第61回

《Messa di voce》(メッサ・ディ・ヴォーチェ)について


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「メッサ・ディ・ヴォーチェ」

《徐々に強く演奏していき、あるところから徐々に弱く演奏していく》。これが「メッサ・ディ・ヴォーチェ」の意味として一般的には説明されています。
中には気が利いた説明として、〔18世紀に発達したベル・カント唱法の特に重要な発声テクニックの一種で、後に器楽の奏法にも応用された〕と付け加えているものもあります。
しかし、どのような唱法であったかは書かれていません。確かにこの唱法の説明は難しいのですが、説明が無ければ意味がありません。いえ、間違った演奏になる可能性さえあります。

messa di voce の言葉の意味は〔声の調整〕ということ。
声を調整するために cresc.< して、そして dim.> をする、ということです。
ある声づくりのためのセットされた方法なんですね。
(「メッサ・ディ・ヴォーチェ」についてはこの「合唱講座」の第7回「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」にも触れています。今一度読んで頂ければと思います。)


実は元々の「メッサ・ディ・ヴォーチェ」と呼ばれる歌い方は「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」を作る訓練の方法なのです。
胸声とファルセットの境点、「声のチェンジ」とか「ブレイク」と呼んでいる音に対して「フィンテ」作りのために施されたものなのですね。

「メッサ・ディ・ヴォーチェ」

身体の弛緩(特に首とその周り、そして胸を中心とした上半身の弛緩)と声帯の伸長によるファルセットから入る弱音を起点として、膨らませていき(大きく強くしていき)「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」の強い声となって、その後徐々にファルセットに戻ってくるように弱くする。この一連の動きのセットが「メッサ・ディ・ヴォーチェ」ということです。(上の図参照。真ん中の線が変換点〔チェンジ、ブレイクの音〕です)

どのように中間点で、大きく強い声に変化させるか?つまり「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」を作るか?
言葉で説明するのはいつも書いているように難しいのですが、敢えて言うならば、口腔の奥をアーチ型に広げていく感覚でしょうか。
口頭を下げながら(「喉を開く」と同じ意味です)、同時に軟口蓋、上咽頭をアーチ状に上に横に後ろに広げます。
この一連の運動によって声帯の伸張と共に内筋の収縮が生まれ(収縮は「作る」という別の要素も必要になるのですが)、芯あるフィンテ、強く大きな声が生まれます。
このように徐々に声を変化させていく方法、滑らかに、そして慎重に自身の声をコントロールするという方法が、正に、フィンテ作りに最もふさわしい方法だったのです。

始めは純粋のファルセットから胸声の要素を混ぜていくという「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」作りの初歩ために用いられ、その後、弱い声の起声「ヴォーチェ・ディ・フィンテ」(ファルセットの要因が強い声)から、より力強くまた大きくて深い響きづくり(許容範囲ギリギリの胸声)のためにも用いられます。
その歌い方が現在の意味、《徐々に強く演奏していき、あるところから徐々に弱く演奏していく》に繋がったわけです。
繰り返しますが、「メッサ・ディ・ヴォーチェ」とは表現上の歌い方のことではなく、発声上の訓練のために用いられたという重要な意味があったということなのですね。

「メッサ・ディ・ヴォーチェ」

歌や楽器の演奏でこの「メッサ・ディ・ヴォーチェ」が聴かれます。
抑揚のある美しい旋律を浮かび上がらせ、ポリフォニー音楽での各声部を際立たせます。
最初はルネッサンス時代やバロック時代に頻繁に用いられてのテクニックでしたが、現在では無くてならない表現方法として一般的になっています。
しかし、このテクニックの本来的な意味を知ることによって、弱音から強音、そして弱音へとするディナーミクの表現としてだけではなく、音色や響きの変化も伴っていた表現だったと解るのです。
このことは演奏をイメージする際とても重要なことだと思います。

私がここにもう一度このテクニックを持ち出したのは、上のことに加えて、声の発声上の起声の問題を思ってのことでした。
声の出し始めは慎重に発せられなくてはなりません。(慎重だからといって体の緊張は伴ってはいけませんね!)
無駄な力は廃して、必要最小限の力で歌い始める習慣を持っていただきたいとの思いが強くなってきたからですね。
そしてそのような声の発し方(起声)から始めて音色の変化も加えながら大きくて強い声に至る。
「メッサ・ディ・ヴォーチェ」を大いに活用して声の健康と魅力とを再認識していただければと切に願っています。

第61回「《Messa di voce》について」終わり 


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