竹内もです。9回目、いつ終わるのか見当もつきません。
【解説】ガスパル様‥‥キリシタン全盛期に、生月山田の奉行でありキリシタン達のリーダーであったガスパル西玄可。禁教の時代となりキリシタン領主であった籠手田一族は長崎に逃れたが、ガスパル西玄可は奉行職を剥奪されつつもキリシタンのリーダーとしてこの地にとどまった。その後キリシタンであると言うことで捕らえられ、妻ウルスラ、息子ジョアンと共に殉教する。その墓がガスパル様として祀られている。ちなみにガスパルという洗礼名は、生月に最初に布教したガスパル・ヴィレラ神父にあやかっている。
生月島は島であり中心に近づくにつれ高くなっていました。「ガスパル様」の看板も結構登ったところにあったのです。
看板に導かれ矢印をたどっていくと、まず墓地が見えてきました。
普通は仏教式にお墓は西向きに立てるが、カクレは東南の中江の島に向かって立てる、という話があったので見てみましたが、お墓の方向はどれもまちまちでした。
(土葬時代は頭を中江の島に向けるということもよくあったそうです。)
墓地を過ぎると、おおっ、どでかい十字架が見えてきました。生月に着いて最初に見たキリシタン関係のものとして、私は興奮を隠せませんでした(別に隠さんでもええか)。
この十字架は「黒瀬の辻殉教碑」と言い、生月の殉教の記念碑となっています。
黒瀬の辻殉教碑
キリシタン時代には、黒瀬の辻はクロスの辻と呼ばれていたとも言われ、同じように巨大な十字架が立っていました。当時のキリシタンの墓地であり、生月最高の聖地だったのです。
殉教碑の奥にガスパル様のお墓がありました。石を積み上げたお墓が並んでおり、お花が結構供えてあります。そんなにまだ信仰が強いのか、とも思いましたが、おそらく自分ちの墓にまいった後ガスパル様に花を供える習慣があるのだろう、と勝手に想像しました。

ガスパル様
ガスパル西玄可は殉教の際、黒瀬の辻での十字架刑をのぞみました。黒瀬の辻で、という願いはかなえられましたが、十字架刑は聞き入れられませんでした。黒瀬の辻で処刑され、そのままここに葬られました。
今その地に大きな十字架が立っています。
ここからも中江の島がよく見えます。十字架の丘からのぞむ、青い海に浮かぶ島は大変に美しく、昔処刑場であったとは考えられないほどです。しかし確かにあったことなのです。
殉教碑と中江の島
黒瀬の辻殉教碑の周りはクロスの丘公園として整備されていました。人気もなく静かな所でした。
人が死ぬ場所とは?そんなことを考え始めつつ、ガスパル様に別れを告げました。
相変わらず暑くて、道のりもまだ長そうです。
続く。