」
画家では、グレコ、ベラスケス、ゴヤ、ピカソ
建築家のガウディを忘れてはいけません。
「フラメンコ」に「闘牛」。ロマンティックで情熱的なイメージがつきまといます。
そして忘れてはならないものに、スペイン名物「シェスタ」があります。
「昼寝」ですね。スペインのほぼ全域が反乾燥地域。昼と夜の温度差がかなりあり、昼間は灼熱の太陽が降り注ぎます。人々の知恵ですね。昼間は寝るに限るというわけです。
午前中は一生懸命働きます。昼は家に帰って2時間ぐらいかけて食事です。そしてお腹がいっぱいになれば昼寝というわけです。この「シェスタ」、町中がひっそりと静まり返ります。
午後の仕事は4時から始まり7時まで、それから散歩に食事へと人々は動き始めます。夜の活気は9時頃からなんです。ここから先はもうなにをかいわんやです。

ヨーロッパでは都市ごとに立派な教会が建っています。
この「サンティアゴの道」でも、数多くの大聖堂や修道院に巡り会うことができます。
建築史をたどることができるこのような旅路は興味のある方にとってはこの上ない楽しみとなるでしょう。静寂と敬虔な祈りの場が旅の疲れを癒し、そして旅人の心を中世へと誘ってくれます。

さて三回にわたるスペイン北部を通る「サンティアゴの道」いかがでしたか。
この「サンティアゴの道」を音楽で旅する曲があるんです。
次回はその曲を紹介します。


現代音楽シリーズ
第四回<お披露目を待つ五線の星たち>


お知らせです。
タイミング良く、今月4月22日、「世界の遺産」シリーズ(TBS制作)「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」のビデオが発売されました。
3回にわたって書きました、町や祭りや大聖堂などが映像で見ることができます。
興味のある方は是非ご覧下さい。

さて、いよいよ曲のご案内です。
この「サンティアゴ・デ・コンポステーラへの道」を扱った曲は児童合唱のための作品です。
しかし、内容からいっても女声合唱による演奏が望ましいように思いますし、楽譜にはないのですが、男声も加わってもいいのではないかとも思えます。
スペインを体験するにもよい曲ですし、「時空をこえる場」と化する空間を体験できる面白い作品です。

構成は以下のようになっています。
聖ヤコブを賛歌する歌によって、人々が集まるところからこの曲は始まります。
集まった人々は次に「聖ヤコブの道」のいわれを歌います。
(例のヤコブの遺体を弟子達が船に乗せてイスパニアへと運び、そして葬ったこと。後に光りに導かれて人々がこのお墓を発見。そこに聖堂を建てた話です)
さて、このようなプロローグで始まり、いよいよ巡礼者たちの旅立ちへと場面は変わります。
巡礼者達は賛歌を歌いながら街道に見立てられた客席の通路を歩み始めます。
巡礼者たちが訪れるスペインの町々。そこにはそれぞれの地方色に彩られた民謡が聞こえてきます。
日本の「かごめかごめ」(かがめ かがめが転じたもの)に似た、遊び歌も登場します。
また、演じられただろう「寸劇」もご披露します。
長い巡礼の道のり。巡礼者たちの黙々とサンティアゴ・デ・コンポステーラへと向かう歩みの様子と、土地の人々の歓待がほぼ20分(これは演奏ごとに時間が変わります。これこそ即興ゆえのなせる業)にわたって展開します。
いよいよ目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラへと着いた巡礼者達。
待ち受けるは、<ロマネスクの華>と呼ばれる「栄光の門」。
人々は安堵と喜びの涙を聖ヤコブ像の前で流します。
夕闇に浮かぶ大聖堂。人々が持つろうそくは聖人たちの像を煌々と照らし、その像たちの無言の祝福を受けるのです。
大聖堂に響きわたる巡礼者たちの「祈り」。各国の言葉で祈られるその響きは<こだま>となって大聖堂の「鐘」のように鳴り渡ります。
そして静寂。
巡礼者たちは心の平安を得、またそれぞれの地へと賛歌を歌いながら帰っていきます。

以上が曲の構成です。
この曲を書いた作曲家、それは「柴田南雄」です。

この曲の楽譜は市販されていません。
しかし、楽譜の一部を是非皆さんに見ていただきたいと思いました。
ここに居並ぶ音符たち、それは今自ら輝き始めようとする星たちのように私には感じられるのです。
柴田南雄の魂の星達、是非とも皆さんの前に煌めかせたいと願っています。

ここをクリックして下さい。(少し重たいです)楽譜をご覧頂けます。

(第四回<お披露目を待つ五線の星たち>)
「現代音楽シリーズ」の解説として、この項続きます。


現代音楽シリーズ
第五回<皆さん、黒い聖母をご存じですか?>


今回の「現代音楽シリーズ」では柴田南雄の「銀河街道」に関連した曲も演奏します。
それはここ数年来私が取り上げてきた作曲家の一人プーランク(1899〜1963)の作品です。

一つは男声合唱のための作品「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」(1948年の作)
一つは女声合唱のための作品「ロカマドゥールの黒衣の聖母へのリタニア」(1936年の作)

スペイン、「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」への巡礼に関連する曲は「ロコマドゥールの黒衣の聖母へのリタニア」です。

ヨーロッパ各国の人々が訪れた「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」の地。
この地の名前が、ラテン語のカンパス・ステラ(星の舞う大地)に由来すると信じられているのですが、ここへの「巡礼の道」はスペインに入ってからは一本となるものの、フランス内での道は4つのルートが主でした。
その一つのルートの近くに、南西フランスの巡礼地として多くの人が訪れる「ロカマドゥール」があります。

ロカマドゥール(隠遁者、聖アマドゥール〔岩を愛する者〕の名から付けられた)はアルズー渓谷を見下ろす岩の頂きあり、素晴らしい眺望を誇っています。
聖アマドゥールの墓とともにこの地で最も神聖な聖堂(ノートル・ダム礼拝堂の祭壇)に「黒い聖母像」(聖アマドゥールが彫ったといわれる)が祀られています。

この地に作曲家プーランクが1936年8月訪れ、最初の宗教曲を書きました。
このオルガン伴奏を伴った(今回は後に改訂された弦楽版で演奏します)女声合唱曲「ロカマドゥールの黒衣の聖母へのリタニア」の印象をアンリ・エリは「プーランクの宗教的作品の中でも際だったあらゆる美点を備えている」と記しています。

演奏を通して思うのですが、プーランクの音楽には<ナイーブ>と<エレガンス>が全体を覆いながら清らかさと情熱が節度を保って結びついています。
彼の宗教曲はロマネスク風です。バロックを主に演奏し続けてきた私にとって、彼の神秘的、清らかさ、情熱的なリアリズムは魅力です。もっと聴かれていい作曲家だと思うのですが。

「黒い聖母」またの呼び名を「黒衣の聖母」。不思議な像です
クルミの木に彫刻され、黒ずんだ銀で覆われているためだそうです。

プーランクの曲をもう一曲。
男声合唱のための作品「アッシジの聖フランチェスコの4つの小さな祈り」(1948年の作)です。これ、いわゆる歌い手が<ハマってしまう>曲の一つですね。
50年前に作曲されたものですが、通俗的な様相を呈しながら決して通俗的にならず、簡潔さと慎み深さが全体を支配する本質的な意味に置いて最も宗教的な作品だと思います。
「ロカマドゥールの黒衣の聖母へのリタニア」と併せて<プーランクの世界>をお聴き取り下さい。

 

(第五回<皆さん、黒い聖母をご存じですか>)
「現代音楽シリーズ」の解説として、この項続きます。


第六回<日本初演を含む「ペルトの世界」>


クラシック界にブームを起こした「アルヴォ・ペルトの世界」。
その世界を関西に紹介しつづけてきました。
<孤高の響き>、それがアルヴォ・ペルトの音の世界でしょう。
現代人が気づかず陥ってしまった過度の刺激、そこから解放し、人間が持つ原点の衝動へと静かに誘ってくれます。
押しつけがましくなく、威圧的でなく、挑戦的でもない音の世界。

彼の音楽は遠い彼方の中世から響いてくる趣をもっています。
その意味で、今回の「現代音楽シリーズ」の一環を成すものです。

「マニフィカト」は1989年に作曲。
ベルリン大聖堂に寄贈されています。(今年の夏、この大聖堂でこの曲の演奏を予定しています)

アカペラによるこの合唱曲。単純の中に集約されたマリア賛歌です。
協和音に彩なす2度の不協和。深淵からの祈りが聴かれます。

「私たちはバビロンの川のほとりに座し、涙した」は1976に作曲。
最初オルガンを伴った作品として作曲されましたが、その後器楽による版に改訂。
今回の演奏はさらに改訂された最新版(1996年)となり、日本初演となります。

聖書の詩編137からの題材です。しかし、歌われるのはその詩編ではなく母音唱法の断片としてのフレーズです。
何処からともなく始まる歌。声部が重なり、嘆きの流れは揺れ、きしみ、器楽による低音の保持音に支えられながら曲は進んでいきます。クライマックスに訪れる不意の休止。
それは何を意味するか?
彼の作品には表面的には見えない極度の緊張感が流れています。
それは<瞬間的>な時の積み重ね、厳格さを感じます。

「ペルトの世界」、それは「シュッツの世界」に通じるものです。
<シュッツ>は言葉を「音化」するのに対して、ペルトは言葉を説明しようとはしません。
表現しようともしない風です。しかし、3和音や5度、4度の響きを中心にして2度の不協音を用いたその手法の中に、言葉の持つ真の意味での強さ、優しさを表現してみせてくれるのです。
私がペルトに惹かれるのはこの所以です。

 

「現代音楽シリーズ」の解説を終わります。